天保異聞 妖奇士 あやかしあやし(MBS公式) 放送終了


漢字解説 
[説十より]
宰の字の「辛」は、大きな取っ手を持つ曲刀をあらわしている。
生贄の肉を切り分けるもので、その刀を持つのは王の重臣であった。
[説五より]
雲七のからだに吸い込まれた雲の文字。
あめ冠の下の部分、云うという字は、もともと云だけで雲の意味に使われていました。おおきな雨雲に隠れた、竜のしっぽ、すなわち竜尾をかたちどったものが、云でした。かみなりの鳴るようなおおきな雨雲には、おおきな竜が隠れていて、ときどき川などに水を飲みに下りてくる、その際に虹ができるのだと古代人たちは考えていたのです。
往壓のせりふに、「おれが竜で、おまえが雲」というのがありますが、両方の文字に竜が共通しているのを踏まえて、洒落ているのでしょうか。
[説四より]
往圧の往は、右側が主人の主という字に見えますが、もともとは王という字に、人間の足がのっかているかたちです。王という漢字は、鉞の刃の部分、つまり鉞頭(えっとう)をかたどった象形文字で、王権の象徴としての鉞を持つもの、すなわち王を意味する文字で、その王権をつかさどる鉞に足をのせて、霊力を授かってから行路にでる、そういう儀式をあらわす言葉なのです。左側のぎょうにんべんは、交差点をかたどっており、道路を意味します。往圧は、自らの名前に含まれる、巨大な鉞を取り出して、妖夷に立ち向かったということです。
[説四より]
にんべんに其と書いて、きと読みますが、これは欺くという意味です。仮面というか鬼面というか、ひとをあざむくという文字で、生き人形の合体した妖夷の名前です。
古代には、雨乞いの際の土人形、すなわち土偶も、この漢字で表されていました。
[説三より]
列は、現在ならぶという意味で用いられている漢字ですが、ならべるという意味は古代からおなじです。しかし、そのならべるものは、右側のりっとう、すなわち刀でもって切り落としたひとの首なのです。画面にも出てきましたが、列の左側にあるのは、かたかなのタのような字で、そのうえに毛髪が三本たっているのです。つまり、切り落とされた首のうえにまだ毛髪が残っているようすをあらわしています。敵対する相手の兵士たちの首を切り落とす、あるいは犠牲のために殺されたひとの首をならべて埋葬して邪霊を祓うなど古代の習俗を伝えている漢字なのです。
[説二より]
父という字は、現在は家長のことを意味していますが、古代においてはその家長が持つことのできる斧を示していました。斧の刃にあたる部分を手で持っているかたちが父で、もともとは斧そのもののかたちであったのですが、家長の意味の父として使われるようになり、もともとの斧を意味する漢字としては、父におのの象形である斤を加えたものが斧となったのです。斤は、兵隊の兵の上部にも使われており、斤(おの)を下から両手で抱えもっているかたちです。
[説一より]
芥という字には、介が含まれています。
介は、鎧をつけた人の形と番組中に説明がありましたが、鎧というものは、胸の部分、腹の部分など部分部分が分かれていますよね。その分たれていることから、隔てるという意味が生まれます。
わけ隔てると意味があるので、田んぼに、介を付け加えると、世界の界になります。竜導往圧が見た異界の界でもあります。
設定/用語解説 

初回からドラマチックな展開を見せる「天保異聞 妖奇士」。時代背景を予習すればもっと楽しく見られること間違いなし!!ココだけは押えておこう、というツボから『天保異聞妖奇士』の設定までをご紹介。
舞台は天保時代末期(天保14年=1843年)
教科書にも載っている天保の改革の真っ只中。幕府の財政は深刻化し、天保の大飢饉で飢えた人々がとくに東北から江戸の町に流入、百姓一揆や打ちこわしが各地で起こり、大阪では大塩平八郎の乱、国外ではアヘン戦争など、先行き不安の時代。そんな中、水野忠邦が行なった天保の改革(1840〜43年)は、極端な緊縮財政、綱紀粛正をモットーに、大名・旗本だけでなく庶民にも倹約・節約を押し付け、反発を買っておりました。水野の三羽烏のひとり鳥居耀蔵がアニメにも登場します。水野・鳥居を批判した遠山の金さんとして知られる遠山景元が、北町奉行から閑職の大目付に異動させられたのもちょうどこの時期なのです。
漢神(あやがみ)
物や人の名前の物の名前が持つ不思議な力を、漢字の神と書いてアヤガミと呼ぶ。往壓(ゆきあつ)は名前を持つあらゆる事象からアヤガミを導き出し具現化する能力を持つ。
説一では塵芥の"芥"が登場。この字に含まれる「介」は、鎧の意味がある。往壓はゴミ(芥)から鎧を導き出した。

妖夷(ようい)
異界から出現すると思われる獣。もののけや幽霊とは違って、実体としての骨肉を持っているのが特徴です。要するに、見えたり暴れたりするってことです。
蛮社改所(ばんしゃあらためしょ)
表向きは海外のことを学ぶ者たちを処罰するための組織。だが実態は、諸国に潜む「妖夷(ようい)」を討つことを任務としている。小笠原の下に、三人の奇士(あやし)がいる。彼らは各地の怪異事件の噂を集め、妖夷討伐に動いている。
印旛沼(いんばぬま)
現在の千葉県にある沼。水害を防ぐため、天保14(1843)年に干拓の工事が始まる。その他、江戸時代の享保・天明期にも干拓事業が行われた。いずれも大事業だが、未完成に終わった。
機の民(きのたみ)
本編に登場する架空の設定。山の民(さんのたみ)であるアビは、機の民であるマスラオと再会する。山の民は山に住む人々のことで、機の民は機巧(からくり)を扱う人々のこと。彼らは、古くから存在するが、人別を持たず身分制に属さない。他にも、海で暮らす海の民(かいのたみ)、草原で暮らす草の民(そうのたみ)、河川で暮らす河川の民(かせんのたみ)、芸事を生業とする楽の民(がくのたみ)がいる。
人別(にんべつ)
人別帳の略。江戸時代の領主が領内の戸数、人数などを把握するために作成した戸籍簿のようなもの。
薬種問屋(やくしゅどんや)
薬の材料を仕入れ売る店。
古事記伝(こじきでん)
本居宣長が三十年以上もの歳月をかけて著した古事記の注釈書。寛政10(1798)年に執筆が終わった。
本居宣長(もとおりのりなが)
享保15(1730)年〜享和元(1801)年。江戸中期の国学者。賀茂真淵(かものまぶち)のもと、古道を追究。『古事記伝』の執筆を始める。
平田篤胤(ひらたあつたね)
安永5(1776)年〜天保14(1843)年。江戸後期の国学者。本居宣長の没後の門人。宣長の古道説を継承するが、国学の学問的態度から徐々に離れ宗教化。平田神道と呼ばれる神学体系を作り上げた。
米吉(よねきち)
山崎屋に身を寄せている青年。アビと昔会ったことがあるというが……。
大国主(おおくにぬし)
日本神話に登場する神で、出雲の国の主神。
国津神(くにつかみ)
国土の守護神。国神。
天津神(あまつかみ)
天にいる神。高天原の神。または高天原から降臨した神や子孫。
高天原(たかまがはら)
日本神話で、天津神の居場所。
幽冥界(ゆうめいかい)
神仏の住む世界。または、あの世。
気砲(きほう)
国友鍛冶の一貫斎(いっかんさい)という人物が作った空気銃。空気の力を利用して弾丸を発射するため、火薬を使わない。 本作では、マスラオが紙を糊で固めたもので作っている。水に溶かすと跡形もなく消える。
国友鍛冶(くにともかじ)
現在の滋賀県にあたる近江の国、国友村の鉄砲製造鍛冶のこと。1543年の鉄砲伝来後、鉄砲製造技術は国友村に伝わり、1617年には江戸幕府の御用鍛冶職となった。
お歯黒溝(おはぐろどぶ)
江戸吉原を囲む溝のこと。お歯黒のように黒く濁っていたことから、この名がつけられた。
浄閑寺(じょうかんじ)
浄土宗の寺で、新吉原の近くにあったことから、遊女たちが病気などで亡くなると、この寺に葬られたという。そっと門前に遺体を置かれることもあり、俗に「投げ込み寺」とも呼ばれていた。
羅生門河岸(らしょうもんがし)
新吉原のお歯黒溝沿いの通りには下等な切り見世が立ち並び、特に東側は羅生門河岸の異名で呼ばれていた。
火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)
若年寄の支配下の先手組(さきてぐみ)に、臨時に課せられた役。 江戸市中の放火、盗賊、博打などの取締り・逮捕にあたった。 町奉行と違って機動力を持ち、旗本や神官の逮捕にも連絡などの 手順を踏まずにすんだ。その取調べは大変厳しかったようで、人 々から恐れられていた。
呼び出し(よびだし)
吉原で太夫の位がなくなってから、最上位の遊女は「呼び出し」であった。 張見世(はりみせ)をしないで客から呼び出されるのを待っていたため、 この名がつけられたという。
河鍋狂斎(かわなべきょうさい)
吉原に居ついている少年絵師。実在の人物で、幕末から明治期にかけて活躍した天才絵師である。通称は周三郎。狩野洞白(かのうどうはく)に師事し、後に画号を暁斎と改める。天保2(1831)年〜明治22(1889)年。
若党(わかとう)
武士の従者。士分の扱いを受けるが、帯刀は一本のみを 許された。宰蔵は小笠原放三郎の若党として認められている。
日光参詣(にっこうさんけい)
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、初代将軍徳川家康(とくがわいえやす)を神格化(しんかくか)した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀って(まつって)いる。江戸時代、将軍たちは日光社参(にっこうしゃさん)に赴いた(おもむいた)。その数は、2代将軍秀忠(ひでただ)以降、江戸時代を通じて19回。12代将軍家慶の日光参詣は天保14(1843)年で、67年ぶりであった。
ろくろ首
ろくろ首は大きく分けて二種類ある。身体から首が抜け、 頭部が空を飛ぶものと、頭部は身体にくっついたままで首 だけが伸びるものである。
シズカモチ
現在の栃木県に伝わる奇談で、夜中に餅をつく音がするという。 その音が聞こえるか聞こえないか、あるいは近づいたり遠ざか ったりで、運をはかることもあるという。
茶釜(ちゃがま)
茶釜の怪は諸説あるが、ここでは空を飛ぶ茶釜の怪のこと。
手形(てがた)
通行を許可した証文のこと。「入鉄砲出女(いりでっぽうでおんな)」という言葉があるように、江戸幕府は江戸に入る鉄砲と江戸から出て行く女性を関所(せきしょ)で厳しく改めた。謀叛を防ぐため武器の流入を警戒し、江戸に人質として置いた諸大名の妻女が脱出することを防いだ。
土井利位(どいとしつら)
実在の人物。寛政元(1789)年 〜 嘉永元(1848)年。官職は大炊頭(おおいのかみ)。天保年間、老中首座水野忠邦とともに老中を務めた。日本で初めて、顕微鏡で雪の結晶を観察した人物としても有名。
高島秋帆(たかしましゅうはん)
実在の人物。寛政10(1798)年〜慶応2(1866 )年。洋式兵学者。長崎会所調役頭取(ながさきかいしょしらべやくとうどり)を務め、オランダ人より洋式砲術を学んだ。江戸で洋式砲術演習を試み名声を得るが、天保13(1842)年、鳥居耀蔵の策略にあい投獄された。ペリー来航を機に許され、再び砲術師範役として幕府に尽力する。
内田弥太郎(うちだやたろう)
実在の人物で、高野長英に蘭学を学び、天文・測量などにも通じている和算家。明治に入り、太陽暦への改暦に携わった。内田五観(うちだいつみ)、通称(つうしょう)は弥太郎(やたろう)。宇宙堂(うちゅうどう)とも号している。 本作では小笠原放三郎の師として描かれる。
奥村/奥村喜三郎(おくむらきさぶろう)
下級役人であったが、一流の測量技師であった。天保9(1838)年、異国船の来航を警戒した老中水野忠邦は、江戸湾防備のための検分を鳥居耀蔵と伊豆韮山代官(いずにらやまだいかん)、江川英竜(えがわひでたつ)に命じた。その際に、江川は測量技師として内田弥太郎と奥村喜三郎を推薦した。
渡辺登/渡辺崋山(わたなべかざん)
寛政5(1793)年〜天保12(1841)年。画家で蘭学者。通称、渡辺登(わたなべのぼる)。崋山は号である。高野長英(たかのちょうえい)、小関三英(こせきさんえい)らとともに蘭学者・開明派(かいめいは)の会、尚歯会(しょうしかい)を結成。そのため、いわゆる蛮社の獄(ばんしゃのごく)で、鳥居耀蔵の計略(けいりゃく)にかけられ捕らえられた。永蟄居(えいちっきょ)を言い渡されたが、2年後に自刃(じじん)した。
蛮社の獄(ばんしゃのごく)
天保十(1839)年、幕府が尚歯会に関わる蘭学者たちに弾圧を加えた事件。
高野長英(たかのちょうえい)
文化元(1804)年〜嘉永3(1850)年。長崎でシーボルトに師事した蘭学者。江戸で町医者を開業し、渡辺崋山らとともに尚歯会を結成した。天保9(1838)年、アメリカ商船モリソン号来航の際『戊戌夢物語(ぼじゅつゆめものがたり)』を著し、幕府のとった対外政策を批判。いわゆる蛮社の獄で弾圧を受け、永牢を言い渡された。
鰻の怪(うなぎのかい)
鰻の怪異譚は多くある。鰻釣りの好きな人があったが、ある人物に鰻釣りを戒められた。だが、それでも鰻釣りをしたところ、釣った鰻が自分を戒めた人物であったことが分かるという話などがある。
九尾の狐(きゅうびのきつね)
永い年月を生き、尾が九つに分かれた狐。化けて人を騙すという。
川路聖謨(かわじとしあきら)
享和元(1801)年〜慶応4(1868)年。
実在の人物。1835年、勘定吟味役、大坂町奉行などを経て、1852年勘定奉行に就任。
1854年には下田で日露和親条約に調印した。海防や外交に活躍した。
天海僧正(てんかいそうじょう)
江戸時代に実在した天台宗の僧で、日光東照宮の造営に携わった。
源頼朝(みなもとのよりとも)
実在の人物。久安3(1147)年〜正治元(1199)年。鎌倉幕府の初代将軍。
カピタン
江戸時代、長崎のオランダ商館長をカピタンといった。
日光参詣(にっこうさんけい)
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、初代将軍徳川家康(とくがわいえやす)を神格化(しんかくか)した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀って(まつって)いる。江戸時代、将軍たちは日光社参(にっこうしゃさん)に赴いた(おもむいた)。その数は、2代将軍秀忠(ひでただ)以降、江戸時代を通じて19回。12代将軍家慶の日光参詣は天保14(1843)年で、67年ぶりであった。
大奥(おおおく)
江戸城にある、将軍の正妻と側室の住まい。男子禁制の場所だった。
内田先生
実在の人物で、高野長英に蘭学を学び、天文・測量などにも通じている和算家。明治に入り、太陽暦への改暦に携わった。内田五観(うちだいつみ)、通称(つうしょう)は弥太郎(やたろう)。宇宙堂(うちゅうどう)とも号している。 本作では小笠原放三郎の師として描かれる。
高島秋帆(たかしましゅうはん)
実在の人物。寛政10(1798)年〜慶応2(1866 )年。洋式兵学者。長崎会所調役頭取(ながさきかいしょしらべやくとうどり)を務め、オランダ人より洋式砲術を学んだ。江戸で洋式砲術演習を試み名声を得るが、天保13(1842)年、鳥居耀蔵の策略にあい投獄された。ペリー来航を機に許され、再び砲術師範役として幕府に尽力する。
小笠原貢(おがさわらみつぐ)
長崎奉行所与力で小笠原放三郎の養父。蛮社の獄の際、鳥居耀蔵の下で蘭学者たちの検挙に関与したという。
土井利位(どいとしつら)
実在の人物。寛政元(1789)年 〜 嘉永元(1848)年。官職は大炊頭(おおいのかみ)。天保年間、老中首座水野忠邦とともに老中を務めた。日本で初めて、顕微鏡で雪の結晶を観察した人物としても有名。
本所の七不思議(ほんじょのななふしぎ)
本所に伝わる七不思議。
(1)置いてけ堀(おいてけぼり)
(2)送り提灯(おくりちょうちん)
(3)狸ばやし(たぬきばやし)
(4)消えずの行灯(きえずのあんどん)
(5)落ち葉なき椎の木(おちばなきしいのき)
(6)津軽の太鼓(つがるのたいこ)
(7)片葉の芦(かたはのあし)
などがある。伝承によるもので、この他のバリエーションもみられる。
麻布の七不思議(あざぶのななふしぎ)
麻布に伝わる七不思議。
(1)逆さ銀杏(さかさいちょう)
(2)七色椿(なないろつばき)
(3)狸穴(まみあな)
(4)がま池(がまいけ)
(5)六本木(ろっぽんぎ)
(6)古川の狸ばやし(ふるかわのたぬきばやし)
(7)俄善坊(がぜんぼう)
などがある。伝承によるもので、この他のバリエーションもみられる。
番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)
お菊という女性の幽霊が皿を数えるという怪談話。日本各地に類似の話がある。
豊川狐(とよかわきつね)
豊川座という女芝居の座頭(ざがしら)として宰蔵の前に姿を現す。だが、その正体は狐だった。
跡部良弼(あとべよしすけ)
生年不詳、1869(明治元)年没。勘定奉行(かんじょうぶぎょう)で老中水野忠邦(ろうじゅうみずのただくに)の実弟。官職名は能登守(のとのかみ)。 本作では、蛮社改所を陰で動かす人物として描かれる。
阿部正弘(あべまさひろ)
1819(文政2)年〜1857(安政4)年。寺社奉行(じしゃぶぎょう)を経て、天保十四年閏九月(うるうくがつ)には老中となる。1854(安政元)年、黒船来航によって日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)を結んだことで有名。官職名は伊勢守(いせのかみ)。 本作では、跡部とともに蛮社改所を陰で動かす。
江戸三座(えどさんざ)
幕府により芝居興行を許された歌舞伎劇場、市村座(いちむらざ)・森田座(もりたざ)・中村座(なかむらざ)のこと。 天保の改革のあおりを受け、天保十三年に浅草猿若町へ移転となった。
吉原(よしわら)
幕府公認の遊郭(ゆうかく)。明暦三(1657)年の大火事で、浅草に移転。移転後は「新吉原」ともよばれる。
禿(かむろ)
太夫(たゆう)など上級の遊女に仕える見習いの少女。7歳から13歳くらいまでで、修行の後に遊女となる。
テスカトリポカ
トルテカ神話における戦の神(アステカ神話ではウィツィロポチトリ)。人身御供に反対する神ケツアルコアトルを追放した。
ケツアルコアトル
アステカ神話における、羽毛のはえた蛇の神で文化の神。テスカトリポカによって追放されたが、再来を予言した。
ヌエバ・エスパーニャ
植民地時代のメキシコの呼称。新スペインの意味。
コルテス
エルナン・コルテス。キューバ征服に参加していたが、1519年にメキシコに上陸。1521年に、アステカ帝国を征服しスペインの植民地とした。1523年には、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)総督となる。
支倉常長(はせくらつねなが)
元亀二(1571)年〜元和八(1622)年。仙台藩士で伊達政宗(だてまさむね)の家臣。慶長十八(1613)年、伊達政宗の命を受け使節団を率いて渡欧。スペイン領メキシコと直接貿易をすること、仙台領内でキリスト教の布教をするため宣教師派遣を依頼することを目的としていた。幕府も公認の使節団であったが、徳川家康が禁教令を敷きキリスト教の弾圧に乗り出したため、実現には至らなかった。常長は失意のうちに帰国した。
アメノウズメノミコト・アマテラスオオミカミ
日本の神話に登場する女神。乱暴者で天から追放されたスサノオノミコトは、姉のアマテラスオオミカミに嫌がらせをはたらく。太陽神であるアマテラスが岩戸に逃げ込むと、世界は闇に包まれてしまった。そこで他の神々は相談し、岩戸の前でお祭り騒ぎをして、アマテラスの興味を引こうとする。アメノウズメがおかしな踊りを踊って皆が笑うと、それに興味を持ったアマテラスはようやく顔を出した。
遠山景元(とおやまかげもと)
寛政五(1793)年〜安政二(1855)年。通称、金四郎(きんしろう)。官職名は左衛門尉(さえもんのじょう)。遠山の金さんでおなじみの実在の人物。天保十一(1840)年、江戸北町奉行に就任し活躍するが、天保の改革をおし進める南町奉行、鳥居耀蔵と対立し、閑職の大目付に追いやられる。鳥居耀蔵が失脚した後に、南町奉行として復帰した。若年に町で放蕩生活を送り、その際に彫り物を入れたといわれている。
三輪山の伝説(みわやまのでんせつ)
古事記(こじき)・日本書紀(にほんしょき)に記されている伝説。 ある女性のもとに、毎晩ある男が通っていた。ある日、女性は男性の素性を知ろうとして、衣の裾に糸を刺し、これを辿っていった。すると、大和の国三輪神社に辿りつく。そこで、この男が神であると分かった。日本書紀によると、この神は蛇体(じゃたい)である。
人別(にんべつ)
人別帳の略。江戸時代の領主(りょうしゅ)が領内(りょうない)の戸数、人数などを把握するために作成した戸籍簿(こせきぼ)のようなもの。
明け六つ(あけむつ)
当時は現在のように一日は二十四時間ではなく、昼と夜をそれぞれ六等分して一刻と定めた。したがって、一刻(いっとき)は約二時間となり、明け六つは午前六時ごろを指す。
黒船来航(くろふねらいこう)
嘉永六年(1853年)、浦賀沖にマシュー・ペリー提督(ていとく)の率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊が来航した。時の老中首座阿部正弘(あべまさひろ)は、ペリーの持参したアメリカ大統領からの国書(こくしょ)を受け取るが、開国を促す内容に即答はできないとして一年間の猶予を得る。しかし、わずか半年後に再び黒船が来航。交渉の末、日米和親条約(にちべいわしんじょうやくていけつ)が締結され、日本は開国するに至った。
薬食い(くすりぐい)
肉食は禁忌(きんき)であったが、肉を食べて滋養(じよう)をつけるという言い訳で、庶民はこっそり肉を食べることがあった。それを薬食いという。江戸市中(えどしちゅう)には、山鯨屋(やまくじらや)と称する猪や鹿などの肉を食べさせる店も出ていた。
切捨て御免(きりすてごめん)
武士は無礼打ち(ぶれいうち)というものが許されていた。それを切捨て御免ともいう。無礼を働いた町人や農民を切り殺しても罰せられないというものだが、正当な理由があって目撃者や証人がいなければ罰せられた。
水野忠邦(みずのただくに)
天保十(1839)年に老中首座に着任。十二代将軍徳川家慶(とくがわいえよし)のもと、側近(そっきん)の鳥居耀蔵を用いて天保の改革を行った。だが、その改革は様々な面で失敗、庶民の反発を買う。天保十四(1843)年、上知令(あげちれい)を断行(だんこう)しようとして大名や旗本から反対される。それを直接の契機として、同年、老中を罷免(ひめん)される。翌年には老中に再任となったが、かつての権威が復活せず、再び辞職に追いやられた。
上知令(あげちれい)
江戸・大坂十里四方(じゅうりしほう)の大名・旗本の知行地(ちぎょうち)を没収して幕府の直轄領(ちょっかつりょう)にしようという法令。海外勢力に対する防衛策として江戸・大坂の防備を固めることなどを目的とした。大名・旗本の反対にあい失敗に終わった。
内藤新宿の十二社(ないとうしんじゅくのじゅうにそう)
内藤新宿(ないとうしんじゅく)、現在の新宿界隈(しんじゅくかいわい)に十二所権現(じゅうにしょごんげん)があった。紀伊国(きいのくに)熊野(くまの)から移し祀った(まつった)もので、新宿の総鎮守(そうちんじゅ)であった。
二本差し(にほんざし)
江戸時代、武士は二本の刀を帯刀(たいとう)できたことから、二本差しと呼ぶことがある。二本とは、大刀(だいとう)と脇差し(わきざし)のこと。
天保の改革(てんぽうのかいかく)
江戸時代の天保年間に、老中水野忠邦(みずのただくに)によって行われた幕政改革のこと。享保(きょうほう)・寛政(かんせい)の改革と並び、江戸時代の三大改革のひとつといわれる。
当時、幕府財政は深刻化の一途を辿っていた。また、大塩平八郎の乱などの国内不安、モリソン号事件やアヘン戦争の情報などによる対外不安が、幕府を取り巻いていた。そのような状況の中、水野忠邦は享保・寛政の改革にならい、緊縮財政(きんしゅくざいせい)、綱紀粛正(こうきしゅくせい)を行った。しかし、それらはいたずらに倹約、節約を押し付けるものであり、人々の反発を買うものでしかなかった。
花井虎一(はないとらいち)
蘭学者だが、鳥居の家臣となっている。その明晰な頭脳で、鳥居に重用(ちょうよう)される。小笠原放三郎とは知り合いだった。実在の人物。宇田川榕庵(うだがわようあん)門下(もんか)で蘭学(らんがく)に精通(せいつう)していた。渡辺崋山(わたなべかざん)のところにも出入りしていたが、「蛮社の獄」(ばんしゃのごく)で渡辺崋山らの検挙に関与した。その後、鳥居耀蔵の手によって長崎奉行の組与力となる。花井虎一に関しては諸説あり、蛮社の獄に関与したことを罪に問われ「押し込め」となっていたという説もある。
宇田川榕庵(うだがわようあん)
1798年〜1846年。医者で蘭学者。日本で初めての化学書『舎密開宗(せいみかいそう)』を翻訳した。
渡辺崋山(わたなべかざん)
画家で蘭学者。通称、渡辺登(わたなべのぼる)。崋山は号である。高野長英(たかのちょうえい)、小関三英(こせきさんえい)らとともに蘭学者・開明派(かいめいは)の会、尚歯会(しょうしかい)を結成。そのため、いわゆる蛮社の獄(ばんしゃのごく)で、鳥居耀蔵の計略(けいりゃく)にかけられ捕らえられた。永蟄居(えいちっきょ)を言い渡されたが、2年後に自刃(じじん)した。
蛮社の獄(ばんしゃのごく)
天保十(1839)年、幕府が尚歯会に関わる蘭学者たちに弾圧を加えた事件。
内田先生(うちだせんせい)
小笠原放三郎が師事していた和算家。内田五観(うちだいつみ)、通称(つうしょう)は弥太郎(やたろう)。宇宙堂(うちゅうどう)とも号している。実在の人物で、高野長英に蘭学を学び、天文・測量などにも通じている。明治に入り、太陽暦への改暦に携わった。
和算
洋算に対してつけられた日本独自の数学を和算という。
高野長英(たかのちょうえい)
1804年〜1850年。長崎でシーボルトに師事した蘭学者。渡辺崋山らとともに尚歯会を結成し、蛮社の獄で弾圧を受けた。永牢を言い渡されたが脱獄。逃亡の末、自刃(じじん)したといわれている。
本庄辰輔(ほんじょうたつすけ)
剣術に優れる鳥居の家臣。蛮社改所の動向を探っている。実在の人物で、もともと長崎会所下役人(ながさきかいしょしたやくにん)であったが、江戸に出奔(しゅっぽん)。町医者をしていたところ鳥居耀蔵と知り合い家来になったという。以降、鳥居の屋敷内に住み長崎会所関連の情報を鳥居に流していた。
朝鮮通信使
将軍が代わる際などに、朝鮮王国から幕府に派遣された使節のこと。豊臣秀吉の朝鮮侵略の後、慶長十(1605)年に国交が回復。慶長十二(1607)年から文化八(1811)年まで、計12回来日した。
岡引(おかっぴき)
町奉行所の同心や火付盗賊改方の配下で、非公認の協力者。町奉行所の与力、同心は八丁堀に組み屋敷を与えられていたことから「八丁堀の旦那」と呼ばれる。そのため玉兵は、「八丁堀の御用を預かっている」と言っている。
浮民(ふみん)
物語上架空の設定。生活が困窮し住むところをなくした者や、江戸に流入してきたが浮浪の身となってしまった者たちを、浮民(ふみん)と呼ぶ。身分制に属さず、浮民寄場(よせば)に入ることを強制される。
はぐれ浮民(ふみん)
物語上架空の設定。浮民(ふみん)は寄場(よせば)に入るものと取り決めがあったが、寄場に収容できる人数には限りがあり、そこから抜け出す者も多くあった。抜け出すことを「欠け落ち(かけおち)」といい、抜け出した者のことを「はぐれ浮民」とここでは呼んでいる。浮民は寄場に入ると入れ墨を入れられ、一度欠け落ちして捕まると二つ目の入れ墨、もう一度逃げると斬首となる。幕府にとって、身分制はその根幹である。身分を持たない浮民が多くなることは、幕府体制を揺るがす危機であり、厳しく取り締まりを行った。
湯屋(ゆや)
江戸っ子は、お風呂好きであったという。混浴が当たり前の時代もあったが、天保時代には、風俗取締りによって混浴は禁止となっている。湯屋は人々の社交の場でもあり、二階では囲碁将棋をしたりお茶を飲んだりできるようになっていた。

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