Production Note−今、忘れられたもの−

 当初、「ピュア・ラブ」の企画書には2本の柱があった。ひとつは、「主人公が病気に勝利してゆく力強いドラマ」であること、もうひとつは「プラトニック・ラブ」。ストイックに生きている象徴として、禅宗の雲水が設定され、ヒロインとの純愛を描くというものだった。
 しかし「ピュア・ラブ」の見どころは、波乱万丈の純愛ドラマというだけではない。多くの支持を集めた理由のひとつに、登場人物たちが織りなす日常に”他人を思いやる心”や”やさしさ”があることだ。それは日常生活の中のほんの一瞬のことであるが、ともすれば忘れがちな”こころのありよう”の大切さを鮮やかに見せてくれる。
たとえば、忍がいう。
「だからって、『ただいま』をはぶくのはよくないわよ。『ただいま』とか『いってきます』とか、『こんにちは』『さようなら』とか、そう云う挨拶って、意味がないようだけど、人の気持ちを繋ぐ上でとても大切なことなのよ。だから、頭にきたからって、はぶいてはだめなのよ」
また、禅宗の修行僧である陽春の日常的な営みも現代的な問いかけを含んでいる。木里子に「どんな風に修行をしているのですか」と訊かれた陽春が答える。
「そうですね。飯炊き、風呂焚き、掃除、洗濯、それに老師の身の回りの世話、来客にお茶を出したりと、ほとんど主婦と変わらない仕事をここでの修行としています。食べること、着ること、住むこと、このとても大切なことを、簡単にこなしていく時に、人間の本当の生命力が見えてくると、老師は常に云われます」

ストーリーの中にちりばめられた数々のシチュエーションが、ともすれば日常に埋没する心をふと立ち止まられてくれる。
禅寺の日常を描いたこともユニークな試みだ。現代人の多くがほとんど関わりをもつことがない、お寺。その中で、禅宗の修行はもっともストイックである。その一日は、3時半起床に始まり、読経と坐禅にほぼ一日が費やされる。そして夜坐と呼ばれる夜中の坐禅を終え、就寝が1時半になるという、厳しいものだ。そうした禅僧の一日がストーリーの中に巧みに盛り込まれる。陽春のセリフにあるように、「ここではすべてが決められた流れにそって動いています。止まることができないのです」
木里子の日常と平行してそんな全く違った世界が動いているのもこのドラマの魅力のひとつといえよう。

ヒロイン木里子を演じる小田茜はいう。
「純粋な部分っていうのは、誰もが持っているものだと思うんです。ただ日常の忙しさの中で忘れてしまっていたり、自分にはもうないんだと思い込んでいたり。でもきっとかけらは残っているはず。私も自分の中の純粋な部分を膨らませて木里子を演じています」
また陽春役の猪野学は役作りのために第1作、第2作と2回も本格的な禅寺へ1週間の修行に赴いた。陽春の立ち居振る舞いが”本物”といわれるゆえんである。
猪野学は言う。
「過酷な恋愛は純粋になりがち。思いがかなわないといっそう純愛を貫こうとしますね」
また宗達老師を演じる川津祐介は、この役と出会ってから老師のような一汁一菜の生活を続けているという。
川津祐介は語る。
「老師役を演じるには常に感謝と喜びに満ちていないといけない。常に穏やかに。子供に微笑みかけるような自然な微笑を出したい」
そして木里子の父親で内科医の麻生周作を演じる篠田三郎は、
「この話には人を見る目のあたたかさや、傷ついているものを包み込むような優しさがあると思う」という。