15歳から30歳代の世代をAYA世代と呼びます。その時期にがんを患うと、進学や就職、結婚など人生の節目に向き合う悩みも多くなります。4年前に31歳で乳がんを患い治療を続けながら仕事もこなす女性を取材しました。厳しい現実がありつつも、自分の生きる道も見つかりました。
15歳から30歳代の世代をAYA世代と呼びます。その時期にがんを患うと、進学や就職、結婚など人生の節目に向き合う悩みも多くなります。4年前に31歳で乳がんを患い治療を続けながら仕事もこなす女性を取材しました。厳しい現実がありつつも、自分の生きる道も見つかりました。
AYA世代特有の問題
中島ナオさん、35歳。東京造形大学で週1回、非常勤講師として空間デザインの授業を受け持っています。
「やりたいこととか、盛り込みたいことはたくさん出てくると思うけど、絞るとか決めるということもデザインではすごく大切」(中島ナオさん)
去年の9月から今の仕事を始めましたが、きっかけはがんを患ったことでした。
「(がんと)わかったときが31歳だったんですけど、結婚していたわけでもなかった、養ってくれる人がいるわけでもないですし、自分で生きていくには仕事をしない生活は思い描けない。仕事自体を変えないといけないと思った」(中島ナオさん)
4年前、脇の下に小さなしこりがあるのに気付き病院を受診しました。診断結果は「乳がん」。がんは既にリンパ節に転移していて、ステージ4に最も近い「3C」と診断されました。
ナオさんはすぐにAYA世代特有の問題に直面します。当時、勤めていたフルタイムの仕事を休職。治療する傍ら短い時間でも勤務できる仕事を選べるようにと大学院に通い始めました。

「毎日8時間勤務するっていう形が難しいのであれば、例えば自宅でできる仕事。時間給を上げるということが叶うのであれば、その可能性を広げられる道の一つとして大学院進学もあった」(中島ナオさん)
大学院で学んだことを活かせる今の仕事は、ナオさんに笑顔をもたらしました。学生たちには病気のことも全て伝えています。
「普通だったらちょっとにじみ出たりするじゃないですか、悲しいとか。そういうのが全くなかったので、素晴らしい先生です」(女子学生)
「内容が内容ですので、少しこっちもびっくりした感じ。それでも前向きに前進していく先生はすごい」(男子学生)

脱毛の悩みが生んだもの
今も週に1回の通院は欠かせません。大学院在学中に他の臓器への転移が見つかり、がんはステージ4になりました。抗がん剤治療を続けながら体調を維持する日々を送っています。
普段は笑顔を絶やさないナオさんですが、実は薬の副作用で身体のだるさや手足のしびれが絶えないといいます。そして、ナオさんを大きく悩ませたのが「脱毛」です。
Q.週1回の投薬治療を続けている限りは?
「(髪の毛は)抜け続けます。(こめかみ部分を押さえて)このへん生えてる?生えてるように見えるかもしれないけど、すごく薄いというか、まばら」(中島ナオさん)
ただ、その脱毛に悩んだからこそ生まれたものもありました。

ナオさんが大学院時代に考案した「ヘッドウェア」です。脱毛を隠すためだけのウィッグや帽子とは一味違う、おしゃれにかぶれるものをと素材にもこだわって作りました。ナオさんの「ヘッドウェア」は、がん患者を支援する団体のキャンペーンでも取り上げられました。
「『検診に行きましょう』っていうメッセージが一番大きくて、啓蒙、啓発で、その対象って“がんじゃない人”なんですよ。がんの人が対象になっている、当事者をサポートする、社会的な見える動きをもっと作りたい」(中島ナオさん LAVENDER RING提供動画より)
ナオさん自身ががんを患ったことで気付いた、同じがん患者へのサポートの大切さ。

仕事と治療を両立するための後押しが必要
非常勤講師として約3か月間の講義が終わり、嬉しいことがありました。
「3年半くらい自分が働いたことに対してお金をいただく機会がほぼなかった。通帳を記帳したんです。9月から働いている分が振り込まれている、それを見た時に、感じたことのない嬉しさがあった」
国が行った調査では6割以上が治療を受けながら仕事を続けられないと答えています。3月に国がまとめたがん対策推進基本計画で、ナオさんのようなAYA世代の患者への診療体制の改革など支援の必要性について初めて触れられました。また、医療の現場からも仕事と治療の両立を実現するための後押しが必要であると専門家は考えています。
「(世間では)がん=死というイメージがいまだにある。働きながら治療できる時代になったんですよっということを多くの皆さんに知ってほしい。厚労省も就業支援をしなさいというのをがん対策基本法に盛り込んだが、現場が全く追いついていない」(日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科 勝俣範之教授)

1年後の自分は描かない
この日、ナオさんは製薬会社(日本イーライリリー・神戸本社)の社員向けの講演会に出向いていました。いま、ナオさんはAYA世代として、自らの経験を積極的に伝える活動を始めています。
「『がんになっても大丈夫って言える社会の実現』。大きい話ではあるが、副作用がもっと抑えられる薬が開発されたり、皆さんの認識とか制度とか、いろいろなことが整っていったり、変わっていくことで大丈夫って言えるような状態がもう少し近い未来で起こり得るんじゃないか。それを進めるためには何か発信していこう」(中島ナオさん)
1年後の自分は描かないというナオさん。今を少しでも良くするために「明日の自分」を描きながら生きています。

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