第40回 安井まさじ

NGKでどんどんボケてみたいと思いますね。


―もともとお笑いを目指されていたんですか?

いや~目指してたというか、好きやったんですけど。地元の熊本にお笑い芸人になるという文化が、ほとんどなかったので、まあうらやましいな、くらいで。高校をやめて2年ぐらいフリーターをしながら、「何しよう?」という時に、千原兄弟さんのビデオ見て、面白いな~と。それならやってみたいなと思って、熊本からこっち(大阪)へ来て、(NSCの)オーディションを受けました。地方から来た人もけっこういましたね。
(オーディションではどんなことを?)
一発芸、しましたね(笑)。アピールタイムで、顔を隠して尻隠さずみたいなのを思い切りやって全然受けなくて、ヤバイなと思ったんで、「死ぬ気で頑張ります」と頭下げて…そしたら受かってて。授業料は両親から借りました。両親はすぐ帰ってくると思っていたと思います。それまで何をやっても続かなかったので、ふらふらしてるよりは、1回地元を離れて辛い目にあって来い、くらいの感じやったと思います。

―当時は新喜劇コースもあったと思いますが。

ありましたけど、僕は普通のコースでしたね。新喜劇に入ろうとは思ってなかったです。高校生の時に後輩とか集めて、新喜劇を見てたんですよ。だから好きは好きやったんですよね。内場さんとか辻本さんとか。でも、その時は、千原兄弟さんとかの尖った感じがカッコええな、と。
(最初は何をされてました?)
コントをやってました。まあ、お芝居じみたコントが好きでして。銀シャリの橋本と2人で…。
(えっ!? そうなんですね!)
「ビールズ」というコンビを組んでました。「ビールズ」というのは、「とんねるず」とか「さまぁ~ず」とかが、わかりやすくてええんちゃうか、と。僕は当時、鰻とよく毎日一緒に遊んでたんですよ。僕と解散して鰻とコンビ組んで、鰻がうまいこと橋本のツッコミで、すごい上がっていきましたからね。僕は自分で行きたかったんで、方向性が違いました。
(その後もコントを?)
漫才をしたりもしてたんですけど…。小籔さんが新喜劇に出ているのを見て、オーディションもやってて、新喜劇のブームが近いうちに来そうな臭いがしたんですよね。それなら、早く入っておいた方が得かなと思って。その時にはオーディションが終わってたので、1年後、金の卵3個目のオーディションで新喜劇に入りました。今残ってるのは、僕と(酒井)藍ちゃんだけですね。

―初舞台は覚えてられますか?

覚えてますね。川畑さんの週で、太田(芳伸)さんとうどん屋のお客さんでした。その時、髪形がリーゼントやったんですよ。やすえ姉さんがお盆で頭を叩くシーンがありまして、「ちょっと練習させてもらっていい?」みたいな感じで。ものすごくいい音鳴るのに、全然痛くないんですよ。あ~すごいなという印象が大きかったですね。芸歴ってすごいですね。
(当時はリーゼントで?)
漫才の最後にリーゼントでやってて、そのまま来たんですけど。いろんな方に相談して、やめました。早かったですね。舞台2、3回くらいしか踏んでないんじゃないですかね。たぶん、リーゼントにしてた方がもっと目立ててたとは思いますね。リーゼントだとやっぱりみんな食いついてくれるんですよ。先輩方が、「なんやその髪形!」と。ある程度笑ってくれるという返しもあったんですけど。それなくしたら、誰もいじってくれへん。自分からいかなあかん。すごい差なんですよ。面白いと世間に思われている人が他の人に食いついたら、その子も面白い存在になるというか、注目を浴びるじゃないですか。それがまったくない普通の人間は、自分で切り込んでいかなあかん。そのお陰で苦しい思いもしました。武器がないところからの勝負というか。リーゼントはどっちが良かったかわからないですね。答えがひとつじゃないんで。

―その後はどうでしたか?

新喜劇の幕開きの芝居で、特に川畑さんとかに新喜劇の笑いの作り方というのを、勉強させてもらいました。幕が開いてすぐ、お客さんも何の芝居かまったくわからない時に笑いを取るのは難しいんです。しかも顔も売れてない、誰やと言う子らが出てくる。それでもしっかりとちゃんとしたことを、丁寧にやっていく。よく「幕開き芝居には、新喜劇のすべてが詰まっている」、と言われました。出番は1週間なんですけど、火曜日に初日で、金曜にテレビのカメリハ、土曜に本番収録がある、その間にどうにかお客さんが笑ってくれるネタを…というのが難しいですね。1週間ずっと悩みっぱなしということもよくありました。
(笑いが取れなかったら、緊急ミーティングとか?)
やります、やります。ある意味、オープニングはいろんなネタを試させてもらえるという場でもあるんです。だから修整も早いですね。

―印象に残っている舞台とかありますか?

僕は身体の一部を押されると「イヤ~ん、バカ~ん…」と反応するギャグがあるんですが、最初は京橋花月でやったんです。あれ自体は僕が1人でやっていたネタなんですね。勝手にやっていたのを、烏川さんが、「新喜劇やったらそういうネタが伝わりやすいで」と言うてくれはって。テンダラー浜本さんもちょうどご一緒させてもらってて、「ここ押したら違うやつ言うてみたら?」とか。そんな時に、川畑さんが「全部押したら? 何か1個ネタをしたら終わりやすいんちゃうか?」と。「全部押したらどうなるか?」の答えを探すというのを毎公演やってたんですね。で、京橋花月で4つ押されて、「1本!」と言ったんですが、もう全然笑いが来なくて。お客さんがシーンとなって。スベってる僕を見て笑っている川畑さんの声だけが響いて…(笑)。それですかね。

―舞台上で気をつけられていることは?

難しいですね…。人のボケは大事にせなあかんのかなと。リアクションであったり…。(新喜劇は)団体芸ですからね。かといって、図々しいところは必要でしょうし。でも、やっぱり根本に流れているのはお芝居やと思うんで、お芝居を大事にしていけたらな、と。師匠方はお芝居を出来はるから、カッコいいな、と。締める時は締めはる。お芝居が流れているから新喜劇は面白いと思いますね。
(見ていた頃と実際に入ってみて違うところは?)
う~ん、そうですね…新喜劇ってボケてる人が面白いんやと思ってましたけど、その周りの人らが作ってる部分がすごく大きいんです。作ってるからその人があるねんや、と。ツッコミの人だったり、お芝居する人だったりがしっかりしてくれるから、くずせるんやと。だからボケてる人間だけが面白いんじゃなく、新喜劇が面白いんやと。昔はそういう(ボケてる)人ばっかり見てましたけど。

―今、7年。ここまで続いてきたのは?

好きなんやと思います。新喜劇に入ってから、めだか師匠が、観に来てる80歳くらいのおばあちゃんをケラケラ笑かしてたんですね。すごいなあと。子どもからお年寄りまでとはよう言うたもんやな、と。55年続いた伝統芸。新喜劇観に来たら笑えるよ、というのを、1年目からやって来られた方がいて、僕らがおるんで。僕らがそれをくずさないように、と思います。はい。

―これから舞台でやって行きたいことは?

NGKでどんどんボケて行きたいですね。お客さんに「面白かったなあ」と帰ってもらえる存在になれるよう、ボケたいですね。
(ボケのタイプですか?)
ボケたいですね~。僕の実力のなさももちろんあるんですけど。若手の新喜劇の時やったら、そういう役も回ってきたりするんですが。漫才劇場で、新喜劇やっていたりするんで、観に来てもらえたらなと。吉田裕さんとか、僕、信濃、太田、新名とか、と6人くらい漫才劇場の漫才師も入った、若手中心の30分くらいのミニ新喜劇なんです。NGKでは見せてない顔なんで…ぜひ。

―熊本出身の縁で座長を務められましたね。(1月6日~8日「新春スペシャル公演~くまモンからのお年玉」)

やらせてもらいました。これは会社の方からいただきまして。ありがたかったですね。くまモン、かわいいですよぉ。
(芸達者ですよね)
空気読めるし…(笑)。いい経験させてもらいました。いろんな人に助けていただいて、軸になってボケさせてもらいました。お話自体はある程度できていたんで、味付け程度のことですが、打ち合わせにも行かせていただいて。ゲストの方や川畑さんに助けられながら、何とか。
(どんな感じのキャラで?)
ま、熊本弁のキャラクターなんですが。くまモンの時はずっとそのキャラクターで行かせてもらったんです。ただ、熊本弁でしゃべってるだけなんですが。例えば、「なんばしょっとですかね?」とか、ギャグが訛っていると突っ込まれた時に、「なまっとらんたい、そぎゃんこと言われたらたい、ショックたい、胃が痛いたい、イタイタたい」。みたいな。
(タイタイが面白いですね~)
ありがとうございます。でも実際にはお芝居が一番なんで。お芝居をくずしてまでは、なかなか出来ないです。

―持ちギャグより、やっぱりお芝居が大事?

お芝居あっての新喜劇やと思うんですけど、キャラクターあっての新喜劇というところもあるんで、難しいところですね。でも、ボケることは大事にしていこう、じゃないと目立てへんな、と思いました。お芝居を大事にしてても、このままやったら、ヤバイな、と。もっと目立つことを考えていかんと、と。結局、なんやかんや言うても。ある程度図々しくボケていってる人が伸びてると思うんで。
(性格的に遠慮がち?)
遠慮がちやと思います。たぶん。タテ社会に弱いんかも知れないですけど。かわいらしく図々しく行けたらいいと思うんですけど。

―話は変わりますが、安井さんといえば、駅伝がお好きとか。

もうメチャクチャ好きですね。
(お正月の箱根駅伝だけじゃなく?)
初めは箱根だけやったんですけど、箱根駅伝を見るためには、データを収集するために、高校駅伝を見出すんです。野球のドラフトみたいなもんで。この高校のこの選手がこの大学に行く、ということは来年こんなチームになるのか、と。高校を見るためには中学から見出すんですよ。これはチェック程度なんですが。中学、高校、大学となると、社会人駅伝も見出すんです。大学の選手が卒業して社会人になってるんで。そっちの方に目が行きだして。女子は女子でまた面白いんですよ。男子と違うレース展開で。だから、もう…ほんと好きですね。
(いつ頃から駅伝好きなんですか?)
これはねえ…小学生の低学年の時やったと思うんです。だから記憶もあいまいなんですが、早稲田大学の、今、城西大学の監督をやっている櫛部静二さんという方が、1年生の時に2区に抜擢されて1位で襷(たすき)をもらって、途中でふらふらになりはったんですよ。(箱根駅伝で「世紀の大ブレーキ」と語り継がれる25年前のレース)親父と見ていて、その選手は最下位手前の14位で、なんとか襷を渡して。その当時のキャプテンが5区の山登りで、何人か抜いて行ったんですよ。それを見て、カッコいいなと。そっからですね。そういうチームワークが好きなんでしょうね。
(それ以来、ずっと?)
中学高校くらいの、遊ぶのが楽しくなった時は見てない時期があったんですが、18歳くらいからまた見はじめて。それ以来ずっと。今唯一ちょっと悲しいことがあるのは、正月忙しいのが…。ありがたいことなんですけど。駅伝をじっくり見る時間が…。
(現地に応援に行くという気持ちは?)
全くないです僕。全くないんですよ。行きたいんですけど…
(行ったらそこしか見られないですしね)
そうなんですよ! 以前、大阪で世界陸上があった時に、女子マラソンの土佐礼子選手が銅メダル取った時(2007年9月)、あの時はスタジアムに見に行ったんですよ。それはそれで楽しかったんですけど。やっぱり、駅伝になると…。SMAPの中居さんが箱根のホテルで選手が通るのを応援…みたいなのが、テレビも観られるし「最高やな!!」と思って。いつか、チャーリー師匠くらいになれたら、そういうこともやってみたいな、と。夢ですね。
(駅伝新喜劇っていうのはちょっと難しい?)
いや、でも僕ね、いつかやりたいと思ってますんで。ボケもこんなんやったらいけるかなと。
(あ、もう考えてはるんですね!)
それこそね、走るだけで面白い藍ちゃんもいますし、オクレ師匠もいますし。いっぱいボケは生まれてくると思うんです。町内の駅伝大会が舞台やったら誰でも出れるでしょうから。やるにはまず僕の知名度を上げんと。それか駅伝がむちゃくちゃブームになってくれるか。駅伝の人気もだいぶ上がってきてるんで。
(今年は青学が強すぎて。完全優勝でしたね)
1区で決まったんですよ。ただ、あの選手は熊本の選手なんで応援はしてたんですけど。
(駅伝の魅力は?)
チームワークですかね。ひとつの襷を出来るだけ早く、どのチームより早く…そこにいろんな戦略があるわけじゃないですか、チームによって。その作戦の勝負なんですよね。あっちのチームはこの選手をこの区間に置くだろうから、こっちはどうにかついて行って次で勝負だ、とか。こっちの選手も自分が1番じゃないにしろ、「僕の仕事はこれだ」と全力で走る。その必死さがかっこいいですよね。新喜劇も似てると思うんですよね。チーム戦だからこそ出せる、面白味。漫才、落語、コントでは出せない笑いだと思うんで…。新喜劇の笑いは新喜劇でしか見られない、と思います。
(新喜劇をやめようと思ったことは?)
やめなあかんのかな、というくらいですかね。向いてないのかな、無理なんかな、それなら帰って親孝行したほうがいいかな、くらいの感じ。辞めたいと思ったことはないですね。なんやかな、みんな優しいんですよ。

2016年1月12日談

プロフィール
1982年1月28日 熊本県生まれ。2002年4月 NSC25期生。