第79回 谷川友梨

不登校の時でも、新喜劇見たら元気になるし、笑ってたら楽しくなるし…。


―愛知県のご出身ですが、新喜劇はご覧になっていましたか?

私は愛知県の常滑市で育ったんですが、そこでもずっとテレビで「よしもと新喜劇」をやってまして。小学校の高学年の時、クラスの男子が「面白い、面白い」というので、見るようになって。土曜日は必ず、学校から帰ったら新喜劇という感じでした。そこから興味を持ち始めて、石田靖さん、吉田ヒロさんに憧れて、中2の時にはもう、「絶対、吉本に入ろう」って思ってたんです。
(そんな早い時期から…)
けっこう早かったですね。卒業文集にも書いたと思うんです。高校卒業してから1年間アルバイトしてお金を貯めて、大阪に出てNSC26期に入ったんですが、藤崎マーケットや天竺鼠、かまいたちとか和牛とか、そうそうたるメンバーがいました。その当時は、漫才もやってみようかなと思って、女の子とコンビやトリオを組んだりしてたんです。NSC在学中に、新喜劇のオーディションがあって、それを一度受けているんです。金の卵になる前のことで、研究生という形で19人受かって、4か月くらい発声やお芝居の授業があって、最終的に新喜劇の舞台を作って、吉本の社員さんが見るというオーディションだったんです。19人中4人が受かったんですが、私は落ちた側で。絶対受かるつもりでいたので、この世界でどうしようかなと悩んでいた時、ちょうど大木こだまひびき師匠の男の子のお弟子さん(大木はんすけ)が女の子の相方を探しているというので、そこから8年間、漫才をやってたんです。
(どおりでNSC卒業後が長いなあと思ってました。この春から芸歴15年目ですね)
そうなんです! すごい芸歴の長い9個目で…(笑)。
(当時のコンビ名は?)
漫才の漫に天井の天で、「漫天」。ずっと前説ばっかりでしたね。世には知られてないけど、芸人さんにはよく知られてて、いろんな先輩から可愛がっていただきました。

―コンビを解散されたきっかけは?

私に「新喜劇のオーディションを受けてみたい」という気持ちが芽生えて来たんです。単独ライブもたまにさせていただいたんですけど、本公演に出られる機会はほんとに少なくて。後輩もどんどん出て来るし、その後輩にどんどん抜かれて行く状態で…。このままずっと前説をし続けるのかなと不安になった時、「もう一度新喜劇の世界を目指したい」と思って。相方はその気持ちに気づいてなかったので、「そろそろ単独ライブせなアカンな」と普通に言われた時に、「実は新喜劇受けようと思ってるの」と正直に話したんです。何でも話せる間柄だったんで。そうしたら「まあ、いいんじゃない?」と言ってくれまして。その時、大阪は金の卵6個目、東京でも同時開催でオーディションがあったんです。もともと私自身、東京への憧れがあって、一度行ってみたいという気持ちと、お世話になってきた先輩やこだまひびき師匠に甘えないで、自分の力だけで頑張ってみたいという思いもあって、東京の新喜劇に決めたんです。でも、東京の新喜劇は1年半でなくなってしまって…。大阪では新喜劇の地方公演ってすごく多いんですけど、東京ではないし、「東京グランド花月」という、大阪の「なんばグランド花月」の舞台を持ってくる時も、東京のメンバーは出られないので、複雑な気持ちでした。こんなに新喜劇がやりたい気持ちがあるんだったらって考えた時に、もう1回大阪に戻って、新喜劇のオーディション受けて頑張ろうって、金の卵9個目を受け直したんです。
(ずいぶん紆余曲折を経て、新喜劇に入られたんですね)
自分でも気持ちがふらふらしてると思うんですけど。でも、お笑いがやりたいとか新喜劇がやりたいという気持ちはずっと貫いているかな、と。

―それほどずっと魅せられてきたお笑いの魅力というのは?

実は私、中学の時、あんまり学校へ行ってなかったんです。不登校だったんです。中1の終わりくらいから行かなくなりまして。それでも、新喜劇だけはテレビにかじりついて絶対見てました。毎週土曜のお昼の時間がすごく楽しみで。笑ってたら嫌なこと忘れられるというか。私はいじめられてたとかいうのではなく、なんかこう、うまく行かない自分の葛藤だったり、こうしたいのにこれはダメという大人の世界との軋轢を感じてて。そんな時、新喜劇見たらすごく元気になるし、笑ってたら楽しくなるので、これを自分が出来たらといいなと思って。
(中学1年で大人との軋轢を感じるというのは、とてもセンシティブな…)
たぶん(理由は)大したことないと思うんです。私もその時の記憶がなくて。学校生活や友だち関係や勉強とか、いろんな思春期に抱えるものの直撃を受けて、嘘の自分としてその場にいるのが嫌になったんですね。
(正直者ですね)
逆に言えばそうかも知れないです。でも行事ごとは全部参加してました。楽しいことが大好きだったんで、修学旅行とかキャンプも全部行ってましたし。
(ほおお~)
修学旅行の実行委員をやったり、なんかうまいことやれてたんです。校内でやる合唱コンクールも3年間ずっと伴奏をやってたり。目立つのが好きだったんですね。私が学校に行かないことに対して、いろいろ思っていた人はいたでしょうけど、みんな優しかったんだと思います。思ってても受け止めてくれたから、行事には出て行けたし…。
(良かったですね。今、不登校になる人も多いですから。高校では?)
なんかお笑いと全然関係ない話になりますけど…。
(大丈夫です)
中学の卒業式で不登校だったことを反省したんです。なんかもっと行っといたら良かったって、ようやくその時に思いまして、高校は全部行こうと。絵とか大好きだったので、デザイン科のある高校へ行って、演劇部に入ってました。そこでは皆勤賞取りました。高3の時には生徒会長もやって…。
(学生生活をエンジョイされて?)
そうでしたね~楽しかったです。勉強もせずに絵を描いたりとか、物作ったり。それがすごく合ってたんだと思います。

―長い間お笑いを目指して来られて、支えは?

先輩たちの力ですね。売れてる人ほど優しいってすごい思うんです。売れてない時代を経験しているので、気持ちをわかってくださる。いろんな先輩がアドバイスをしてくださったり、その言葉に支えられてきましたね。こだまひびき師匠にはずっとかわいがってもらってます。正式な弟子ではないんですけど、私は師匠だと思ってますし、お2人も「弟子やと思ってる」と言ってくださって。そういう存在はメチャクチャ大きいですね。何かある時には絶対相談しますし。今週は劇場でご一緒させていただいているので、自分が出てる姿を師匠に見せられるのが、すごくうれしいですね。あと、大阪って特にあったかいなあと思うんですけど、ほんと家族のように迎えてくださる方が多くて。私が東京に行っていた時も、たまに大阪に帰ってきたら、みんなを集めてくださったり。大阪にも家族がいるみたいです。

―初舞台は覚えてますか?

金の卵9個目は昨年10月から舞台に出れるようになって、私は11月に西梅田の吉田裕さんのリーダー週でようやく出させていただきました。一番最後に登場する役で、一言しかセリフがなくて。その時はすごくショックだったんです。東京ではもっとセリフを頂いていたので、「この一言か…」と思ったんですけど、その一言がすごく難しくて。愛知県の出身なので、関西弁のイントネーションが難しいんです。「お店開いてますか?」の一言だけなんですが、最後のオチで使われるので、絶対外せない。すごくナメてた自分が恥ずかしくなって…セリフ量じゃないな、と。
(その後は?)
オープニングの役が多いですね。東京の新喜劇では、ほとんどオープニングの芝居をやったことがなかったので、すごい勉強になってます。若手の登竜門じゃないですけど、オープニングが一番難しいです。すごいテンションでいきなり「あ~美味しかった!!」とか。それを本当っぽく見せないといけないのがすごく難しいな、と。あと、私は人を叩く役が多いんです。お盆だったり、カバンだったり、バケツだったり。それも難しいですね。バケツも堅いところに当たってしまって、先輩痛そうやな~とか。お盆は音を出すために2枚をしっかり持ってないとバラバラになるし。カバンは距離感が難しいので、空振りにならないように気を使います。
(恋人役とかも?)
辻本さんの週では、ヒロイン的な役もいただいたりしてますが、辻本さんが絶対いじってくるんですよ。普通ヒロイン役の人っていじられることはないじゃないですか。でもそれが一つのネタになって、ずっと続いて、「お前何回言ったらわかるねん!」って、笑いにつながる。すごくありがたいですね。顔もいじられてます。ハ虫類顔とか、スナフキンに似てるとか。東京の方ではウルトラマンに似てるとか、ウルトラの母とか言われてました。顔の形が丸いからだと思うんですけど。自分でも中途半端な顔だと思うので、どんどんいじってもらいたいです。

―念願の新喜劇に入られて、一番うれしかったことは?

NGKの舞台はテレビ放送があるので、小さい頃からテレビで見て来た新喜劇の中にいるというのはうれしいですね。テロップに自分の名前が載ってるだけでもうれしい。愛知県にいる家族に見てもらえるのもうれしいです。祖父と祖母が私の姿をテレビで見るのを楽しみにしてくれているのでありがたいな、と。
(ご家族は最初から応援されてました?)
父は「まあいいんじゃない」と言ってくれたんですが、最初、母はすごい反対でした。私が、あまりにも聞かなかったので、ある時、怒りながら「そんなに言うんなら行っといで!」と言ってくれて。母は1年くらいで帰って来ると思ってたらしいですけど、思いのほか結構長く続いてしまっているので。そのお母さんも4年前に亡くなって…。私がテレビに出てる姿を見せられなくて残念だったな、と。でも今は応援してくれてるかなと思います。

―これからどんな新喜劇女優さんを目指されますか?

9個目のオーディションの3次審査の芝居審査がある前に、ちょうど小籔座長とすっちー座長がいらっしゃって、面談みたいなのがあって、「どんな座員さんになりたいですか」って聞かれたんです。その時、「あき恵姉さん、やすえ姉さんみたいにお芝居が出来て、マドンナもお母さん役も出来て、ボケもツッコミももちろん出来る。そんなオールマイティな女優さんになりたいので、芝居の部分をしっかりやりたいと思います」と答えたんです。まだ恐れ多くて言葉に出すなんて申し訳ないくらいなんですが、憧れですね。あき恵姉さんはボケのところは、きっちりボケて、その後の泣きのシーンでは、グッて芝居に入られるじゃないですか。あそこの切り替えがすごいな、と。ブログもやっていらして、朝、あき恵姉さんが来られたら、若手座員で写真撮るのが決まりなんです。その日のあき恵姉さんを撮って、撮った側の座員も撮ってくださる。それが「あき恵ちゃんのチョベリグ日記」に毎日UPされてます。お姉さんが優しいのが助けになるといいますか、一度東京へ行ってまた戻って来るのは勇気がいったんですけど、温かく迎えてくださるお姉さん方がいらっしゃるのはありがたいです。

―この先もずっと新喜劇を続けて?

そうですね。やって行きたい気持ちと結婚、出産したいという気持ちも両方あるので、これをどう折り合いをつけて行こうかと…。まだ相手がいないんですけど、相手がいないのに悩んでるっていう(笑) そこの夢は捨てたくないので…。最近の芸人さんは結婚したら辞める人も多いんですけど、私はこの世界にずっといたいと思っています。

―最近、ハマっていることや興味を持っていることは?

実は昨日亡くなったんですけど。カブトムシを毎年飼っていこうと思ってます。
(カブトムシ?)
昔、小さい頃飼ってたので、全然違和感なく飼えるんです。私、猫が大好きなのに、猫アレルギーなんです。なので、毛のある動物はなかなか飼えなくて。カブトムシだったら毛がないので、可愛がれるというか(笑) 至福の時でした。餌あげる時とか、絶対威嚇してくるんですよ。
(でも、カブトムシって時期が決まってますよね)
そうなんです。夏しか無理なんで。成虫になってから1か月半くらい。今回はけっこう生きました。
(幼虫から育てて?)
今年は幼虫が手に入らなかったんで、成虫からだったんですけど。幼虫からだと3か月間とか。
(カブトムシのいない時期は?)
ハマってるのが韓流ドラマです。新喜劇女優、皆さん1回はハマってるんですよ。だからいろんな面白いドラマを教えてださったりとか。あとはDVD見たり、1人で映画館行って、1人で泣いてたり…。アウトドアとかも結構好きです。夏はこの間も9個目の同期と一緒にラフティングへ行きました。去年も行ってたんですけど。外に出かけるのが好きなので…。 (ぜひ、アウトドアで素敵な方を見つけてください)

2018年9月10日談