第53回 たかおみゆき

ほんとはね、アイドル歌手になりたかったんですよ(笑)。


―NSCの7期生ですが、いつ頃からお笑いを?

もともとお笑いを見ることが多くて、小学校ぐらいにさんまさんを見た時に「なんだ、この元気な面白い人は?」というきっかけからお笑い好きになりまして。ダウンタウンさんが心斎橋2丁目劇場に出られてた時に、高校生だったんですよ。見るだけじゃなくて、「私も出たい!」と思った時、ちょうどNSCの募集をやってたんですよ。それでNSCに行ったという感じです。
(高校生の時ですよね。授業料はどうされたんですか?)
その時はまだ安かったんですよ。いくら払ったのかな? 忘れてしまったんですけど、当時は月1万円ちょっとと、入会金7万円くらいでした。自分でアルバイトして、お金貯めて行きましたね。
(同期は雨上がり決死隊さん、なるみさん、安尾信乃助さん…)
そうですね。NSC時代は高校の友だちと一緒に入ったんですよ。その友だちが辞めて、NSCの中でまたコンビを組んで。ネタ見せの時間があったので、コンビ組んだり、1人でやったり。演技の授業もあったり。

―当時、高校生は?

私ともう1人とトゥナイト(1999年3月解散)くらい。少なかったと思いますね。
(ご両親の反対は?)
親は昔から芸能界好きやったので、母親は賛成だったんですけど、父親は私には「ええで」と言ってましたけど、母親には「あんまりやって欲しくない」と言ってたみたいです。
(学校は?)
学校の反対もなく、自由な感じでした。高校2年生でNSCに入って、高校3年生の時にオーディションを受けて、新喜劇に入ってたんです。午前中授業に出て、午後は梅田花月とかの出てた感じでした…。
(高校生ですごいですね~)
今思えば。その時は何にも考えてなかったんですけど。

―初舞台は記憶にありますか?

高校生役をやったような記憶があります。何年か後の舞台で、島木譲二さんとカップル役をやったとか、断片的に覚えてますけど、入った当初のことは覚えてないですね。訳がわからずに舞台に立って、先輩のお世話もしてっていう感じでしたね。入ってちょっとして、「やめよっカナ? キャンペーン」があったんです。これから違う新喜劇にするぞ、という話をされていたような記憶があります。1回、辞めて10年ちょっと普通のOLをしていたんで、「元座員」の頃の話ですけど。戻る時にも一からということで、入っているので…。

― 一度辞められたんですね。

けっこう舞台には、立たせてもらえてたんです。芸も何もない私が、何で舞台に立たせてもらっているんやろ?と。だんだんそんな気持ちになっていって、何にも身についてないやん、と。何か身につけたいと思って、落語が好きになって、落語家になりたいと思ったんです。
(新喜劇に入ってる時に?)
落語の桂枝雀師匠の舞台を見た時に、すごいなあ、と。人間的にもすごい人やなあと自分の中で思いまして…。「この人の弟子になりたい」と思ったんです。弟子入り願いに行くには、吉本に入っていたらダメじゃないですか? だから、高校を卒業すると同時に、吉本を辞めたんです。
(それがきっかけだったんですね)
で、辞めまして、師匠は吹田に住まわれていたので、自分もその近くに住まなあかんとか、自分の中で精一杯考えました。吹田に住むにはお金がいるから、バイトしよう、と。アルバイトニュース見てたら、松竹の中座の事務員さんの募集があったんです。どうせなら芸能に絡んでいる方がいいわと思って、アルバイトしていました。私は枝雀師匠のところに行きたいと思っていたので、休みの日にはずーっと師匠の公演先を回って見てたんです。次第に顔を覚えてくださって、喋ってもらえるようになって、「僕は女の子は落語家になれないと思ってます。落語家になりたいなら、女の子の弟子を取る方のところに行きなさい」と言われて断念したんです。その時、中座の仕事で社員化の話があったので、社員になってしまったんです。
(ほかの師匠のところには行かず?)
やっぱり、枝雀師匠というのがあって。つくなら枝雀師匠がいいな、と。
(諦められたんですね…)
後になって、師匠が亡くなられてから、あるお弟子さんが師匠のことを書かれた本の中に、横縞のシャツを着た女の子が弟子にしてくださいとずっと来てた、と。2回断わったけど、もし、もう1回来たら、「僕は取るつもりやった」と師匠が言っていたとあったんですよ。それ、私のことやったんですよ。その時の衝撃といったら…。
(それは…!)
ショックですよ! ものすごく残念な感じでしょう?
(もったいないですね~)
そうなんです。そんなこともあって。

―その後は?

事務のOLを10年くらいやっていたんですが、やっぱり舞台に立ちたいというモヤモヤが、ずーっと残ってました。新喜劇の舞台を見た時に、やっぱり新喜劇っていいな~て。昔の記憶が残ってますから。モヤモヤがピークになりまして、それで、NSC時代にお世話になった富井(善晴)さん(NSC初代校長)にお手紙を書いたんです。「じゃあ一度会いに来なさい」と言われて、会いに行ったんです。そしたら、「君、新喜劇入ってたなあ、新喜劇やりたいか?」「やりたいんです」とお願いしたら、「新喜劇の偉いさんを紹介したるわ」と言われて、面接してもらって、そこからまた。

―高校時代の1年あまりの新喜劇がそれほど印象的だったんですね。

新喜劇ってすごいところで、皆さん台本もらったとたんに動かれてて、私たちはセリフもようしゃべらん、動こうにもどう動いていいのかわからんのに、師匠方はパパッと覚えてすっと自然に動かれる。すごい方たちやなあ、と。ある時、島木譲二兄さんとカップル役で、3組のカップルの1組やったんです。そこで、兄さんが「舞台の上でチューしたらウケるで!」という話になったんですよ。私にはわからないじゃないですか。「あ、ウケるんや!」と。「普通はホンマにせえへんやろ? ホンマにしたらウケるで」って言われて、私、ホンマにチューしたんですよ。あははははは(笑)。
それが私のファーストキスやったんですよ。がははははは(笑)。
(え~っ!? やっぱり…)
「ウケたやろ?」「そうですね~」ってなったんですけど、次の日からそこはカットになりましたね(笑)。譲二兄さんは「若い子とチューしたかっただけやろ!」ということになって…。
(嫌じゃなかったですか?)
一瞬、嫌やなと思ったんですけど。でもまあ、先輩にも言われてますし。
笑いが取れるって言われたら、「あ、そうなんや!」と思って。イノシシみたいな感じで、やりましたね。
(弟子の件といい、猪突猛進型ですね)
そうなんですよ~、イノシシみたいにぱ~って行くんですよ。イノシシ年なんです(笑)。
(え! ほんとにそうなんですね)

―10年後の新喜劇は、随分変わっていたと思うんですけど。

全然、違いました。以前は山田花子さんとかがいらした時代で、タテ社会が厳しくて、若手は楽屋の中で何にもしゃべれないような空気でした。今は先輩方もフランクにしゃべってくださるし。
(舞台も変わったんじゃないかと思いますが)
私もう、精一杯でやってますから。自分のことしか見えてないので、変わったのかどうかわからないですね。梅田花月の空気感もあまり覚えてないですし。
(そういう意味でも一からですね)
ホント、一からです。自分では良かったな、と思います。前に居たからでは、ダメやったと思います。いろんな面で一からで良かったです。楽屋のことも全部一からですし。

―戻ってこられた舞台ではどんな役どころを?

戻ってきた時は3枚目で、ブサイクネタとかカバンでどつかれたりとか、けっこう叩かれたりとか、殴られたりすることが多くて。バケツで殴られてバケツをかぶせられたり。ケガしたことはよく覚えてますね。見えないところでいろんなケガしましたよ。階段から落ちたり…。

―カバンのプロだと聞いたことがあります。

カバンで顔面を叩かれることが多かったので。一番最初は道具さんが用意してくださったカバンを使ってたんですが、チャックがついてるじゃないですか。そこに「カーン」って当たると、それでケガしたりするので、自分で全部金具取って、自前でカバン作ろうと。顔に当てられた時に「パーン」ってけっこうエエ音が鳴るか。茂造がカバンを蹴る時に、セットを超えてホームランになるか。越えないカバンはダメなので、越えるのとエエ音が鳴るかというカバンを探してました。6~7個くらいあるんです。カバン。
(毎日2~3回蹴られるわけですよね~)
1週間舞台があったら、中日(なかび)で中身の新聞紙を入れ変えてました。中日で入れ変えて、いい音が鳴るように収録の前にも入れ変えて。
(カバンの寿命は?)
あんまり長く持たないんですよ。傷つけられるじゃないですか。すると、布素材なので音が鳴らなくなってくるんですよ。早ければ半年くらいで。

―戻られてから、丸17年経ちます。いつ頃まで叩かれる役を?

2年前くらいまでは叩かれてましたね。今は叩かれるのも若い子になりましたね。最近は、オープニングのお客さん役が多いので、もっと芝居に絡む役をやりたいなというのが自分の中であるんですけど、なかなか。せっかく戻って来たので、もっともっと自分も勉強せなあかんなと思います。
(どんなお芝居が好きですか?)
ハチャメチャな感じの芝居が好きですね。お客さんがドキドキハラハラして見られるようなスピード感のある芝居が。舞台に立っている方も楽しく出来るのがお客さんにも通じるんじゃないかと思います。新喜劇は45分の間で小さいお子様から年配の方まで、わかって笑えるというのは、なかなかないと思うんです。そこが魅力というか、すごさだと思いますね。新喜劇はこのまま不滅なんやろなと思ってます。地球がなくならない限り(笑)。勉強せなあかんなと思います。

―プライベートでの趣味とかはありますか?

歌が好きなんです。おじいちゃんのバンドみたいなのがあるんですよ。ベースやギターを持って。そこにたまに歌いに行きます。みんなそれぞれ都合があるので、しょっ中は行けないんですけど。楽器の好きなおじいちゃんと歌が好きな私という感じで(笑)。
(どんなきっかけで始められたんですか?)
竹本浩三先生のお知り合いの方がバンドマンでいらして、そこからの紹介です。
(どんな曲を?)
オリジナルは少ないんですけど、「亜麻色の髪の乙女」とか。カラオケとかも好きで、1人で行くほど歌は好きです。
(五十嵐サキさんも1人カラオケで感極まって泣くこともあるとか)
はははは五十嵐さんも? それありますね。1人で歌って、自分が「う~っ」ってなってる時は、自分ひとりで泣くとか。しますね。
(ストレス発散ですか?)
歌が好きなので、歌っているのが楽しいんです。
(歌手を目指されていたわけではないですよね?)
これが、本当は…すみません、本当はですね、幼稚園の時、アイドル歌手になりたかったんですよ(笑)あははははは。
(やっぱり!)
中学くらいまでそういうことを思ってまして、中学生くらいで自分の外見に気づき出しまして、「あ、アイドル無理やな…」と思って(笑)、テレビとか見てて、お笑いがええなって。芸能界にもともと興味あったんです。
(実はアイドル歌手志望…)
実はそうなんです。ピンクレディーを見て、明菜ちゃん、聖子ちゃん見て…。うふふふふ。自分もなろうと思ってました。歌はこれからもずっと趣味で続けて行きたいなと思ってます。

―お酒もお好きだとか…。

忘れてました! 趣味の世界を越えてました。お酒は(笑)。今、毎日飲んでるんですよ。健康診断の結果が悪かったらちょっと止めようと思ってたんです。いろんな先輩から「休肝日も作らなアカン」とかアドバイスもらって、「そやな」と思うんですけど、飲んでしまうんですよ。「アル中や」と言われながら、飲んでまうんです。健康診断の結果が悪かったら止めようと思うんですけど、これが、いいんです。結果。あははははは(笑)。
(いいじゃないですか~)
Aなんですよ~。2年前の結果はCとかDとかあったんです。ヤバイなと思ってたんです。でも病院に行く機会がなくて、ウォーキングがいいって聞いて、ウォーキングしだしたんです。そしたら次の年にAになりまして。ウォーキングの効果で。だから、ウォーキングも趣味です。半身浴も。
(身体にいいことされてますね。お酒は何でも?)
ビールが一番好きですね。日本酒とかお酒の匂いがするやつはダメなんです。
(量はどのくらい?)
スナックでアルバイトしてるんですけど、小瓶6本とかは軽く飲んでますね。家では、500mlを6缶。で、先輩方から「ちょっと飲みすぎやで」と言われまして、今は350mlを6缶。
(やっぱり6缶なんですね(笑))
ふふふふふ。1パックっていうんですか。冷やしたら、飲んじゃうんです。食べるのも食べます。自分で作ることもありますが、公演とかで遅かったりしたら、お持ち帰りで。昨日もようけ食べました。「中央軒」の長崎ちゃんぽんとギョーザを、一緒に住んでる母の分と2人前買って…。ご飯が残っていたので、それも食べました。それで次の日、ウォーキングです。
(ウォーキングはどのくらい?)
1時間くらいですね。当てもなく、街中を徘徊してます。
(お酒が美味しく飲めるのはいいですね!)

2016年11月15日談

プロフィール
1971年9月3日 大阪府生まれ。1988年 NSC大阪校7期生。