第73回 音羽一憲

素人出身なので、この中で生きていけるのかな、と思いました。


―もともとお笑いを目指されていたのですか?

中学校の頃、父親の仕事の関係で大阪から福岡に転校した時、友だち作りのきっかけに、先生のものまねとかしてたんですよ。それをホームルームで発表する機会が出来て、そこから校長先生のものまねとか、生徒会長のものまねとかをやって、友だちを作ってたんです。で、東京の大学へ行った時のバイト先に、元芸人さんがけっこういて、その人たちから「芸人になったらいいのに」とは言われたりしてました。その後、テーマパークの裏方のアルバイトをしていた時に、自分が休憩時間に遊びでやっていたネタを、キャストが実際のショーで使ってたんですよ。それを見た時に、自分が表でやりたいなと思って。たまたま新喜劇の金の卵1個目のオーディションをテレビでやっているのを見て、2個目のオーディションがあったら、受けようと思ったのがスタートですかね。
(ご出身は大阪ですか?)
生まれは大阪です。大阪府内でも転校してるんですけど、小学校に入る前と入ってから、中学校でまた戻って来る、みたいな。友だち作るのは笑ってもらうのが一番なんですよ。
(人生経験の中から身についたお笑いなんですね)
(笑)そんなカッコいいもん違いますけどね~。

―金の卵2個目のオーディションはどうでしたか?

自分の中ではどっか記念受験みたいな部分もありました。ネタ披露はモノマネしました。実はオーディション会場に入ったら、向かい側の社員の席に、僕の高校1年の時の同級生が座ってたんですよ(笑)。絶対落ちた! と思ったので、「何か言うことありませんか?」と言われた時に、それだけは伝えておこうと思って。手を挙げて「高校の同級生です」って言うたら、何故かメッチャウケました。お互いそんな仲良くなかったって言うのもあって、「何で受けてんねん」って言われるし。
(オーディションで笑いを取るってなかなかないですからね)
笑いを取ったっていうより、「そんなことある?」みたいな感じで。そんなんで引っかかったのかな~って。
(演技のご経験とかは?)
まったく、ないです。ほんまに小さい頃、新喜劇見てたくらいですかね。

―新喜劇は未知の世界だったと思いますが。

最初、入団して、ずっと2個目だけのレッスンがあったんですけど、まず、お笑いのルールを知らなかったので。毎回レッスンの前に、面白かった出来事のフリートークをしなくちゃいけないんですが、「振れてないし、落ちてない」ってずーっと言われ続けて、「フリってなんやねん」「オチってなんやねん」って、ひたすら苦労してました。自分がオモロイと思って友だちを笑かしてるのと、実際に人前でしゃべることの違い、ですね。ここで笑かしたいから、あらかじめ振る、というのを全く知らずに、普通の会話として楽しんでいただけで。自分が面白いと思ってたことなんて、プロから見たら何にも面白くないんやと、痛感させられました。
(2個目のレッスンは厳しかったとか)
割と厳しかったイメージありますね。毎週、新しいコント作って発表して、フリートークがあって。でも初めて劇場に出た時に、他の兄さんとか若手の先輩から「レッスンは受けてなかった」って聞いたので、ありがたいことなんやなと思いましたね。
(ライブの券売のノルマもあって…)
あ~ノルマね。地獄でしたね。お金ないんで、後で返そうと思って割とみんな使い込みしちゃうんですよ。ずーっと通りでチケットを売るんですけど、訳わからん外国人とかにも売ってましたもん。ある時、売り方をちょっと工夫した方がええんちゃうかと、画用紙にマジックで「卵ライブ、チケットあります」って書いたら、ダフ屋と間違えられて。売れるどころか怒られるっていう…。
(あははははは)
今思い出してもキツかったですね。買ってくれそうな人が「後で来るわ」と言うのを信じて2時間待って、帰って来なかったこともありました。

―初舞台は覚えてますか?

覚えてます、覚えてます。2月やったと思います。食堂に来て、主人の烏川さんのお姉さん役やった由美姉さん見て、「ぎゃあ~化けもん!」って叫んでハケる役です。10秒くらいの役でしたね。
(叫んでハケるだけというのも難しいですよね)
ほんとに難しくて。「コケ方が下手」とか、「もっと声出せ」とか、ダメ出しされました。メッチャ覚えてますね。

―印象に残っている舞台は?

そうですね、祇園花月で1週間スベり続けた舞台とか(笑)。その当時、祇園が出来たばっかりで、1日1回、全部で9ステージあったんですが、何を言ってもダメ。平田健太が初舞台の週で。先輩として申し訳なかった…。
(高井さんのリーダー週ですか?)
そう、それです! まさにその週で。最初は2人用のネタ作ったんですけど。平田が「ツッコミやったことないから、出来ない」ってなって。じゃあ、俺がツッコむからボケてって言ったら、平田が緊張しすぎて…。次に動きのあるやつで作ろうとしたら、また緊張して…ずっと不発で。土曜日ぐらいまでは地獄でしたね。ずっと焦り続けてましたね。「こんなに難しかったっけ?」と思うくらい、それが平田のデビューなんです。
(でも、本人は前田まみさんと一緒で引っ張ってもらったって…)
えっ!? あれ? あいつ、アホですからね~。普通あんだけスベったら、忘れられないと思うんですよ。すごく緊張が伝わって来て…カバンを開ける作業が出来なかったんですよ。1日1ステージなんで、次に同じネタを持って来れない。また新しいネタ覚えないといけない。それが平田にしたら、プレッシャーなんですね。あれはちょっと辛い思いさせたな、と。
(でも、本人がね~覚えてないみたいでした。そんなスベった話とか出てなかったですよ)
ええ~っ!? ウソでしょ? メチャメチャスベったよ、あれ。

―ネタを作られるタイプ?

作っていくのは好きですね。チーム戦は好きなんですけど、みんなで作るのは苦手なタイプかも。4人で話し合うと、何も決まらないんですよ。清水啓之さんとオープニングを一緒にやる時は、お互い1本ずつ作って、どっちがいいか、決めてます。それを良くするためにどうするかを考えていきます。作るのは好きですね。オープニングって独立してるので、そこでしか表現する場所がないので。かと言って「かわいいな~」「いややわ~」で、カバンでどつかれるのも嫌いなわけではなく、好きですし。回しとかは、すごいな~と思うんですよ。圧倒的にその辺、足りてないんで。

―新喜劇の中で音羽さんが目指されているのは?

新喜劇やったら50分出ずっぱりにならないと意味ないかな~と思ってます。ツッコミ、廻しとかコケ、今は何でもいい。ツッコんでても楽しいし、ボケてても楽しいし。その一方で、ネタは考え続けていきたいですね。今やってる新喜劇の座員のものまねや、あるあるとかを作って、その辺をもうちょっと外に出せたらなと思ってます。昔、エンディングのコーナーとかで、師匠方とか、先輩方のものまねというか、あるあるなんですけどやっていたんです。もともとはイベントのブリッジ用に作っていたのが、社員さんがその部分だけでイベントやってもいいよ、といってくれはって。何が似てるっていう訳じゃないんですけど。今田耕司さんの掘り出し芸人ライブに出させてもらった時、「宴会でやれ!」って言われたんですが、僕は最高のホメ言葉やと思ってます。絡んだことない若手とラジオに出た時もそれで覚えてもらってた人もいるので…。

―11年目ですが、これまでお世話になった先輩は?

あります。石田靖さんに特にお世話になってます。あと、松浦真也さん、吉田裕さんとか、若手の方にも。
(石田さんにはどんな?)
大っ嫌いやったんです、僕。最初の頃、会うたびに、「いつ辞めんねん?」って聞いてくるんですよ。仕事ない上に座長級からそれ言われたら、ヘコむじゃないですか。そのくせ「携帯番号教えて。おもろないけど、誘うわ」って、ほんまに誘ってくれはるんですけど、行ったら、当時ギターを持ち始めた松浦さん、石田兄さんと3人で、僕は相槌しか打てない。しゃべろうとしても「声ちっちゃい」とか「いつまでやるねん、お前」とか。で、ある時、誘われて、「予定入れてます」って、嘘ついちゃったんですよ。そのタイミングで中田はじめさんが「晩飯行くか?」って誘ってくれはったんで、渡りに船で。劇場終わって、ご飯食べに行った先に、石田さんおるんですよ。その日の帰り道、酔っ払った松浦さんが「お前なんやねん!」ってキレ出しまして。「見てられへんわ。ああいうとこでしゃべれんかったら意味ないやんけ」と説教受けて。その日はそれで終わったんですが、数か月後に石田さんからまたご飯行こうと言われて、2軒目で初めて2人っきりでバーに行ったんです。そこで、松浦さんに怒られた話をしたら、「あの松浦が?」って「ヒャヒャヒャッ」と笑いはって。新喜劇の楽屋の話とかしたら、メッチャ笑ってくれはって、「何やお前、話面白いやんけ」って言われて以来、普通に接してくれるようになって。

―今でも誘われるんですか?

その後も僕と清水啓之さんが石田さんとつながってて、1回すし屋に連れ行ってもらった時、「お前ら、恩返ししてくれよ、俺に」って。「おごれってことですか?」って聞いたら、「ちゃうがな、お前らの俺への恩返しは、お前らが自分で貯めた金でこういう店に後輩連れて来て、俺にメールで、兄さん、この店来てますよって言うてくるのが恩返しや」って言われて、しびれました。ああ、この人、言い方はメッチャ雑ですけど、尊敬できるというか。辞めるかも知れない時って周りってあまり言わないじゃないですか。仕事もないから会わへんし。石田さんは直球で言うてくれたんで。そっからしゃべるようになって…。
(そんなにしゃべらなかったんですか?)
2個目のレッスンで、怒られまくってるから、ビビっちゃってるんですね。「お前らおもんない、お前らおもんない」って言われ続けているから、自信なくなって。メチャメチャ委縮してましたね。委縮が逆にアカンっていうのは、しゃべるようになってから気づくというか。怒られたくないから、しゃべらないのが一番だと、自分ではチョイスやと思ってたんですけど、周りからしたら、一番アカンことやって。3年くらいダメ出し続きで、棒に振りましたね。
(何回もよく、声をかけてくださいましたよね)
そこですよね。何なんですかね~、よくわからないです。そういう意味では、あの松浦さんが、メッチャ怒ってくれはったというのが、上の先輩から見たら、「なんで松浦が怒ってるねん?」と。それがいい感じに転がったんかなと思います。松浦さんも1回、ギター持つ前に2か月仕事なくて、「辞める」って言いはったんですよ。僕の方が使われてた時期で、「ちょっと待ってください」って止めて。何でかと言うと、松浦さんも素人出身、僕も素人出身、僕の下で3個目で入って来た子も素人出身で。「素人がこの中で生きていけるのかな?」っていう話を3人でよくしていたんです。その1、2か月後ぐらいに、ギター持ったら、頭角現して、「あれ~!?」みたいな感じでしたね。

―昔は舞台上で楽器演奏はなかったと思います。

ストーリーの作り方もありますけど、ギターに対しての理由づけをきっちり周りがやってくれはったというのが大きいと思うんです。新しい物を受け入れる人たちですから。泊りの営業に行ったら、師匠方と昔の話になるんですけど、全然違うんですね。作家さんとのパワーバランスとかも。今は座長がやりたいものを作家さんが書いていくんですけど、昔は作家さんが書いたものをそのままやっていた。だから桑原師匠のおばあちゃんも、作った作家さんの時はやるけど、あとは男役やったとか。そういうの聞くと楽しいですね。

―趣味とかハマっているものは?

プライベートでは自転車大好きで。最初走ることが好きやったんですけど、今はいじることがすごく好きで。座員の皆さんのメンテナンスとか、買いに行くときにはついて行くとかしてます。だいたい予算聞いて、皆さんが乗りたいものを探すっていう。人のが調子悪くなったら、その自転車メンテして、直して。ばっかりしてますね。家に一時、6台自転車あったことがあるんですよ。預かりすぎて…。寝る場所ないくらい、チャリンコ置いてたことがあるんです。
(もともとは乗る方?)
そうです。今もたまに乗るんですけど。走る時は80キロから100キロ。琵琶湖も1周したことがありますし、京都も。今考えているのが、弾丸で大阪から神戸行って、フェリー乗って香川とか徳島回って、またフェリーで和歌山行ってというのを、弾丸でやろうかなと。別にレースとか出たいというのはないんですけど、いろんなところへ行きたいなあと。きっかけは京橋花月なんですけど。当時、吹田の家に住んでて、出演回数が少ないから交通費を浮かしたくて。その時に自転車パクられまして。もうひとつワンランク上の奴を買おうかなと思ったところから、みるみるハマって行きまして…。メッチャ早いし、終電を気にせんでええし。
(吹田からだとどのくらい?)
20分かからんくらいです。僕は豊津の辺りだったんですが、“吹田愛”強すぎて…。4歳の時に高槻に引っ越して、点々としてるんですが。ガンバ大阪も小さい頃から好きで、スタジアムにも寄付したりしてます。吹田に住んでなかったから、ここまでのめり込んでないかもしれないですね。メチャメチャ好きです。ガンバが優勝した2002年とか、足のじん帯切ってたんですけど、松葉杖ついて観に行きました。コアサポというほどじゃないですが、根本的にサッカー好きなんで、吹田スタジアムだと良く見えるところにいますね。
(けっこう、ピッチと距離が近いとか)
メチャクチャ近いです。あれはいいスタジアムです。一応、僕の名前あるんですよ。5万円以上寄付したら、名前が乗っけれるというので、1年かかって5万貯めて、寄付して、名前プレート用意してもらって。
(プライベートは自転車、サッカー、ガンバ…)
ほぼそれですね。最近は釣りとか御朱印とかやってますけど。
(御朱印も!?)
吉田裕が一緒なんですよ。別々で始めて。「最近、御朱印やってるんですよ」「え? マジで? 俺も」みたいな。なのに、肝心な時に2人とも御朱印帳持って行ってなかったり(笑)。根が、土地や歴史が好きなんで、人が感動しないところで感動したりしますね。車だと通り過ぎるけど、自転車で通って、初めて気づくことも多いです。町名の由来とか。面白いですね。全然、新喜劇に活かされないですけど…。

2017年11月6日談