第38回 太田芳伸

最初は怒られ続けでしたけど、今、めっちゃ楽しいですよ。


―太田さんはNSC23期ですね。

僕は高校卒業前から友達と一緒にNSCに入るというのを固く心に決めてたんですが、親がメッチャ反対しまして。僕、母子家庭だったんですが、母親が「社会はそんな甘いもんじゃない、あなたが思っている以上に厳しいとこやから、大学行きなさい」と。それで口論になったというか。結局、母親が折れて、「大学卒業したら、何してもいい、何も反対しないから」と言われて、「よし、わかった。じゃ、大学行きます」ということで、大阪経済大学の夜間ですけど、5年かかって出ました。19歳の時に大学も入って、NSCも入って…入学式2回やりましたね。昼はバイトとNSCの授業行って、夜は大学へ行く生活で。学費も自分で払いなさいと言われたんで、育英会から奨学金いただいて、今も毎月返し続けてます。
(偉いですね~)
いやいや、貧乏やっただけです。母親の一言があったんで。「もう、絶対何も言うなよ!」みたいな感じで、(大学へ)行ったんです。

―親の反対を押し切ってNSCに行きたいと思ったのはいつ頃から?

僕、昔からちょけてるというか、いちびりというか、クラスに1人くらいはおる、騒ぐ奴やったんです。「あんた吉本行きや」とちっさい頃から言われてました。まさか本当に行くとは思わなかったですけど、普通のサラリーマンは自分には向いてないと思ってたし、珍しい仕事に就きたいなあとは思ってたんです。高校3年の時、友人が「太田、一生のお願いやけど、俺と一緒にNSC入ってくれへんか?」と言われて、まだ就職先も決めてなかったし、興味あったし、「あ~面白いかもしれんなあ。ほな行こか」と。もし、友達の勧めがなかったら、別の道に行ってたかも知れないです。

―その友達とコンビを組まれてたんですか?

それがね~4月にNSC入って、1か月くらいですかね、5月に入るか入らんかぐらいに、「お前より気の合う別の相方見つけたから、別れてくれ」と言われたんですよ。
(ええ~っ!?)
めっちゃビックリして…「え~っ!?」と思って。まさかの振られ方というか。ウソやろ!? と。もう、どん底やったんですよ。「どうすんの? 俺?」って。NSCには前金で入学金払って、あと1年間授業あるし。ここでやめるのも嫌やな、モヤモヤするな、1年間だけでも一所懸命頑張るか、と思って、「相方を見つけるクラス」みたいなところへクラス移って、コンビ2~3回替わって、ようやく相方を見つけて。NSCを卒業してからは、漫才とコントを中心にやってました。インディーズライブを自主的にやったり、かつての「baseよしもと」のオーディションを受けてました。
(ちなみにコンビ名は?)
メッチャ言うの恥ずかしいんですけど…「ポケット・ポポ」って。相方も僕もいかつい顔やったんですよ。強面の2人だったので、パッとせんなあ、名前くらいかわいいのつけようということで、パピプペポから選ぼうぜ、となって、最後はあみだくじで決めたと思います。
(そのコンビはいつまで?)
大学卒業するまで、3~4年くらいですかね。大学を卒業する頃に、コンビ別れしました。やっぱり結果が出なかったので。これに受からんかったら…という時に、結果が出なかったんで、解散したんです。

―新喜劇を目指されたきっかけは?

晴れて大学も卒業したんですけど、その頃は目標を失ってました。コンビも解消して、今から何すんねん、と。ぽっかーんと穴が空いてて。そんな時、大学の先輩と昼飯食いながら「新喜劇」を見てて、「お前、新喜劇入れや」と言われたんです。「ポケット・ポポ」の時もコントが多かったんで、演じることの方が好きというのは、その先輩も知ってたんです。その時は「いいっすね~。でも、入り方わかんないっすわ~」と言いつつ、浅はかな考えで、NGKの上の社員さんがいっぱいおるところに行ったらわかるやろと思って、ホンマにアホやったんですけど、いきなりNGKの裏の駐車場から入ろうとしたんですよ。当然、警備員さんに止められて。若い変な兄ちゃんが「新喜劇入りたいんで、社員さんに会わせてください」って来たわけですから。警備員さん2,3人に囲まれたんですが、一応、新喜劇セクションに連絡してくれたんですよ。そしたら、電話番号を書いたちっさいメモをいただきまして…。速攻電話して、今も新喜劇のマネージャーをしている方に、「新喜劇入れてください。入り方がわからないんです」というと、「あんたか! 困らせたらアカンやろ」とめっちゃ怒られました。その時、「7月、8月に大々的に金の卵のオーディションがあるから、それ受けて。受かったら入れるから」と一方的に言われて電話切られました。それを受けてみて、落ちたらこの世界は諦めようと腹は決めてました。で、運よく、受かったみたいな感じですかね。
(武闘派ですね~)
いやいや、アホなんですよ。物事を順序良く考えてないというか、思いついたら、即行動というか。人がどう思うか、空気読めなかったんですね。

―金の卵オーディションはどんな感じでした?

僕らだけですよね。何次審査もあったり、テレビ撮影が入ったり。なんか嫌でした。一所懸命はやりましたけど、ことごとく滑った印象しかないんです。2次審査で特技披露があったんですが、その時、僕は新地のナイトクラブでアルバイトしてて、パラパラを2~30曲ぐらいマスターしてたんで、パラパラをアホな顔して踊ったらウケるやろと、審査員の前で10分くらい踊り続けたんですけど、ぜん、ぜん、ウケないんですよ。ほかにはめっちゃウケてる子もいたんで、絶対落ちたわと思ったんです。2週間後くらいに合格通知来て、「え~っ、スゲェ」とビックリしました。3次審査の芝居はノーミスでいけたんですけど、4次がテレビ撮影が入る2泊3日の合宿で、メチャメチャ過酷やったんです。2度とやりたくないです。27~8人いたんですかね。何人受かるかわからんし、ゼロかもしれん、と言われて。死に物狂いで頑張ろうと思ったんですけど、中々目立つ場面がなくて。ほんとに今思ってもなぜ受かったのかわからないんです。他の落ちた子の方が絶対目立ってたんですよ。最終日に2組に分かれて新喜劇をやるというのがあったんですけど、片方のチームの回しがNSCで同期だった吉田裕で、もう片方が僕。ここ頑張ったらいけると思いました。その後、すぐに合格発表があって、吉田が4番目か5番目に呼ばれたんですよ。あ、吉田が呼ばれたんやったら、俺ないな、負けたんや、と。ツッコミはあいつかと思って。たぶん、死んだような顔してたと思います。もう落ちたと思って、ボーっとしてたんですけど、8番目か9番目のギリギリで呼ばれたんです。「うわあ、呼ばれた!」っていうだけの印象ですね。今思えば、よう、選ばれたな、この芸人の世界に、縁があったんやなと思いますね。
(お母さんはどう言われました?)
受かった時は、「え~すごいやん!」くらいでしたね。でもそっから徐々に応援してくれるようになって。今ではイベントがあるごとにお友達を連れて見に来てくれます。良かったなと思いますね。

―初舞台は覚えてますか?

覚えてます。もう、メチャメチャ覚えてます。辻本さんの週やったんですけど、12月の3週目ですね。2週目の内場さんの週で、吉田、森田展義、前田真希、仙堂花歩の4人がデビューして、ほかの6人が後ろでそれを見学するみたいな。「何でこいつらやねん!」と思ってて…。
(あははは…)
もうライバルなんですよ、やっぱり。
(10人いたら、ねえ…)
この中で、どう頑張っていくか、受かった以上、売れることや、って思ってたんで、悔しかったですね。初舞台は、辻本さんの3人ヤクザに、強盗にさせられる通りすがりの男の役でした。辻本さんが「こういう時に1万円で強盗の役やってくれる奴おったらええのにな~」と言うと、「あ~パチンコで1万円スッてしもた~」と出て来て、「おった~!!」。で、井上(竜夫)師匠をナイフで脅すんですけど、井上師匠が案外強くて、殴られてハケて行くっていう役やったんです。鮮明に覚えてますね。「声が小さい」、「間が悪い」、考えてきたボケを「何考えてんねん、お前はそんなんやれる役じゃない」とか。毎日怒られてましたね。辻本さん、烏川さんに結構怒られました。他の先輩にも「ナイフ落とす位置が悪い」とか、こと細かに。「え~こんな世界なんや~」と思いましたね。新喜劇は小さい頃から見てたので、もっと明るくて、もっとファミリーでアットホームな感じのところやと思ってたんですよ。チームワークで笑い取る、みたいな。そんな感じじゃなかったですね。厳しいなあ、と。見てるのとやるのとじゃ全然違いました。1年間やってて褒められることがなかったです。毎回怒られてました。苦い1年目でした。

―舞台の前説もされてましたね。

1年目の時に佐藤太一郎君と前説をさせてもらったんですが、佐藤君て普段から私服もきれい目の感じなんですが、僕はお金もないし、破れたダメージジーンズとか、ダルダルの服やったんです。「前説は私服でやれ」って言われてたんで、それで出てたんです。たまたま収録前に前説で出た時に、その時の新喜劇のプロデューサーが「あいつ、誰や!?」「1年目の新人の子です」「新喜劇終わったら呼んで来い!!」となって。当時のAPさんが血相変えて、「太田、来てくれ。プロデューサーがメチャメチャ怒ってる。とりあえず、全力でフォローするから、お前は何言われても「すいませんでした!」の一点張りで」と言われて、あ、怒られるんやと思ったんですけど、何のこっちゃわからなくて。行ったら、「あの恰好、なんや? ボロボロの服で前説出とったろ? お前みたいな奴出したら、劇場の品が下がるだけやから、1年間出るな!」と言われたんですよ。
(うわぁ~!)
とにかく、「すみません! すみません!」言うて2人で謝り倒して、なんとか許していただいて。でも、そっからメッチャ出番減りましたね。

―転機が訪れたのは?

オーディションの時に出ギャグを考えろという課題があって、僕、「おじゃま死にます」というギャグをやってたんですよ。当時のうめだ花月で、何か月かに1回、卒業したメンバーが新喜劇をやるっていう「金のひよこライブ」があったんです。3~4年目の頃、「あれやったら? オモロかったやん」と誰かに言っていただいて、ヤクザの親分の役で、うめだ花月で「おじゃま死にます」ってやったら、思ってたよりウケたんです。いつかNGKでやれたらなあと思っていた時、まだ大阪で石田靖さんの週があって、僕と吉田が作業員の役で出ることになったんです。辻本さんもW座長で出られる、当時としては珍しい週で、石田兄さんが「お前らボケとかギャグがあったら、好きに入れていいで。俺、本番で見るから」と言ってくださったんですよ。吉田にも「お前、おじゃま死にます、やれや。この機会逃したら、出けへんで」と言われて、その時、初めてNGKで「おじゃま死にます」をやったんです。バーン!ウケて、石田兄さんもメッチャ笑ってくれはって、「何で今までやらんかってん。俺、内場さんにも言うとくし、それやって行けよ」と言って下さって。辻本さんも「俺の週でもやってええで」みたいな感じで。その時から、ちょっとギャグやらせてもらうとか、ボケさせてもらうとかいうのが増えたと思います。5~6年目までは辻本座長の週によく出させてもらってました。

―新喜劇以外で何かやろうとしたことは?

いろいろやり出した時期はありますね。3年前くらいには単独イベントをよくやってました。年に2~3回、ZAZAポケッツで。以前、京橋花月があった頃、「よる芝居」をやる京橋花月劇団の帽子屋お松という方と仲良くなって、台本を書いてもらって、今まで7回くらいやったんですかね。「自分探し」というか、いろいろ挑戦して。ツッコミもボケもやりましたし、奇抜なキャラもやりました。コントもやりましたし、30分くらいの芝居は絶対やってました。いろんな役を試して、自分には何があっているのか、どういうとこが向いてるんか、考えたりしてました。
(見つかったものは?)
そうですね、新喜劇入って10年経つんですけど、ヤクザ、強盗、チンピラを8割くらいやってるんですよ。ほぼ、それなんです。ここだけは絶対誰にも負けんような役は持っておこうと思いました。「強盗役、誰やる? 太田にしようか」「ヤクザ、太田やってくれるな」と思われるように。最近は、松浦と組むこともあるんですが、僕がめっちゃ怖い兄貴分であればあるほど、松浦のボケが生きてくるんで…。

―新喜劇10年、ご自身も変わりましたか?

最初は苦痛でしたけど、今、めっちゃ楽しいですね。自分からどんどん発信して出来るとこやなと思えるようになって、一舞台、一舞台めっちゃ楽しいんですよ。別に休みなくてもいいと思うくらいになりました。でも5年くらいは、先が見えなかったんです。1回謹慎にもなってますし。
(え!そうなんですか?)
5年目くらいですかね。本読みトチって、2か月謹慎で。しかも11月の頭に謹慎処分くらって、年末までのスケジュールもけっこうあったんですけど、全部白紙になって、お先真っ暗で。ノイローゼみたいになりかけて「どうしようかな? 新喜劇続ける?」くらいまで行ったんですよ。でもここ最近、こんなボケしたい、あんなポジションやってみたい、もっともっと出ていろんな人の役に立ちたいとか、認められたいというか、欲が出てきた感じがあります。先輩方の「今後の新喜劇は」とかいう話も、前の僕やったら「ふ~ん」だったんですけど、今やったら、自分に出来ることは何やろなとか、新喜劇を続けていくために、自分は何をやらなあかんとか、すごい前向きになりました。これは、あくまで僕の思い込みなんですが、最初は座長に好かれないと出番もらわれへんと思ってたんです。そういうとこなんや。だから大人しくしておこう、自分を出さずにいよう、従っとこうという感じだったんです。でも小籔兄さんが座長になって、須知兄さんが座長になって、若手にもチャンスをいただける場所をいろいろ作ってくださったというか、先駆者的なことをやっていただいたので、考え方がガラッと変わりました。自分を出していいとこなんやと。前向きに思えるようになって。そこからですかね、積極的に先輩としゃべれるようになったんもそうですし。面白いボケ考えよう、とか。それまでは、「怒られへんボケ考えよう」とか、「嫌がられるようなボケ考えるのはやめよう」とか…。
(引き算ですね)
そうです、そうです、ほんまにそうなんですよ。そういう考え方、モチベーションが変わったのが、そこから。お兄さん方が変えてくれた。だから楽しくなったっていうのもあるんです。

―これからやりたい役とかは?

今のままでも全然嬉しいんですけど、憧れというか、すごいなと思っているのが島木師匠。僕もヤクザ役多かったんで、子分役で出させていただいたことも多かったんです。目の前で見てても、めちゃめちゃ面白いんですよ。すごい飛び道具持ってね、お馴染みの、みたいな感じになってるし、お客さんの目が「待ってました!」という顔してて、大爆笑で帰っていく。何べんも見てるはずやのに、涙流して笑う人もおったり。あんな人になれたらいいなと思うんです。ヤクザやってても、みんなが「待ってました!」みたいなポジションになれればなって。

―これからの目標は?

また来年から、単独ライブもやってみようと思ってます。今、格闘技とダンスを定期的に練習してまして、それも新喜劇や今後の仕事に生かせればと。僕がやっているのは、岡村隆史さんみたいなブレイクダンスで、ぐるぐる回るようなアクロバティックな技を、もりすけと。
(えっ? もりすけさん!?)
ああ見えて、もりすけ、上手いんですよ。もりすけと深夜の1~2時くらい、夜中に集まって、2時間くらい練習してます。地道な作業なんですけど、ちょっとずつ上手くはなってるんで。完璧に出来たら、面白いと思います。今ダンスやっているのも、みんなをわーっと驚かせたい、ま、面白くなかったらダメなんですけど。格闘技やってるのもそっちで目立ちたいから。今年は引越しもしましたし、自分のケツ叩いて、来年は節目というか、35歳なんで、もっと飛躍の年にせなあかんと思ってます。

2015年11月30日談

プロフィール
1981年7月5日 大阪府生まれ。2000年4月 NSC大阪校23期生。