第64回 大島和久

声が高くて、ずっと悩んでました。


―新喜劇に入られたきっかけは?

僕は大阪スクールオブミュージックという専門学校に行ってまして、卒業後、神戸の劇団の自由人会という、学校の芸術鑑賞会を対象に全国を回っている劇団のオーディションに受かったんです。それと同時期に、新喜劇のオーディションがあったんです。伊賀健二さんらから7年ぶりくらいの募集が、雑誌の「デ☆ビュー(現在は休刊)」に載ってまして。僕からすれば、365日毎日やってる、自分の小屋を持っている劇団に所属出来たら、一番ベストやなと。縁があったんで劇団自由人会にも1年間所属してたんですけど、新喜劇のオーディションに受かって、劇団は契約更新せずに、新喜劇に入れていただきました。

―もともと演技をやりたいと?

きっかけといったら、変な言い方ですけど、モテたいとか、チヤホヤされたいというのはあったと思いますね。僕の家庭は、お笑いとは無縁の家で、小さい頃から8時には消灯、9時には完全消灯でした。だから「ダウンタウンのごっつええ感じ」(CX)も見てなかったんですね。お父さんとか、その周りの人の親父ギャグばっかり聞いて育ったので、今でもそれを引きずっているのか、ダジャレが多いです。高校ではずっと陸上をやっていたので、大学受験の時に、推薦が何校かあったんです。親からすれば、これで体育教師にでもなるやろ、と。陸上ってプロがないので。こういう専門学校行きたい、舞台でやっていきたい、行かせてくれへんかなという話をしたら、どこの家庭でもあるように「ふざけるな」と言われて。口も聞いてくれない期間もあったんですけど、次男坊でもあったので、ま、いいんじゃないかということで、とりあえず、許してもらって。その代わり、「金は出さん」ということで、死ぬほどバイトしました。

―専門学校ではどんなことを?

当時、タレントデビューコース・タレント科というのがあったんです。僕は特にお笑いというのは頭になかったので、どの方向に行ったらいいのか、一から教わりたいと思って。たまたま学校の説明会に来ていた先生に上手いこと乗せられまして、「ここや!」と。入ったはいいものの、よくわからないんですよ。
(よくわからない?)
マルチすぎて。歌の稽古、モデルの稽古、ダンスの稽古、MCの稽古、お笑いの稽古、マナー的な所作の稽古とか。とにかく、すごいいっぱい、いろんな授業がありまして。広がりすぎてようわからんな、という時に、社会人で僕が高校の時の陸上の先輩が、「(陸上)やってるから一緒にやれへんか」と誘われて。まだ(陸上には)未練もあって、どっかで踏ん切りをちゃんとつけときたいなとは思ってたんです。それで、非公認の大会ではあるんですけど、一応全国大会で優勝して、これでいいかと。で、宙ぶらりんやった専門学校を、必要な授業に絞ってやろうと思ったなかで、人前でしゃべる時にお笑いを取り入れていけたら面白いなと思って、同じ専門学校にいた子とコンビを組んで、素人ながらいろんなところに出させていただいて…。
(専門学校の間にお笑いに興味をもたれたんですね)
けっこう関西の子が多かったんで、会話がどうしてもお笑いっぽいというか。(これまでの自分に)全くなかった文化なんで。高校の時はどっちかというと、運動バカ。特に僕は陸上競技だったので、チームワークも何もない、試合一発で頑張っている、頑張ってないかがわかるっていう…。
(ちなみに短距離だったんですか?)
短距離です。非公認の優勝と言っても、リレーチームの記録です。ウィキペディアに書いてありますが、10秒台では走らせていただいたんですけど。ただ、「なみはや国体出場」って書いてあるのは、ちょっと違いまして…(笑)。
(どういうことですか?)
「なみはや国体」は大阪での国体で、僕は汎愛(はんあい)高校という公立の高校だったんですが、大阪の公立高校が集まって、国体を盛り上げようという企画があって、一生徒としてセレモニーには出てますが、出場はしてないです。

―新喜劇のオーディションを受けられたきっかけは?

僕、専門学校がオール巨人師匠の娘さん(南出一葉)と一緒で、「こういうオーディションあるねん」と教えてくれて。たまたま同時に受かったんです。もし、その子がおれへんかったら、オーディションがあることも知らなかったでしょうし…。ほんまかどうか、「応募が1000人以上来て、その中から受かったのがお前ら5人だけ」と言われました。
(オーディションで印象に残っていることは?)
2次か3次かでうどん屋のセットでコントがありまして。僕の時は、レイザーラモンHGの住谷正樹さんがうどん屋の大将で、3人の客がオーディション受ける子で。住谷さんの回しで自己PRしなさい、と。
(凝ってますね)
僕自身、あんまりよくお笑いのことわかってない状況で、たまたま僕が一番目やったんです。「君は新喜劇に入ってどうしたいの?」と聞かれて、まだ陸上してた時だったので、「吉本陸上に出て、吉本で一番早くなりたいです。なかやまきんに君が目じゃないくらいの、すばらしく足の速い人になりたいです」「何しにきたん?」って。
(あははは~)
「憧れの人誰なん?」と聞かれて「井出らっきょさん」「来るとこ間違えたん違う?」と。
(事務所違うし…)
その天然がたまたま功を奏したのか、受かって。劇団との契約もあったので、最終選考の時の芝居も仕事が入っていて行けなかったんです。だから、「無理やろな」と思って、気負うこともなかったし。NSCも出てなかったので先輩後輩もなく、みんな一緒やと思って、ただただ自然体でいけたので、それが良かったのかな、と。今の金の卵オーディション受けたら、たぶん落ちてると思います。

―新喜劇の初舞台は覚えてますか?

死ぬほど緊張し過ぎまして。僕、普通の劇団から入ってるんで、芝居が標準語なんですよ。劇団では学生の役だったんで、もともと声が高いのもあまり気にならなかったんです。初舞台では、中田はじめさんと警官の役でした。セリフが「もし怪しい奴を見かけましたら、自分で何とかしてください」っていう定番のセリフだったんですけど、まあ、緊張して…死ぬほど声がうわずって、「自分で何とかしてくださいよ」というところが、若井おさむさんみたいなアニメ声になって。
(はははは~確かにアニメ声ですね~)
これでも僕、低くなったほうなんですけど。昔の映像見たら、笑えるくらい、声高いです。「ここの息子で、和久、って言います」みたいな感じの。
(節回しもちょっとアニメくさいですね~)
そうなんですよ。そういう風な感じでしゃべってしまってたんですよ。劇団にいる時、そうだったかっていうと、そういう訳じゃないんです。内場さんとか、桑原師匠とか、テレビで見てた人がいて、緊張しすぎると、その解き方が全く分からなくて…。そのまま、6、7年やってました(笑)

―どんな役柄を?

基本的に多かったのが息子役とか。オープニングは意外と少なかったですね。せっかく劇団にいたからって、芝居役的なものを振っていただいたんですけど、僕自身がヘンに緊張しすぎて声高いから、それも少なくなっていきました。あと、体動かす役とか。一番最初にアクロバット的なことをしたのは梅田花月だったんですけど。平山昌雄さんの代役で出てくれと言われたんです。僕、劇団にいる時は代役って、まったく同じことをするって教わったんです。
(普通そうですよね)
でもルールってお笑い界と違うじゃないですか。そこを知らなかったんで、平山さんがネタの中でバク転されている、これはバク転覚えなあかんのか、と思って、高校へ行って、体操部の先生に教えてもらって。これで代役の仕事もちゃんと果たせると思って、バク転やって「お~」と拍手もらったんですが、舞台袖に戻ってきたら、共演の小籔さんに「お前、なに人のネタ、パクってるねん」と言われて。
(あはははは~)
褒めてもらえんのかな?と思ったら、怒られるっていう。「パクんなよ! お前。凄いけど」って。
(バク転、パクることになるんですか?)
わかんないですけど(笑)。けっこう、なにをやっても裏目に出るパターンでしたね。芝居やっても緊張し過ぎて声高なる、バク転やったら、「誰かの」みたいな感じになる。僕、極度のアガリ症なんで、全国ツアーに入れていただいた時、バク転しようとして、手をついてるつもりが、ゴチ!と頭を床で打つとか。ドジキャラというか、ダメキャラみたいな感じでしたね。だけど、カッコつけたいから、デキるオーラだけ出そうとする。みんなもう分かってるから、「ウザ!」とか「チャラ」って言われて、気がつけば大島じゃなくて、「チャラ島」って…。
(悩まれました?)
ずっと悩んでましたよ!!ずっと。劇団戻って、低い声出すためにワークショップに行ったり。梅田花月のシャトナーさん(西田シャトナー。作家・演出家)の芝居で、めっちゃ低い声で延々と2ページ分くらいしゃべる役をやらせてもらったり。いろんなことをさせていただきましたが、根本はなかなか変わらない。声は高いままなんで、受け入れようという感じになりましたけどね。聞いてて、癇に障らない程度の特徴的な声になればいいなと、そっちを考えるようになりましたね。

―最近は回しとかも…。

もともとね、やりたかったのは回しなんです。内場さんに憧れて入ってるんですよ。
(え!? そうなんですか!)
実は受かった後、7年ぶりということで「オーディション」という雑誌に特集で載せてもらったんですよ。その時に言ってるんです。「内場さんに憧れて入ったんで、僕は回しがしたい」と。お笑いっていうのを知らずに入っているので、ボケの仕方とかできるはずがない。「自分は包丁である、みんな新鮮な食材を持ってきてくれるから、それをキレイにさばいていくのが僕の仕事ぐらいの気持ちでいたい」みたいなことを言ってたので。今やっと、そこにちょっと。
(そんなに早くから思っていたのに…)
思ってたんです。何回か回しみたいなこともやらせていただいたんですが、僕の勉強不足もあったり…。合わなかったんでしょうね。「聞いてられへんわ」みたいなところもあって。ようやく、ちょっとだけ、自分のやりたいところに近づけたかなという気持ちになりましたね。こんなことを言っていいのかどうかわからないんですけど、僕の場合は飽き性というか、楽したがりというか…。そういうことがどうしてもあったんで。どっかクサってたんですよ。だからこそ、後から入ってきた人にどんどん抜かれて行って。それに対しても「くそ!」となるんじゃなくて、「はあ?」って感じでしたから…。

―気持ち的にも変わられたんですね。何か、きっかけが?

子ども、ですよね。子どもがしゃべるようになって、テレビ見るようになって、「あ、パパや」って言うようになって。別に端役が悪いとか、くり抜きが悪いとか思いませんけど、でも、スッと出てきてスッとハケるだけの役が延々続くんだったら、自慢させてやれんな、と。元々僕自身も、これをやりたいから入ったわけじゃないよなと考えさせられたというのが、きっかけですよね。
(ご結婚とお子様が生まれたのは?)
結婚したのが28歳の時で、今36になりましたけど。32の時に子どもが生まれまして。今年で4歳です。
(じゃあ、ものも分かってきて…)
そうです。去年くらいからですね。言葉とか。カッコつけたい対象が、それまでファンの人とか見てくれる人から、息子にカッコつけたいみたいに、対象がちょっと変わってしまったというか。
(新喜劇の舞台は見られてます?)
何回か生で祇園の舞台とか、テレビ収録とか。僕が回しをさせていただいた時のカメリハのDVDとか。
(何か言われますか?)
やっぱり、キャラクターもんばっかりです。「パパ来た」とかは言いますけど。基本的に新幹線のくだりを全部覚えてて、「レールスター」とか、「ファ~ン」「鳴らすな!」とか。伊賀さんのツッコミをやったり。僕、去年の年末から辻本さんの舞台で回しをさせていただいて、そこからずっと見てますからね。茂造がカバン蹴って、鍵を渡して、階段落として、「ちゃんと仕事してや」「ハイハイ、ハイは1回」「自分で言うな!」というくだりまでを、全部完璧に覚えて、ずっとそれを毎日やらされる…。
(あははは~)
やめて! 新喜劇はそれだけじゃないねんでって。
(茂造完コピ、ってどんな大人になるんでしょう?)
保育所で「お客様のカバン、キーック!」って自分のカバン蹴ったりしてるから、ええ加減にしてくれよ!って。階段も、うち、借家なんですけど、階段昇って行って、「パパ、ドーンってやって!」って言って、自分でスベって降りる体で「なんや、この階段!」って。
(すごいな~英才教育ですね)
何の英才にもなってないです。僕自身があんまりお笑いを見てなかったんで、そんなもんなんかな、と。たまたまこういう仕事ですから。ただ、息子には絶対、この仕事に就くな、って言うてます。これだけは、絶対にあかん、って。でもそういうのもあって、コミュニケーションはよう取れるようになったから、うれしいです。だから前向きにはなれました。僕ずっと、妬み、ひがみ、逃げる、だらけるっていう感じでしたから。人のギャラなんぼやとか、何でコイツが俺より高いねんとか。その瞬間、大島やなくて、「ヨコシマ」になってましたから…。こういう風なダジャレばっかり言うてしまうんですね。

―そんな中、お世話になった先輩は?

憧れは内場さん、考えさせられるきっかけを作ってくれたのは、小籔さん、川畑さん、すちさん、今は辻本さんが回しのことを教えてくれます。芸人としての心構えや、「お前はもっとこうせなあかん」ということを、懇々と言い続けてくれたのは、小籔さんや川畑さんというイメージですね。
(小籔さんは芸人としてはどうあるべきだと?)
僕の気持ちを全部見抜いてはったんで。だから、そんなんじゃあかんぞ、と。僕がお笑いのことわかってないので、「何でこれを言うたんや。ここでこれ言うたら、こうなってウケへんやろ」って、目線をぐーっと下げてくれて。家庭教師みたいなもんですよね。僕に響いたのは、「今ここでこうやるというのは、お前がお笑いとして全然いけてないってことやで。自分が出てきた場所だけで考えてるから、話全体見てへんやろ? 今ボケんでいいのに、無理からボケる。スベる。スベったことによって、話全体を引っ張ってしまうことになるよね」と。そういうこととかをしっかり教えていただいて。「絶対ボケるんじゃなくて、フリをきっちり出来る奴が必要やねんで」。そういうことも考えず、ハケる時に変なことを言うとか、突拍子もないことをいきなり言うというのを結構してた。それやったら、もうちょっと考えてやる、この言葉はどんだけの返りがあるかというのを予想するとか、すごく論理的というか、数学的な感じで教えてもらいました。10言われて全部分かったというわけでは全然ないとは思いますけど。川畑さんからは、「楽するな」。ベタ~なハケやったら、「ウケるやろけど、おまえ自身の成長、そこにないよな。それやったら、もっと、雑巾絞って絞って、絞って、最後の1滴出るまでもっと考え」っていう風なことを言っていただいて。
(それだけ、お笑いに努力がいるっていうことですね~)
ほんまに。上の方って、なんも見てへんようで、ちゃんと見てるんやな、って。スーッと逃げようとしてるところを。でも、それをそうやって言っていただけたっていうのが、僕がもう1回ちゃんとやろうという、今回のきっかけになったという。内場さんからも「ここまできたら、緊張してるっていうのは言い訳やで。お前がちゃんとしゃべったら、座長がゲストで出てる週に使ってもらえるかもわかれへん。お前が全部壊してる。言い訳を止め。今、がんばらなあかん、子どもおるんやろ。もっとしっかりせなあかん」て。今思い返せば、何年経っても変わってなかったんやなと。

―今はどんな気持ちで取り組まれてますか?

今、1回1回がすごく自分の中で大事なんです。やりたかった回しも新鮮だし。こう言うたら、もっと変わるんちゃうかと試せる、出てる時間も長い。すごい幸せは幸せです。ただ、やっぱり、どの座長の時にもそれが出来るようになれば。今、回しってめちゃくちゃいるじゃないですか。
(回し希望者、多いですよね)
めちゃくちゃ多いです。僕、その中でも二軍三軍やと思ってるんで。二軍三軍でも、「大島、こういうこと出来るやないか」となれば、ありがたいんで。やっぱり、今までちゃんとアピールすることをして来なかったから。今、与えられた仕事を、全力で誰が見てても満足できるように、やって行く。「吉本新喜劇」という大きな看板の中に、自分も入らせていただいているから。しっかりそこを汚さんように。すばらしい御輿(みこし)を一緒に担がせていただきたいですね。

―今、ご自身でハマっていらっしゃることは?

「息子と遊ぶ」ですね。時間があったら早く帰って。家が好きなんですよ。外へ飲みに行かないんです。あんまりよくないんです。「お前、サラリーマンか!」って先輩から怒られたことがあります。終わったら、家に帰って、家で酒を飲む。家でご飯食べてゆっくりしたいっていう。
(それで息子と新喜劇ごっこをして遊ぶ、と)
まあ、そうですね。させられてる、という方が正しいかもしれません。だから、戦隊物とかに全く興味なくて。「新喜劇見よう」とか言うてくるから、「どうなんやろ?」という感じなんですけど。
(いずれ息子さんとの遊びも変わってくるでしょうし…)
野球以外ならなんでも大丈夫です。陸上はクラブチームで教えてきたんで大丈夫ですけど、球技がダメで。キャッチボール出来ないんですよ。

2017年5月22日談

プロフィール
1981年4月8日 大阪府生まれ。