第29回 はじめ

いじられるキャラクターで一番になったら、ええん違うかなと。


―中田ボタンさんの弟子になられたきっかけを教えてください。

NSCが出来てからも、まだちょっと弟子になる人がいて、その最後の方の弟子になります。もともと僕、空手をやってたんですよ。漫画の「空手バカ一代」(原作:梶原一騎)を見て、世界最強になろうと思って、そこに描かれている芦原英幸先生の極真会館芦原道場に入門しました。この身長と体重で、自分の中ではそこそこいけているなと思っていたんですが、21歳くらいの時に試合に出て、僕と同じくらいの身長の相手に負けたんですよ。こいつ、すごいと。その相手というのは後に世界チャンピオンになって、今、新極真会をやっている緑健児やったんです。あ、これはもう世界最強になられへん、と。その頃、僕には彼女がおって、自分の中では人生設計が出来てたんです。実家が喫茶店をやっていたので、店をやりながら空手して、結婚して、幸せな家庭を築くぞ~という感じでいたんですが、その彼女に振られたんです。
(なんと…!)
空手で負けたというのもあって、目標がいきなり何もなくなったんです。メチャクチャ落ち込んでる時に、テレビで師匠の漫才を見て、笑ったんですよ。うちの師匠が実際の借金ネタを笑いながら漫才にしてるのを見て、「すごいな~」と思って…(笑)で、これや!と。学生時代にちょうど漫才ブームで、漫才も好きやったんで、そういう下地もあって、ボタン師匠のところに弟子入りしたんです。

―見ているのと自分でやるのとはギャップがあったと思いますが。

まず、師匠のところに行って言われたのは、僕、その時22歳で、今でこそ30歳くらいで入ってくる子もおるけど、年齢的には当時は高かったんですよ。その頃は、16歳くらいの子とかを「兄さん」と呼ばなあかんのを我慢できるか、と言われて。「我慢します」と。今より、縦の関係が厳しかったですね。最初、すでにボタン師匠に2人弟子がついてて、3人もいらんから、1人卒業するまで待っとけ、ということで、その間、なんば花月の進行役になったんです。これまで空手を教えてたという話が広がっていて、行ったら、いきなり、壁に「空手バカ一代、来たる」って書いてあって。強い奴がくると噂になっていたんですよ。だから、入って先輩にしごかれるということはなかったですね。ただ、新喜劇の緞帳を下ろす係をやった時、下ろすのを忘れて、岡八朗師匠にメチャメチャ怒られたことがあります。

―漫才師への道が始まるわけですね。

当時まだダウンタウンがブレイクする前の時で、浜田さんには、メッチャかわいがってもらいました。浜田さんはボタン師匠のツッコミを盗みに来てたんです。漫才では最初、兄弟子とコンビを組んで、中田はじめ・けいすけでやらせてもらったんですが、実は僕、芸人の世界でしゃべりが大切やということを知らんと入ってきたんです。ははは…(笑)。
(え!? どういうことですか?)
小学校の頃からクラスで人気者やったんですけど、みんなが慕ってくれるというか、けっこう頼ってくれたりして、ネタふりもオチもないのに、なんかちょっと言うたら、笑ってくれたんです。漫才ブームの時って、ぼんち・おさむ師匠とか、西川のりお師匠とかしゃべりじゃないでしょう? 紳助・竜介さんも竜介さんが「うん、うん、何でやねん」で、テレビに出てはった。だから、しゃべりで芸人が成立してると思っていなかった。しゃべりじゃなくても出来ると思って入ってきたら、ちょっと違うぞ、と。それに僕は岸和田出身なんで、大阪弁と言葉がちょっと違うんですよ。例えば、「家帰って寝よ」を「寝ろ」と言うんです。漫才で普通にしゃべってるつもりやのに、笑われて。大きく違ったら直しやすいけど、「今のどこが違うの?」というようなところを直すのも、難しかったですね。

―漫才コンビは?

2回組んでるんです。1回目のはじめ・けいすけでも賞は取らせてもらったんですが。僕、人生もそうなんですけど、漫才の時も1番になったことがないんです。ABCの漫才コンテストやったら、グランプリじゃなくて優秀賞、NHKも最優秀じゃなくて、優秀賞。「賞が取れなかったら、解散や」というのをお互い決めてた。次のコンテストでは、当時、優勝候補と言われてたのに、結局、取れなかったんです。やっぱり1番になれへんな、やりたいこともコンビでちょっと違ってきてたし、いい機会や、神様がそういう風にしてくれたんやと思って、解散しました。2回目はラッキースターというコンビで、名前をつけてくれたのはHOUND DOGの大友康平さんです。これは3年目で解散するんですけど。最初は、NHKの新人賞の優秀賞で良かったんですが。途中から「アンラッキースターや」と言われて…。
(難しいですね…)
もう辞めよかなと思って、会社にあいさつに行きました。今の社長の大﨑さんのところに行ったら、「就職するんやったら、保証人になるよ」と言われて、「もう辞めろということやな」と思ったんですが、ある人のところに行ったら、「新喜劇に行ったらどうや」と。その時、ちょっと前に僕と同期の今田君が東京行く前、「はーちゃん、新喜劇入りや。笑いの基本がいっぱいあるねんで。漫才するにも新喜劇するにしても、1回絶対やっといた方がいい」と言われたのを思い出したんです。「そういう世界があるんや」と思って師匠に相談したら、「NGKの新喜劇やろ? かまへんから頑張れ」と言うてくれて…。

―その頃の新喜劇は?

「やめよッカナ!? キャンペーン」が終わって、内場さん、辻本さん、石田靖さんがニューリーダーになる、ちょっと前くらいですね。それまで新喜劇を意識してなかったというか、僕は10年漫才をやっていて、新喜劇を見てなかったので、状況がわからなくて。「やめよッカナ!? キャンペーン」で、今田君とかが頑張っていたので、順調やと思ってたんですよ。
(漫才とは全く違う世界ですね)
まず、「待つ」というのが難しかったですね。漫才というのは2人でしゃべっているから、相方の話を聞いて、僕が話をする、それが新喜劇だと何人もがしゃべってる間、どないしたらええねん? と(笑)。それに、漫才だと舞台に出て行く時に、拍手したり、「どうも~」とか言いながら出て行くじゃないですか。「そんなこともせえへんの?」と。役で出て行くのがわからないくらい、芝居をまったくわかってなかったですね。

―初舞台は覚えてらっしゃいますか?

当時のプロデューサーに、「まず、メンバーと慣れてください。梅田に出てみましょうか?」と言われて。新しいうめだ花月で新喜劇をやってたんですよ。初めてもらった出番の途中で、阪神淡路大震災です。
(1995年なんですね…)
今は火曜日が初日ですが、当時は月曜日が初日で、その次の日です。しばらくはえらいことでした。
(震災から復活するのは大変だったのでは?)
確か1日だけでしたね。その日だけ、休みやったと思います。お客さんは入れへんけど、開けよう、と言う感じだったと思います。
(実際、お客さんは?)
いないです。1人とか2人だったと思います。震災に遭って、行くことないから来たとか。そんなことがあって、3か月くらい経ってから、NGKの舞台に出ました。ま、楽屋内ではなじめたと思いますが、お芝居の方では、セリフの順番を待つのは難しいし、仲のいい石田靖君とかからプレッシャーかけられるんですよ。漫才の時には、噛むとか言われてなかったのに、石田靖君のプレッシャーで、よく噛むようになって…。
(災難ですね)
3年目くらいのあるGWに2人でドライブに行ったんですよ。僕が助手席に乗って。髪の毛もちょっと長かったんで、風になびくと、石田君が「兄さん、禿げてますよ」「え~うそ! 傷あったかな?」と思って、鏡のあるところで見たら、円形脱毛症になってました(笑)。

―「アンパンマン」のネタはいつ頃から?

あれは結構早かったんですよ。2~3年目くらいに一番最初、石田靖君が舞台で「アンパンマン」「誰がアンパンマンや!」で、まあまあウケたんですよ。「兄さん、これええんちゃいます?」となって、当時のニューリーダーがそれぞれ膨らませてくれたんです。「アンパンチ」とか。各座長さん、同じいじり方しないですし。
(川畑泰史さん、烏川耕一さんと似てるというネタは?)
一番最初は、烏川が恋人にフラれて、僕が最後に選ばれるみたいな話のオチで、内場さんが「えーっ!? これとこれは何が違うんですか?」とツッコんだら、ドカーンと受けたんですよ(笑)。そこから、「似てんねんや」と。街でもよく3人とも間違われたんです。川畑君が座長になった時でも、僕のところに来て、「座長おめでとうございます」と言う人がおったりとかしました。

―持ちギャグがあった方がいいと思ったことは?

自分でやるギャグは欲しいなと思って、舞台に出て来る時とか、はける時のギャグをやったこともあるんです。でも、結局、僕自身(のキャラクター)は違うんじゃないかと思ったんです。いじられるキャラクターで、それで一番になったらええん違うかと。例えば島木譲二さん。一発目は自分から仕掛けても、後はいじられる。そのきっかけをトスしてる。漫才の世界でいうたら、トミーズ健さん。見事にいじられ役に徹してはる。ほんまに島木さんみたいになりたいな~と。それに同世代に石田君とか内場さんとか辻本君とか、そういういじる方ですごい人がいるので、これに同じポジションで太刀打ちできるかなと思ったら、無理やと。この人たちが、横に、「はじめがおったら楽や、困った時に振ったら、なんでも膨らませてくれる」というポジションがいいな、と思ったんですよ。

―今年で新喜劇に入られて20年になりますが、魅力は?

ずっとみんなの知っているギャグがあった中に新しいのが入ってくる。水が水たまりに溜まっているんじゃなしに、そこに1本、川があって、古くなるんちゃうか? という時に、新しいものが入ってきて、ちょっとずつ流れていく。常に水が腐らないところじゃないですかね。一時、その流れをせき止めてしまっていた。それを見ていた内場さんたちが、「それじゃダメだ」ということで、川の流れを作りはったと思うんですよ。それが、全員新喜劇。昔やったら若手が余計なことしたらあかん、とかありましたが、今は若い人も勢いがありますしね。僕ら中堅が頑張らなあかんな、と。全員新喜劇で、人気者がたくさん出る方がいいと思うんです。

―趣味は空手ですか?

今、正道会館の貝塚支部長をさせてもらってます。 (お弟子さんは?) 30人くらいですね。週2回、教えに行ってます。昔、運動していたのを止めているのに、食べるものは量が一緒やから、まあまあ肥えて。これはちょっと運動せなあかんわ、と。また空手をやり始めたんですよ。新喜劇が夕方終わるので、平日2回くらいだったら行けるかなと。今、空手と夜は炭水化物抜いて、はよ帰った日は1時間くらい散歩して(笑)。
(空手以外には?)
あと好きなのが歴史なんですよ。もともとは幕末・明治維新の「竜馬がゆく」(司馬遼太郎著)から入って、戦国時代へ。そのうち古代から「全部つながっているなあ」と思い出して、わからないことがたくさん出てきて…。歴史って謎やいろんな説があって、どれがほんまやろ?というのが楽しくなってきたんです。日本史から始まって、世界史も好きになりました。もうひとつ、好きなのが祭りです。岸和田なんで。
(だんじりですね)
太鼓の音で生まれ育って…離れられないですよね。だから若手の時に、「東京へ行くわ」とか考えられなかったんですよ(笑)。今、大阪市内に住んでて、たまに行けるからいいんですけど。もし、結婚して、子どもが出来れば、子どもが幼稚園、小学校に上がる頃には、岸和田に帰って、子どもがだんじりに行く環境を作ってあげないと。途絶えたらあかんな、と。
(ご結婚は?)
実は…5月に結婚いたしまして。
(それはそれは! おめでとうございます! いずれ、子連れでだんじりですね!)
「だんじり新喜劇」というのを1年に1回やらせてもらっているんです。
今7回目ですが、10年を目標にやっていきたいな、と。今年は7月20日にやります。ゲストが格闘家の角田信明さん、それに昔からモーニング娘。が大好きだったので、矢口真里さんに出ていただけるということで、ぜひココだけのネタをしていただければ、と。今は1年1回ですが、将来は、小さい場所でもいいので数多くやって行ければと思います。

2015年6月5日談

「中田はじめ」から「はじめ」に改名しました。

プロフィール
1963年7月23日 大阪府生まれ。