第82回 永田良輔

オーディションを受けた時は40歳。ラストチャンスと思いました。


―新喜劇に入られたのが40歳。もともと何を目指されていましたか?

子どもの頃からショーの世界に入りたいと思ってました。奈良県の出身なんですが、子どもの頃、宝塚とか歌劇がテレビで放送されている時代で、ショーの世界を目にすることが多くて、小学校低学年の頃から華やかな舞台に立ちたいっていう思いがあったんです。OSK日本歌劇団は奈良(本拠地が近鉄あやめ池遊園地の円形劇場)だったので、しょっちゅう行ってました。
(子どもの頃は友だちの前で歌ったり踊ったり?)
あ、してましたね!(笑) 宝塚を見た後は、踊りながら歩いたりするような子だったみたいで。見に行った作品を再現したいと思った時は、近所の子を呼んで、家でミュージカルごっこをしたり(笑) 母に連れられて、華やかな世界を見に行くことが、子どもの頃の楽しみでした。母が好きやったんです。だから子どもの頃から、一切、反対なく。今でもそうですけど。そういう舞台やメイク、衣装とかに興味があったんですけど、少女歌劇団なので入れないということに気づいて。じゃあミュージカルスターを目指したいと、そういう世界に「絶対入る」と思っていました。親から、「高校に入ったらミュージカルのレッスンとか通い出してもいいよ」と言われていたので、高校に入ってすぐに習い事でダンスに行ったり歌をやったりして、最初の目標、大阪芸術大学の舞台芸術学科のミュージカルコースに入りました。
(大阪に劇団四季の劇場がありましたね)
ミュージカルとなると劇団四季なんで、劇団四季にも入りたいと思っていました。高校時代に、四季にお知り合いの方がいたんで、相談させてもらったんですが、大学は出ておいた方がいいよと言われて。
(大学の卒業の時は四季を受けたんですか?)
それがですね、大学の4年間の間に、ダンス、歌、お芝居と勉強するうちに、だんだんお芝居が好きになってきて、お芝居をどんどんやって行きたいという気持ちが芽生えて来たんです。卒業する頃には、東京に行って、映像系の仕事をしたいと思うようになっていました。ドラマもすごい好きだったので、テレビドラマとか映画って、どうなってるんやろ?というのがあって。卒業したらお芝居1本で行こう、と決めたので、四季は受けませんでした。

―東京での活動は?

22歳で上京して、紹介で事務所に入らせていただいて。バイトばっかりしながら、オーディションも受けていたんですが、実際、ドラマの仕事に出られたのは6年目でした。
(6年目!!)
当時、2時間ドラマとかが結構あった時期で、2時間サスペンスの刑事の役で、初めてドラマ撮影に入ったのを今でも覚えています。
(どなたが主演の?)
渋いんですけど、小林稔侍さんと岡江久美さんの「大空港警察副所長」(2005年CX)というタイトルのサスペンスドラマでした。右も左もわからず、何回も同じシーンを違う角度から撮って、「これが映像の仕事なんだ!」というのを実感しました。初めて見る光景ばかりだったのと、念願のドラマということでうれしかったですね。
(それから何作か出られて?)
次の年に初めて連続ドラマ「時効警察」(2006年テレビ朝日)のレギュラーに出させていただいて。そのドラマがヒットしたので、次の年にパート2も決まって。俳優を辞めようと思った最後の4年くらいはけっこうお仕事させていただきましたね。
(仕事があったのに、辞めようと思ったんですか?)
すごいハマり役みたいなのをやらせていただいた後、これ以上のことが出来るのかなと。すごく出し切った感じがあって、その後にやらせていただく仕事や役は、あの時以上のことが出来てないな、と。あと、夢がないんですけど、経済的なこともあって。10年やって来たから、1回区切りをつけてみようと思いました。
(その後も東京でアルバイトを?)
百貨店に就職しました。その時33歳くらいですね。きちんと朝仕事に行って会社で働いて、夜帰って、健康保険証持ったりとか、そういうことを何もして来てなかったなあ、1回、普通の就職してみたいと思いまして。東京から離れる直前くらいまで、足掛け7年くらいですね。
(33歳で初就職というのは、思い切りましたね)
たまたまほんとに、働いてみたいと思ったんですけど、33までお芝居してたので、何をしていいのかわからなくて。じゃあもう、毎日通う場所やから、好きな場所で働きたい。好きな場所が銀座やったから、銀座にあるお店か会社で働きたいと。興味があったのが販売だったので、応募したら即、採用していただけました。1回決めたので、5年くらいは同じ会社で働かないとな、と思って。
(俳優10年、サラリーマン5年…計画的ですね)

―そこからどうして新喜劇に?

就職してからもお芝居したいなあという気持ちが、沸々と沸いてきまして、最初は東京でお芝居や舞台のオーディションとかを受けたりする日々でしたが、やっぱり一度断ち切ってしまうと、居場所がなくなるというか。どうしようかなと思った時に、大阪で吉本新喜劇のオーディションがあるというのを見つけて。「あ、これや! 関西弁でお芝居が出来る」と思って。その日のうちに履歴書を書いて、近くの郵便局に出しに行ったのを憶えてますね。募集が始まった日くらいに見て、「これを逃したら…」という感じでした。10月くらいに書類出したんですが、応募資格が18歳以上で、上限がなくて。その時、39歳で2月に誕生日が来たら40歳になるし…まず、そこで大丈夫かな?と思ったんですけど、通していただいて。2次審査は特技披露だったんですが、ほんとにそういうものを持ち合わせていなくて、何人か一緒に受けるだろうから、パッと目立つようなことをやらないといけないと思いました。僕は俳優で中性的なキャラを売りにした時にお仕事をいただけたので、そういうイメージで、紫のバラの衣装を着て、あとは宝塚が好きだったので、「ベルサイユのばら」の歌を歌いながら踊るという…。
(あははは…)
制限時間の1分を明らかにオーバーしてたんですけど、最後まで見てくださって。張り切りすぎて、けっこう、長いこと歌ってしまったんです。終わった後は「し~ん」として、「はい、ありがとうございました」みたいな。「あれ? アカンかったかな?」と。
(でも、合格でした)
3次はお芝居の審査で、合格者には2月中旬に連絡が来るということだったんですが、20日まで待っても来ない。アカンかったんかなと思ったら、20日の夜に通知が来て、台本も入っていて。オーディションは今週末です、と。偶然、2月22日が誕生日で、ちょうど40歳になるので、その前後3日間、お休みを取ってたんです。台本もらった次の日から休みだったので、じっくり覚えられて。万全の状態でオーディションに行けました。ここまで出来るという最大限の自分を見てもらいたいと思っていたので、特に緊張せずにやらせていただけました。ギャップを感じたのは入ってからの方ですね。
(オーディションの手ごたえはありました?)
それは、ありましたね。もし、「これで出来なかったらなし、出来たら受かる」、と思うくらい、いいポジションの役をいただいてました。自分にとっても40歳だったので、もう、ほんとにラストチャンスと思っていました。

―初舞台は覚えていますか?

金の卵9個目は、2017年5月7日の夜公演の後、NGKの舞台でお披露目がありました。その次の日からレッスンが始まりました。9月に金の卵9個目のライブがあって、10月から順番に初舞台を踏んで行きました。僕はメチャクチャ遅くて、12月に入ってから、すっちー座長の鹿児島公演で初めて舞台に出していただきました。その2日後、西梅田劇場で酒井藍座長の公演に出ました。
(どんな役でした?)
うどん屋が舞台のお話で、公園に捨てられた赤ちゃんが拾われてきて話が始まるんですが、その捨て子の両親の役を鮫島幸恵さんとさせていただきました。最後に「やっぱり子どもを返してもらえませんか」って涙ながらに迎えに来る役で、感動するシーンで使っていただいて。
(初舞台は緊張しました?)
ものすごく緊張しました。今でも覚えていますが、初日の1回目公演の時、ガタガタガタって手足が全部震えて、「セリフ噛んだらアカン」とか「きちんとせなアカン」って。前を見ると、早々たる出演者ばかりで、舞台に出て行く時も桑原和男師匠の和子ばあちゃんから、「大変よ~そこから夫婦が見てるわよ~」と、呼んでいただいて。何もかもが緊張の極みでした。

―新喜劇に入って戸惑われたことは?

台本を渡されて、稽古が1日しかないことに、まずビックリしました。ドラマとかだったら、台本を渡されるのが何週間も前とかで、普通の舞台も1か月くらいはお稽古して、完璧になって舞台に立てるっていう安心感があったんですけど、新喜劇は前日とかが普通なので、初めはついて行けなかったですね。酒井藍座長の時は、何とかっていう感じだったんですけど、その次の週が川畑座長の週で、けっこう出ずっぱりの役を頂いたんですけど、本当に何も出来なくて…。ご迷惑ばっかりおかけしました。本当に難しかったです。

―NGKの初舞台は?

昨年の5月の辻本座長の週で「茂造の逃亡・無謀・変貌」というお芝居で、ニューハーフのキャンディちゃんという、女装の役がNGK初舞台でした。
(それは衝撃的な!)
奥重敦史さんの元恋人役で、最後は復縁するんですが…。
(初舞台はオープニングとかが多いですけど、意外な役ですね)
そう、ですね。辻本さんが大抜擢してくださって…。辻本さんからも「主役の1人だから」っておっしゃっていただいて。その時もものすごい緊張しました。NGKはテレビ収録が入りますし、初めてのテレビ収録がそれだったので…。でも、NGKに出られたということの方がうれしくて…。
(ダメ出しとかありました?)
それが、あまりなくて…。特に、キャンディちゃんの時は、辻本さんも「100点!」と言ってくださるくらい、何も言われませんでした。女装とか、中性的な役をしている時はそうなんですけど、逆に普通の男性役の時の方が、けっこうダメ出しされるんですよ。「お前どないしてん?」というくらい違うみたいで。東京でも女装とかの役の方がのびのびやってた気がします。今でもNGK以外でキャンディちゃんをやらせていただくことがあるんですけど、そういう時は水を得た魚のような気分です(笑)
(そういう役を昔からやりたかった?)
すべてのルーツが、メイクして衣装着てというところにあると思いますね。

―先輩からどんなことを教えてもらいましたか?

皆さん、教えてくださるんですけど、僕、お芝居しかしてこなかったので、ちょっとしたギャグをしなきゃいけないとか、ボケとかが、ほんとにうまくないんですね。特にツッコミがうまくなくて。辻本さんはじめ、皆さん見てくださってるので、幕が閉まった後で皆さんが教えてくださいます。
(芸歴が長い分、ハードルの高い役が多いと思いますが、やりたい役は?)
今週いただいた役もそうですが、お芝居があって、最後は泣けて笑えてっていう。そんな泣けるお芝居とか、新喜劇らしい役をやりたいです。もう少したったら、歌とか踊りが得意な先輩方もいらっしゃるんで、そういう方たちと踊って歌ってというような、ショー的なものとかもやりたいですね。チャレンジしていけたらいいなと思います。

―最近、ハマっていることや趣味は?

僕、お酒が好きなんで、連れて行っていただくことも多いですが、仕事の後の一杯とか好きですね。あと、ドラマも好きで、昔のドラマのDVDとかをたくさん持っているんで、家に帰って、お酒を飲みながら、トレンディドラマとかを見ながらリフレッシュするとか。もう少し、時間の使い方を上手くできるようになったら、身体を動かすこともしたいと思いますが、なかなか…。
(舞台、お忙しそうですね)
今、休みがないくらい出させていただいているので、それはもう、感謝です。もっともっといろんな役を幅広く出来るように磨いていきたいですね。

2019年1月21日談