第52回 五十嵐サキ

新喜劇は私の中で幸せなところでしかないですね。


―いつ頃から新喜劇に入ろうと思われたんですか?

親がずっと新喜劇が好きで、幼い頃に舞台を観に連れて行ってくれました。その影響で毎週テレビを見てて、小学校低学年くらいから「新喜劇に入りたい」という夢を抱いて。大人になってほんとに入ったっていう感じです。
(幼心にどこが良かったんですか?)
やっぱり好きだったんですね。新喜劇プラス漫才も。お笑いそのものが大好きで、大きくなって、お笑いだけをやるセンスは全然、自分にはないけど、お芝居しながらお笑いが出来る新喜劇がすごい魅力的で。勉強させていただきながらなら、頑張れるんじゃないかという気持ちで挑戦しました。
(入団されたのは22歳ですね)
そうなんです。親が大反対で「絶対アカン」と。短大卒業の時も、「とりあえず、就職しなさい、2年働いてそれでも気持ちが変わらなかったら」と言われたんです。で、2年頑張って働いて。毎日その約束を忘れた日はなくて、2年後に、「気持ちは変わりません。新喜劇に入らせてください」と言ったら、親は「う~ん」ってなってたんですけど、もう勝手に会社辞めて、新喜劇のオーディションの準備始めたんです。親も何も言えなくなってしまったというか。どうせ、お前なんか無理やっていう感じもあったんでしょうけど、合格をいただいて…。2年、3年と頑張っていくうちに、だんだん応援してくれるようになりました。

―当時はどんなオーディションでしたか?

まず、書類審査がありまして、受かった人だけが集められて、最初はグループ面接だったと思います。自己アピールで一発芸する人とかもいて、みんな個性的な人ばっかりでしたが、私はすごくオーソドックスで、「新喜劇をやりたいです」って言うただけやったんです。あははははは(笑)。でも、受からせていただいて、次はグループで新喜劇についての討論会。皆が「新喜劇はギャグがあってナンボや」と言ってる横で、私だけ、「ちゃんとしたお芝居があるからギャグが生きるんや」って。堅苦しいことばっかり言うてた気がします。それでも受からせていただいて。20人くらい残って、最後は3か月くらいレッスン積んで、2班に分かれてのお披露目公演で、社員さん100人呼んで合否を決めます、と。それで最終的に合格をいただきました。
(1997年1月ですね)
はい。初舞台はその年の4月でした。それまでは、発声とか、舞台を観に行くとか、ごあいさつに回るとか。

―初舞台は覚えていらっしゃいますか?

覚えてます、覚えてます。梅田花月で、同期の伊賀(健二)君とカップル役で、オープニングでベンチに座って、イチャイチャしてる役やったんです。でも、お互い恋愛もそんなに器用じゃないし、慣れてないというか、「全然カップルに見えへん!」と、ダメ出しをいっぱいされて。お互い真面目なんで、待ち合わせして、どんな風にイチャついているか街にカップルを見に行こう、って(笑)。それでも、硬さが取れなくて、ず~っと、ぎこちないままでした。若手はネタを考える努力をしなさいと言われてて、私はノートに10パターンとか20パターンとか寝ずに考えたりしてたんです。それを先輩に「どうですか? このネタ」って見せに行って、選んでもらうみたいな。その時、伊賀君は「僕、そういうの苦手やから」って考えて来てくれなくて、私が全部負担してたので、ケンカになって。幕が上がる寸前まで言い合いになって。ホンワカパッパ~って幕が開いて、イチャつかなアカンのがお互いすごい苦痛で…(笑)。顔が引きつったカップルでした。あはははは~。
(新人の頃はずっとオープニングに?)
ずっとオープニングでしたね。私は下手くそながら、若い世代の中では、早々と、娘役に置いていただいた方でして、ド下手だから、壇上茂先生とかからメッチャ怒られてたんです。もう、殴られるくらいの勢いで怒られて、先輩にかばっていただきながら、必死にやってました。
(どんな風に演技の勉強をされました?)
暇があったら新喜劇の舞台を観に行ってましたし、家でビデオも何十回と見ました。そういうことばっかりで、恋愛とかも全然なくて。そんなところに頭が行かない。ずっと(演技の)勉強ばっかりで。
(真面目なんですね)
もっと上手くできたらいいんですけど。すごく不器用で…。

―記憶に残っている舞台とかありますか?

いっぱいあるんですけど、私、大きなミスをしでかしてまして…。ひとつは、スカートで男の子をおぶって舞台からハケるというネタで、おぶる時にスカートがまくれ上がってしまったんです。お尻全開のままでハケていくという失態を。先輩方が笑い転げて、舞台がストップしたことがあるんです。あと、急にアドリブを辻本兄さんから振られた時。仲居役やったんですけど、自己紹介ネタでボケるというネタで、「お前今回ボケろよ」って耳元で言われた時に、「え? どうしよ?」となって、その時、演芸部門にクリスチャン・クリストフさんって言う人が出てはったんです。なぜかその人がパッって頭に浮かんで、私、言ったらアカンこと言っちゃって…「クリ、ほにゃらら…」って。
(あははは~(笑) チャレンジャーですね!)
一瞬、何が起きたかわからなくて、先輩がみんな逃げて舞台からいなくなっちゃったんです。私だけひとりぼっちでぽつんと舞台に残されて…、3秒後にお客さんがドカーン! それが伝説みたいになって、「新喜劇初や! 下ネタを生の舞台で言うなんて!」ってなったんですけど。それはいまだに言われることがあります。「すごいことしでかした新人」って。
(けっこう、やっちゃうタイプですか?)
はい、しでかす時は、大きいみたいです。

―割と早くにマドンナ役になられましたね。

そうなんです。たまたま1~2年で重要なポジションに置いていただいて。自分では3枚目だと思ってたんで、マドンナ役を担当するとはまったく思ってなかったです。もとが女性らしくないので…。学生時代はソフトボールをやってて、男勝りやったんです。真っ黒で、ショートカットで女の子らしいタイプでは決してなく。キャッチャーをやっていたので、「ファーストしっかりしろよ~」とか。かわいい普通の女の子がどういう喋り方をするかとか、どういう立ち居振る舞いをするのかという、基本的なところから勉強やったんです。「お前が見ててかわいいと思う女の子を演じればいいんだ」ってメッチャ言われました。喋り方とか、歩き方とか、階段の上がり方とか、全部見て研究して…。
(舞台だと、ちょっとした仕草にも日常が出ますね)
そうです。普段から気をつけろって、すごくご指導いただきました。下手くそなのに、先輩方がすごく育てようとしてくださっているのは、感じるんです。こんなに一生懸命ご指導いただいている、それになんとか報いたいと。でも報えたかなと思えることもあんまりないです。今も。

―当時の先輩でとくに教えてもらったり、お世話になった人は?

先にお手本見せてくださるんです。よりわかりやすいご指導してくださって。口でパパッと言うだけやったら、どういうことやろ? どうしたらええんやろ? と思っちゃって。まず、見せてくださるのは有難かったです。内場兄さんもガーッと注意するわけじゃなく、静かに、「こういう場合はこうやで」という感じで、やりやすい雰囲気にしてくださって、何かが起こったら俺らがフォローするからっていう空気を作ってくださってました。このお2人は一番軸で育ててくださったのかなという思いです。あと当時、演出家の湊裕美子先生からもかなりご指導いただきました。私、右足と右手が同時に出る、ロボットみたいな歩き方になってる時期がありまして。新人の時、湊先生から「お前はロボットか~」とメッチャ怒られて。ひどかったと思います。「真っ白すぎる」といわれました。山田花子さんより「真っ白すぎる」って(笑)。けっこう、天然で、しでかしてる部分もあったんで、内場兄さんとかは「こいつアホや」みたいな感じで、「アホのお嬢さん」役とかをやらせていただく機会をいただいて。私としてはそっちの方が楽でした。あはははは(笑)。素で出来るから(笑)。

―その後、役柄としての転機は?

今が一番の転機ですかね。けっこう長い間、娘役路線をやらせていただいた方やと思うんです。40代に入って来ましたので、ちょうど転機というか路線が変わって来てる最中です。お母さん役になって来たり、娘以外のお母さんでもない役が回って来たり。それはそれで難易度が高くて。声の出し方も娘役の時とも違うので一からです。振る舞いもドシッとしないといけない。ベテランの女優陣の皆さんを常に見て、こういう感じに近づいて行かなアカンと思いながらやってます。
(娘役時代にはキレキャラも?)
ありました。泉州人なので、泉州弁でキレろって。
(泉州弁ってどんな感じなんですか?)
だいたい、「よ~、け~」を使うんですよ。「お前らよ~○○やんけ~」とか。語尾に「よ」と「け」を使って。やすえ姉さんの河内弁のキレ方より、もうちょっとキツイかも知れません。一番最初にキレネタをさせていただいた時は、お客さんが引いてしまってると感じたんです。そういうキャラが定着してないので、普通の女の子が突然、「~やんけ!」と言っても、「何これ? ガラ悪い」みたいな。キレネタで笑っていただけるようになったのは何年かしてからです。
(難しいですね~)
そうですね、私も難しいと思いました。言い方もあるんやなと思って、やすえ姉さんのネタを録音とかビデオで何百回も見て…(笑)。間とか、あるんですね。最近は激しい気性のお母さん役とか多くなってきまして。あき恵姉さんがよくやっていらっしゃるような役をちょこちょこいただくようになって来てからの、難しさです(笑)。あんまりワーッっていいすぎると声が割れちゃうので、張りすぎず、声を響かせて、ドスを利かせてというところ、今すごく勉強してます。
(それも難しい…)
メッチャ難しいです! 役が回ってきて、痛感することっていっぱいあります。先輩方を改めて尊敬してます。こんな難しいことを自然にこなしてるように見せてはる、すごいなって思います。

―コケるのは新喜劇の基本ですが、難しいところは?

あれはね、パンツが見えないコケ方があるんです。それをマスターするのにけっこう苦戦した時期がありました。一応、女子はみんなスパッツをはいているんですが、それもあまり見せない方がいいと。コケる瞬間、1回クルッと回るんです。お客さんに背中を向けてコケると、足がお客さんに向かないから、パンツが見えない。衣装にもよるんですけど、パンツスーツの時は前にこけてもいいけど、スカートの時は半回転せなアカンとかをマスターする練習をメッチャしました。
(着物の時は?)
お着物を汚したらアカンし、1週間トータルで着物なので、破れてもアカンし。先輩方を見てましたら、床にコケなくても、前のめりでトトッと行くだけでも十分やし、中腰になるくらいでやっていらしたので、お着物の時はその方がいいかなと思ってやってます。

―間もなく丸20年になりますが、辞めようと思ったことは?

ありました。一番辛かったのが、早くにして、兄ががんで亡くなってしまったんです。20代の時やったんですけど、その時初めて「辞める」って、思いまして。親にも言って、一部の先輩にも気づかれて…「あんた辞めようと思ってるやろ?」って。……辛すぎて、もうやって行かれへん、と思うくらいずーっと落ち込んでたんですけど。周りの先輩方とかスタッフさんを含め、いろ~んな人に支えていただいて、立ち直れたのは、新喜劇に所属していたからなんです。あのまま辞めてたら、あとで親にも言われましたけど、たぶん私、廃人になってたな、って。
(そこまで…)
そのくらい、落ち込んでたんで、新喜劇の先輩方に感謝してます。一緒に泣いてくれた先輩とか、泣いて引きとめてくれた先輩とか。「一緒に頑張ろう、支えていくから」って言って下さった先輩とか…。その時は、自分ごときのために、こんなに一緒に泣いてくれて、引きとめてくださる先輩方が何人もいて……ほんとに感謝しかなかったです。そこまで気にかけていただいてるというのを私自身が痛感した瞬間だったかも。私なんて、言うたらはいて捨てるほどいてる数多い若手のひとりじゃないですか…すっごいうれしくて。あったかいとこだなって思いました。家族みたい…。
(ずいぶん気持ちも変わられました?)
変わりましたね。もともと好きで新喜劇に入ったんですが、そこにプラスアルファ、先輩方に恩返ししたい気持ちがばーっと出て来まして。だからと言って、何が出来てんねんって言うと何も恩返し出来てないんですけど。とにかく、めげずに辞めないことが、まずひとつ恩返しかなって。少々のことで辞めたらアカンし、挫けたらアカンし。それを今、続行中なんですけど。まだ何も恩返し出来てないです。
(具体的に恩返しとは?)
おこがましいんですけど、最終的には先輩たちのように新喜劇という看板を背負って、「あの人、新喜劇の女優さんやな」と誰もが認めてくださるようなベテランさんになりたいなと思います。

―五十嵐さんにとって、新喜劇の魅力というのは?

生の舞台でお芝居しながらお笑いも入って、未熟ながらいろんなアドリブにも対応しながら、お客様の反応もすぐに返って来るという、日々の舞台はすっごい刺激的です。そこにプラスアルファ、あったかい先輩方との楽屋でのコミュニケーションだったり、プライベートの付き合いだったりというところも。私の中では幸せなとこでしかないですね。
(そんなに幸せだったら…)
もう辞めれないですね。今や。
(人生の幸せの方は?)
そうなんですよ~。まだ何もないんですけど、こんな私と、もし結婚したいと思ってくれる人がいたら、それも理解してくれる人がいいです(笑)。男性は仕事を辞めて家庭に入って欲しいという人が多いと思うんです。それもわかるんですけど、そこだけは「新喜劇を続けてもいいよ」って言ってくださる人がありがたいなって。実際女性の先輩方もそういう人と結婚されて続けていらっしゃるので、私もいつかそんな人と巡り合いたいなと思いながら、いい歳に来てます。出会ってもなかなか難しいのは、痛感してます。結婚はすごくしたいんです。でもそういう人に出会ってなくて、今はありがたいことに仕事まっしぐらです。

―プライベートでハマッていることや趣味とかありますか?

私、1人でカラオケ行ったりするんです。たまに。1人カラオケで3時間、4時間歌いまくるっていう…えへへへ(笑)。
(そうなんですね! どんな曲を?)
いろいろ歌うんですけど。演歌も歌うし、最近のAKBも歌うし。いろんな歌を歌うんですけど、たまに歌詞が自分の状況に合致してしまったりすると、泣き出すんですよ。あははははは…。
(えーっ!?(笑) それは…?)
ゆずの「栄光の架橋」という歌が、どうも私の中の何かを思い出させるみたいで。自分で歌おうと思って入れてるのに、途中で泣いて歌われへんようになって…あははははは(笑)。
(それはストレス発散なんでしょうか?)
わからないですね。行っていっぱい歌って、感傷的になる時もあれば、ああ、いい歌やなあって思いながら、発散して帰る時もあるし。いろいろですね。基本、ひきこもりが多いんで、家にいる時は、友達とご飯行く以外は、ゲームしてます。それもクロスワードとか。
(えっ、地味~(笑))
はははは…あと、数読とか。脱出ゲームとか何時間も費やしてしまう日もあったり。その時は何も考えずにそこに集中出来るんで、いろんな悩みがワーッて来てる時とかは、すごくいい発散なんです。

2016年11月15日談

プロフィール
1975年12月1日 大阪府生まれ。1997年1月 入社。