loading

Member Introduction 社員紹介

抜いた抜かれたの世界で常に勝ち続けたい

仁熊 邦貴

報道局ニュースセンター
工学部卒業/2005年入社

「テレビの力」を感じた高校時代

放送局を志望した理由は、高校時代にやっていた「軟式野球」。高校野球は硬式野球が脚光を浴び、軟式野球はマイナースポーツです。いくら大阪大会で優勝しても近畿大会で優勝しても、学校では評価されない日々を送っていました。そんなマイナースポーツに光を当ててくれたのがテレビでした。大阪大会で3回連続で優勝したときに、テレビで放送されたのです。その直後から練習環境も変わり、周囲からの評価も一変しました。
純粋にテレビって「すげーな」と思った瞬間であり、テレビという仕事に興味をもった瞬間でもありました。MBSを選んだのは、就職活動中に出会った先輩(報道記者)の存在が大きかったです。

「報道に何ができるのか」 信念を胸に挑む

入社後は制作局に配属され、2年間バラエティーや情報番組の現場を経験しました。その後、現在に至るまで報道局で記者をしています。報道局では警察担当記者を経て、遊軍記者となり、震災や原発問題を取材。 JNNの応援記者としてTBSの記者らと共に現場で取材することもありました。

東日本大震災では、発生直後から大阪から宮城県に向けて出発。24時間以上かけて宮城県の南三陸町に到着。言葉として正しくないかも知れませんが、「戦後の日本」と見まがうような景色が広がっていました。記者もまだ誰一人として南三陸町には到着していない状況。何を取材して何を伝えればいいのか、とても悩みました。とにかく被災者に話を聞こうと思い、レスキュー隊と共に町から出てくる人に、インタビューをしていきました。「誰が生きていて、誰が死んでしまったのかすらわからない」、「避難所はあるが、物資も何も届かない」「津波に子どもが飲まれてしまった」など、皆さん、現状を涙ながらに訴えてきました。現場で取材をするといつもは伝わりやすいような言葉を選んで原稿にしたり、中継でしゃべったりしていましたが、あの時ばかりは被災者の代わりになって、被災者から聞いた話をひたすら誰かに伝えるようにしゃべっていたように思います。現状を訴えることが一番大事だと感じたからだと思いますが、報道に何ができるのか、今までで一番考えた瞬間でした。

取材の積み重ねで事件の本質に迫る

報道記者になって10年以上経ちましたが、そのほとんどを大阪府警記者クラブで過ごしました。警察記者は「抜いたら勝ち」、「抜かれたら負け」という勝ち負けの世界。テレビは映像でその差がはっきり出るので、気の抜けない毎日です。もちろん扱うのは事件なので勝ち負けではないと思いつつも、どこの社よりも「視聴者にわかりやすいニュースを」という思いを突き詰めると、どこの社よりも早く情報を掴みOAすることが大切なので常に勝つことを心がけてきました。新しい発見・印象に残ったこと・忘れられないことは、毎朝晩の夜回り朝駆けで、警察官からネタをもらうための「駆け引き」にありました。もちろん特ダネをものにした瞬間や、取材で事件の被疑者にたどり着いた瞬間などもありますが…。
この仕事の1番の魅力はやっぱり「自分が取材で得た情報や、自分が興味を持って取材したものを、テレビを通して多くの人に伝えることができること」です。また、事件取材では、事件の本質に迫ることが出来るなど、やればやるだけ自分に返ってきます。取材がうまく進むと、警察より先に容疑者に当たることができ、仮にインタビューができればスクープにもなります。精神的にはきつい時もありますが、そうしたギリギリのところで仕事が出来ることも魅力です。

みなさんへ一言

僕もそうだったんですが、就職活動って「自分をよく見せないと」とか思いがちだけど、実はそうじゃないです。僕は学生時代野球しかしてなくて…野球なんて何万人?もの人がやっているスポーツ。中には甲子園出場経験のある猛者だっています。そんなことを考えると、つい自分がやってきた野球なんて、なんのアピールにもならないと思いがちですが…、僕の経験上、意外とそうではなかったです。自分が「そんなに大したことじゃないやん」って思っている経験が、実は面接官にとっては新鮮で、急に話が盛り上がったりしました。そうなんです、「自分と野球との関係は自分だけのもの」だと思えば、『それをやってきた思い』や『忘れられない場面』などは、それは自分にしか語れないことだと思うので、それを自分の言葉で伝えると自然にアピールになってたりするものです。

報道

社員紹介一覧へ