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JR脱線事故から13年…慰霊の場に 「風化させない」現場撮影し続けた遺族の想い

更新:2018/09/14 19:23

 JR福知山線の脱線事故から13年。列車が衝突した事故現場のマンションの整備と慰霊碑が完成し14日公開されました。そこには事故を風化させないため現場のマンションを撮影し続けた遺族の姿がありました。

 慰霊と鎮魂の場として整備され「祈りの杜」と名付けられた事故現場。広場には慰霊碑が設置されJR西日本の社長らが花を手向けました。

 「事故現場を通して重大な事故を引き起こしたという悲惨さもしっかり受けとめて、それを後世、そして組織内に受け継がねばという思い」(JR西日本 来島達夫社長)

 線路を挟んで事故現場を撮影する遺族がいました。上田弘志さん(64)は大学に入学したばかりの次男・昌毅さん(当時18)を失いました。

 「弟からしたら頼れる兄ちゃんで、親からみたらちょっと頼りないお兄ちゃん、すごく優しかったね。お父さんとお母さんは僕が看るって言うてくれていたので安心しとったんやけど…」(上田弘志さん)

 スピードを出しすぎた快速電車がカーブを曲がり切れずにマンションに衝突。乗客106人が死亡しました。昌毅さんも大学に行くため電車の2両目に乗っていて、帰らぬ人となりました。JRは事故現場を慰霊の場として整備しようと2年前から工事を開始。9階建てのマンションのうち、電車の衝突の痕が残る1階〜4階部分以外は解体されることになりました。

 解体が決まってから上田さんはカメラで工事の様子を記録し始めました。マンションの姿が変わってしまっては事故が風化してしまうと恐れたからです。体調が優れない中、夏の暑い日も現場に通い続けました。撮りためた映像はDVD約140枚にものぼります。

 「ごく最初のころはあそこが第二のお墓みたいな感覚があって、墓石を削られているイコール子どもの体を切っていかれているみたいな、顔だけ残してあとみんな切っていくみたいな感じがあってすごく変な感じがあった。すごくつらかったですね」(上田弘志さん)

 記録の中には、割れた窓ガラスからの映像も。

 「事故が起きたときに破片が飛んで(ガラスが)割れているって聞いていたので、そこに立った時にむっちゃくちゃ電車って大きいなって思ったんですよ。これで制限速度(時速)70キロっていうのが疑問で。もっと遅くないとあかんのにって」(上田弘志さん)

 9階建てのマンションが徐々に姿を変えていく様子が克明に記録された映像。上田さんはこれらをJR西日本の社員研修に使ってもらいたいと願っています。そして今月、事故現場の整備が完了し、アーチ状の屋根がすっぽりとマンションを覆いました。線路側からはほとんど建物は見えません。改めて亡くなった息子や乗客らに手をあわせる上田さん。上田さんの時間はあの時からずっと止まったままです。

 「向こう(マンションの側)に行くとつらさがものすごくきつくて、お参りどころじゃなくなってしまうというのがあるんですけれど。JR西日本が一日も早く安全な会社になるようにお願いしていきたいなと」(上田弘志さん)


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