今年6月、大阪市西成区で起きた住宅の崩落。高台に立つ住宅が突如崩れ落ちるという衝撃的な出来事でした。あれから半年が経った現場はどうなっているのか。家を失った住人の心境も含めて取材しました。
計4軒の住宅が突如崩落…残る1軒も撤去
今年6月25日午前7時すぎ、大阪市西成区で住宅の立つ石垣が崩れ、その後、2階建て住宅2軒が崩落しました。
さらに、その3時間後には隣接していた2軒も崩落し、そこにあったはずの住宅計4軒が数時間のうちに消え去りました。
かろうじて残った住宅1軒も「このまま放置すると危険が及ぶ」として、崩落から11日後に重機などで引き倒されました。
半年経った現場には“斜面を観測するセンター”が設置
あれから半年が経った今年12月。取材班が再び現場を訪れてみると、崩れた斜面の全てにシートが覆われていました。
(MBS大吉洋平アナウンサーリポート)
「当時は瓦礫がたくさん積まれていて、家の中で使われていたものなどが散乱していたんですが、そういうものが全てなくなっていますね。あと、奥のほうの地面には大きなくぼみができていて、雨水でしょうか、水が溜まっています」
階段をのぼって高台の上から崩落現場を見てみると急斜面だったことがよくわかります。
(大吉アナウンサーリポート)
「のり面の角のあたり、あそこぐらいまでは家の土台があったんですよ。ただ右側を見てみると、ぐっと内側に入り込むようにえぐり取られているのがわかります」
かつて住宅があった土台部分はわずかに残るのみ。さらなる崩落で道路側に危険が及ばないように大阪市が補強工事を行っていました。
大阪市は斜面の状態を観測するセンサーを設置。これまで斜面に大きな変化がなく安定していることから、12月20日に車両の通行も再開されました。崩落から半年が経って周囲は以前の姿に戻る中、あの時に家を失った方はどんな暮らしをしているのでしょうか。
家を失った住人「夜中やったらたぶん死んでいた」
12月9日、取材班は山下輝雄さん(61)に話を聞きました。山下さんは母親と2人で暮らしていた自宅を失いました。崩落当日の朝、異変を感じて着の身着のままで家を飛び出したといい、目の前で自宅が崩れていくのを、ただ見ているしかありませんでした。
(山下輝雄さん)
「午前6時半過ぎに家を出て、(自宅が)落ちたのが午前7時15分。その間ずっと見ていて、だんだん傾いていっているのが見えた。何というかな、『あぁぁ…』かな。夜中でなくて良かったなと。夜中やったらたぶん2人とも死んでいるでしょ」
崩落から1か月後の7月、山下さんは家が崩れた場所に大阪市の職員立ち合いの下で入りましたが、ほとんどの家財道具が壊れ、思い出の品も見つかりませんでした。
(山下輝雄さん 今年7月)
「ひどいわ、何がどこにあるかさっぱり…」
山下さんは現在、大阪の市営住宅で暮らしています。生活に必要な家具や家電などは約150万円かけて買い直しました。月々の家賃も山下さんの負担です。地震や台風などの天災による崩落ではないため行政からの補助はありません。
(山下輝雄さん)
「全部自分の貯金の持ち出しで。まだなんぼかお袋が置いていてくれたからよかったけれども」
半年が経つも“崩落の原因と責任の所在”ははっきりせず
崩落から半年が経った今でも原因と責任の所在ははっきりしていません。当時、のり面の下の土地では高齢者施設の基礎工事が行われていましたが、建築主側は取材に対して「のり面の安全管理は住民側が行うもので、工事と崩落の因果関係を調査するつもりはない」としています。大阪市も「崩落の責任はあくまで民間同士の問題」との立場で、原因を調査する予定はないといいます。
近くの住民は現在の崩落現場の状況について次のように話します。
(近くの住民)
「道路的にはそんなに不安はないんですけれど、子どもたちが柵をのぞいた時とかに、ちょっと危ないんちゃうかなという不安はありますよね。ですから、やっぱりきれいに整備はしていただきたいですよね」
「危ないな。上から落ちそう」
いつどのように現場を復旧させるかはまったく決まっておらず、地元からは応急処置のまま長く放置されることに懸念の声があがっています。