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【特集】「『6月23日』ほとんどの人知らない」沖縄戦終結から75年 関西で暮らす戦争体験者の証言

2020年06月23日(火)放送

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沖縄県は6月23日、激しい地上戦で20万人を超える人が犠牲となり、県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦から75年の「慰霊の日」を迎えました。体験者の記憶の継承が年々難しくなる中、関西で暮らす戦争体験者たちから話を聞きました。

県民の4人に1人が命を落とした「沖縄戦」

激戦地となった沖縄県糸満市の平和記念公園。沖縄県は太平洋戦争末期の沖縄戦で組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としています。沖縄は6月23日は休日で、朝早くから遺族らが訪れ「平和の礎」の前で手を合わせていました。
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「激しい戦争を起こしたら大変になる。世界中の皆さん、二度と戦争は起こしてはいけません。」(89歳の沖縄戦の経験者)
「慰霊の日は沖縄県民だけではなく日本の人にもちゃんと戦争について考えてもらう日になったらいいなと思います。」(15歳の沖縄県民)

「『6月23日』ほとんどの人が知らない」大阪で沖縄に関する本の貸し出しなど行う男性

駅前に多くの沖縄料理店が軒を連ねる大阪市大正区は、区民の4人に1人が沖縄県出身者か沖縄にルーツを持つと言われます。沖縄出身の金城馨さん(67)は「関西沖縄文庫」の主宰者で、1万点に及ぶ沖縄に関する本や映像の貸し出しや販売を行っています。金城さんは沖縄戦や6月23日の慰霊の日について、県外であまり知られていないことを気にかけています。

「日本本土における8月15日というのが戦争との関係の日か、8月6日、9日の原爆の投下。6月23日については、ほとんどの人が知らないと言っていいくらい、教えられることもないだろうし。」(関西沖縄文庫 金城馨さん)

「スパイの疑いかけられ日本兵から手りゅう弾投げつけられた」兵庫で三線教室を開く男性

兵庫県西宮市で三線教室を開いている仲村元一さん(75)。当時、仲村さんは生後3か月でしたが、母親から戦争の話を繰り返し聞かされました。

(Q6月23日という日付には?)
「それは意識していますよ。日本の終戦記念日はふーんと思うけど、沖縄戦の終戦記念日はたくさんの人が亡くなったんだと思うね。」(仲村元一さん)

1945年4月、アメリカ軍は沖縄本島に上陸。戦闘は日に日に激しさを増し、飢えと恐怖に耐えながら夜道を逃げ惑っていた仲村さんらは、アメリカ軍によって一時的に集落に保護されました。ところがその後、“一家は敵軍のスパイ”だという疑いをかけられ、日本兵から手りゅう弾を投げつけられました。

「『きさまら、米軍の捕虜になりやがって、それでも日本人か!』と怒鳴っていたというわけ。兵隊が(住民を)並べてから、後ろに下がっていて、1列に兵隊が並んで123って号令かけたら手りゅう弾が飛んできた。」(仲村元一さん)

母親とその腕に抱かれていた仲村さんは一命をとりとめましたが、一緒にいた親族9人のうち5人が命を落としました。当時は戦局の悪化に伴って味方同士が互いを疑い、スパイ容疑をかけられて日本兵に虐殺されるというケースが相次いだといいます。仲村さんは自身がこの話を語り継がなければならないと考えています。

「『日本の兵隊に殺された?それはない。日本の兵隊はそういうこと絶対しない。』全然信用しない。みんな知らない人ばっかり。それだったら、ここで私が話しをせなあかん。」(仲村元一さん)

「沖縄戦で命を救ってくれた衛生兵」京都で暮らす83歳の女性

京都市に住む小澤高子さん(83)も8歳の時に沖縄戦を目の当たりにしました。道端には戦闘に巻き込まれた住民の死体や助けを求める負傷者があふれていたといいます。

「人がいっぱい死んでいる。膨れ上がっている。息絶えた人がいる。話しにならないくらい怖い、残酷。私の足捕まえて『水くれ~水くれ~』とか『痛いよ~』とか。手がなくなった人とか首がなくなった人とか。死体いっぱいです。想像できないはずです。」(小澤高子さん)

あれから75年が経ちますが、いつも思い出すのは命を救ってくれた一人の日本兵のことだといいます。逃げ込んだ洞窟の中で40℃の熱にうなされていた時、母が頼ったのが家に出入りしていた衛生兵の金野英次さん(当時25歳)でした。

「金野さんがすぐに壕に駆けつけてきて、そして薬をくれて手当してくれて。『たかちゃん死んだらあかんよ。死なないでね。元気でまた会おうね』と別れて、それから激戦地へ行かれた。」(小澤高子さん)

結婚して大阪に移り住み、子育ても落ち着いた1971年、新聞に人探しの投書をしました。すると、金野さんは生き残って大阪で働いていることが分かり、26年振りの再会を果たすことができました。

「もう涙、涙ですよね。やっぱり生きていてよかったねと。戦争が悪いのであって個人個人はみなさん良い方。戦争がいかに人を悪魔にするし人生も変えてしまう。沖縄に観光に行きますよね。もちろん良いこと、どしどし行ってほしい。沖縄に着いた時、心の中で良いですから、あれだけの戦争があって犠牲なった方がいっぱいいることを知っていると思うから、あのときの戦争で亡くなった方に、心の中で手を合わせていただきたい。」(小澤高子さん)

沖縄戦から今年で75年。戦争の語り部は少なくなりつつありますが、沖縄戦を生き残った人々の体験と記憶は今も紡がれています。

(6月23日放送 MBSテレビ「Newsミント!」内『特集』より)

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