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『奇跡の一本松』の12本の"子どもたち" 震災から9年...育成を手掛けた男性の想い「樹木は生き証人」

2020年03月10日(火)放送

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2011年3月11日に起きた東日本大震災から9年。津波に耐えて一本だけでも強く生き残り、被災者の心の支えとなってきた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」。その後、松は枯れてしまいましたが、実は今、「奇跡の一本松」の遺伝子を受け継ぐ子ども達が、新たな復興のシンボルとして育っています。

津波を後世に受け継ぐ『奇跡の一本松』

岩手県陸前高田市の広田湾を訪れた辻憲太郎解説委員。
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現在は広田湾を囲むように立派な防潮堤が造られていますが、防潮堤と海の間に“小さな松”がびっしりと植えてありました。
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実はこの沢山の小さな松は「『高田松原』を復活させよう」という取り組みなのです。
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350年前に植林が始まった『高田松原』。東日本大震災前、ここには約7万本の松があり、多くが江戸時代に“防潮林”として植えられて町を守っていました。しかし、巨大地震の後、町を襲った14mを超える大津波で、1本を残して、流されてしまいました。
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高田松原で唯一耐え残ったのが『奇跡の一本松』です。奇跡の一本松は、海側にあった宿泊施設「陸前高田ユースホステル」のおかげで、津波の直撃を免れたと言われています。
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一本松は震災の翌年の2012年5月に「枯死」していることが分かり、特殊な保存処理を施された後、津波を後世に受け継ぐ“モニュメント”として、今も同じ場所に立っています。

東日本大震災津波伝承館で“伝えられていること”

壊滅的な津波被害を受けた海岸沿いのこの場所は、現在「高田松原津波復興祈念公園」として整備が進んでいます。これに先駆けて去年9月、東日本大震災の教訓を伝える東日本大震災津波伝承館「いわてTSUNAMIメモリアル」がオープンしました。
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オープンからわずか4か月で10万人が訪れたこの施設では、来館者に必ず伝えていることがあるそうです。東日本大震災津波伝承館の小笠原伸也さんに案内していただきました。
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「こちらのパネルには東日本大震災当時の津波の浸水区域が書かれています。今、津波が来ると、ここにも当然、津波が入ってくる。ですから津波注意報・津波警報が発表された場合には、今すぐにでも避難をしていただきます。”特に津波の被害が想定されない(地域に住んでいる)方々も、ここにいる間だけでも、津波を自分事として捉えていただきたいということで、こういった説明をさせていただいています。」(東日本大震災津波伝承館 小笠原伸也さん)
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ここには被災してしまった消防車や、陸前高田に暮らしていた人達の生活の品々。街を襲った津波をとらえた写真や動画などが展示されています。
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「過去の津波との大きな違いは、津波が映像として残っている。当館でも映像をご覧頂くシアターを用意して、少しでも(津波を)リアルに感じて頂けるようにと思っています。(東日本大震災を)経験していない世代にどう伝えていくかが非常に大きな課題だと思っています。」(小笠原伸也さん)

そして、「奇跡の一本松」の存在はとても大きいと小笠原さんは話します。

「奇跡の一本松をご存知の方は県外にも非常に多くいらっしゃって、『奇跡の一本松のモニュメントを見に来たら、こんな施設が出来ていた』という方も結構いらっしゃる。そういう意味でも、奇跡の一本松があるというのは、非常にありがたいなと思っています。」(小笠原伸也さん)

『奇跡の一本松の子ども』が陸前高田市へ“里帰り”

その「奇跡の一本松」の遺伝子を継ぐ子ども。いわゆる『後継樹』の3本が、去年に伝承館の近くに植樹されました。

「これが奇跡の一本松の子ども達。高さは2m20~30cmぐらいですかね。立派に育っていますね。どうでしょうか…言われてみれば、奇跡の一本松に似てるような似てないような。」(辻解説委員)
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奇跡の一本松救済プロジェクト発起人で日本造園建設業協会・岩手県支部長の米内吉榮さんは、一本松の後継樹の里帰りを心待ちにしていたといいます。

「(育つまで)8年かかっていますので、震災から9年。こうして里帰りさせることが出来たというのは、本当にホッとして、嬉しい思いでいっぱい。」(米内吉榮さん)

“子ども”の育成手がけた男性 後継樹は12本

奇跡の一本松の後継樹の育成を手掛けたのが、住友林業・森林緑化研究センター長の中村健太郎さん。中村さんが育成に成功した後継樹は全部で12本。残りの9本はどこにあるのでしょうか。警備上の問題があるため場所は明かせませんが、関東地方のある場所で、辻解説委員は中村さんに会うことが出来ました。

(辻解説委員)「陸前高田に3本植樹されて3本以外の後継樹は?」
 (中村さん)「この場所に3本あります。」
(辻解説委員)「あと6本は?」
 (中村さん)「気候を合わせないといけないので、既に東北の圃場(ほじょう)に。全部一度に東北に移してしまうと枯れてしまう危険性もあるので、こちらの3本は保険。」
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中村さんが管理している3本の後継樹を見せていただきました。

(辻解説委員)「これですか!?」
 (中村さん)「この3本が。大きいですね。」
(辻解説委員)「あれ?!陸前高田で見たのが2m20~30cmぐらいだったので。えっ!大きさが全然違いますね?」
 (中村さん)「これ実は一度もここから動かしていないので、この大きさになっているんですけど、陸前高田に植樹したのは、何度か動かしているので、途中で成長が止まっています。」
(辻解説委員)「中村さんはちょくちょくこちらに足を運ばれている?」
 (中村さん)「そうですね。時間が出来れば見に来て、どうしても心配で…。最初の小さい苗の時は、盆も正月もなく、ずっと水やりを続けていましたので。」

「枯れた!」という夢を何回も…繊細で困難だった“後継樹の育成”

地元からの一本松救済の要請を受け、震災の翌月に陸前高田に入った中村さん。目にした光景に唖然としたそうです。

(中村さん)「(奇跡の一本松に)行きつくまでが、とにかく悲惨な状況でした。ここが陸前高田なのだろうか…と思える状況でした。遠くから奇跡の一本松の姿が見えて、その存在感が非常に大きいなというのが最初の印象でした。」
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何とか奇跡の一本松まで近づき、ツリークライマーが『枝と松ぼっくり』を採取。中村さんは早速、それらを使った後継樹の育成に取り掛かりました。
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中村さんが取り組んだ方法は2つです。1つは、一本松の枝を他の松の幹につなげる「接ぎ木」という方法です。ポピュラーな植物の繁殖方法ですが、200本の接ぎ木からわずか3本しか育ちませんでした。
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もう1つは、松ぼっくりに残っていた種を育てる方法。この方法では、18本もの苗の育成に成功し、記者会見も行われたのですが…全て“枯死”したそうです。
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(中村さん)「松の種は秋に飛び出てくるんです。冬の間寝ていて、春に蒔くのが通常。(震災後の)春に種を取って、蒔けるのは梅雨時期だった。季節が半年ぐらいずれていた。仕方がないので人工の気象室で育てたけれど、やはり季節がずれていて途中で枯れてしまった。その時はどうしようかと思いました。特に最初の1~2年は、夢でも出てきて『枯れた!』という夢を…何回もありましたね。もし、これで枯死してしまったら、(陸前高田の)皆さんが心を寄せている奇跡の一本松の子どもが残らないと、よりどころが無くなってしまうなと、それが凄くプレッシャーでした。」

「樹木は生き証人。地震・津波を語り継ぐきっかけに」

成功した3本の接ぎ木も、今後、無事に成長するかどうか分かりません。追い込まれた中村さんを救ったのは、スタッフのこんなひらめきでした。

(中村さん)「スタッフのひとりが松ぼっくりをひっくり返して、『この開いてない部分の中に種が挟まっていないかな?』と言い始めて、試しに開けてみようかとスタッフがペンチで開いたら、中に種が1個2個と残っていることが分かったものですから。」

本来、松ぼっくりは種が飛んだ後の姿です。中村さんは、関係者への記念品として残しておいた松ぼっくり1000個を全て砕き、75粒の種を採取。その種を本来の季節に合わせて蒔き、9本の苗の育成に成功したのです。
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(辻解説委員)「75粒の種の中から9本の苗が育ったのも奇跡?」
 (中村さん)「そうですね。通常、我々では、やらないですし考えない方法ですからね。(陸前高田への植樹が)一番嬉しかったです。そこで被災地への貢献が実現できたかなと。樹木は100年200年という長いスパンで生きていく生き証人。次の世代、次の世代に地震・津波を語り継いでいくためのきっかけになると思います。」

(3月10日放送 MBSテレビ「ミント!」内『辻憲のちょいサキ!』より)

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