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【特集】90歳の切子職人 ガラスに描く曲線美と花模様...今なお作り続ける思いとは?

2020年01月24日(金)放送

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幾何学模様や可愛らしい花柄などガラスに幻想的な世界を創り出す『切子』。大阪には90歳の「切子職人」がいて、繊細なガラスに優しく美しい柄を描く職人技は、多くのファンに愛されています。この道70年、今なお作品を作り続ける切子職人の半生を取材しました。

指使いひとつで菊や薔薇の模様が

ガラス作品を70年間にわたって作り続けている職人の藤本幸治さん。国内最高齢のガラス切子職人で、御年90歳です。
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作業は、グラインダーといわれる回転する砥石で、ガラスの表面に模様を削り出します。下書きも無く経験と勘だけが頼りです。作業時間はわずか5分、見事な竹が描かれたグラスが完成しました。

「2つと同じものはできません。」(藤本幸治さん)
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工房にあるグラインダーの数は約60種類あり、これらのグラインダーを使い分けることで、様々な模様を作り出していきます。細かいグラインダーを使い、ガラスを回転させながら削っていくと、それは美しい菊の花びらに。表面にたくさんスジが入ったグラインダーは、ガラスに優しく押し当てていくことで、桔梗の葉っぱが浮かび上がります。
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さらに直線をいくつも組み合わせることで出来上がったのは薔薇の花です。藤本さんの指使いひとつで、生き生きとしたデザインがガラスに刻み込まれていきます。

「花模様とかみ合わせた方が女の人にもてるんちゃうかな。こんな模様やっているのは私だけしかおらへん。」(藤本幸治さん)

農家から職人へ…ガラス産業の中心地で頭角を現す

藤本さんは1929年に現在の奈良県吉野町で生まれ、15歳の頃に終戦を迎えます。農家として生計を立てていた20歳の頃、「ガラス職人にならないか」と誘われ、大阪・天満の工房に就職しました。

「天満の通りはガラス屋さんばっかりだったと思います。製造場もあれば、材料を納める人、そして問屋さんもえらいあったんですよ。」(藤本幸治さん)
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今でも大阪天満宮の近くには「大阪ガラス発祥の地」の石碑が建っています。江戸時代に長崎のガラス職人が天満で製作を始めたことがきっかけで、当時、天満周辺は、ガラス産業の中心地として発展していました。
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元々絵を描くことが得意だった藤本さんは、徐々に頭角を現していきました。

「手の動かし方なんか、ある程度のことやったらできるやろうと。私が入った時、先輩がおったんですよ。その先輩より先に次々と習ってしまって、先輩はやめてしもうた。」(藤本幸治さん)  
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28歳のときに職人として独立。家族にも恵まれ、忙しくも幸せな日々を送っていました。しかし、高度経済成長期が終わる頃になると、ガラス業界にも変化が訪れました。

「人間の手で吹いたら200個が精一杯のコップが、全自動の機械でやったら1日に何万個とできる。町の製造場が皆やめてしまったんですね。」(藤本幸治さん)

機械化や安い外国製品が増えたことで、60軒ほどあった同業者は次々に廃業。切子職人は数えるほどに減ってしまいました。

“独自技法”のランプシェードが人気に

そんな藤本さんに新たな道を作ってくれた人がいます。大阪市中央区にあるランプ専門店「コバルトブルー」のオーナー・弘津直敏さんです。弘津さんは藤本さんと出会い、その高い技術力に驚いたといいます。

「曲線で切るっていうのができるんやなっていう。だいたい切子をしている人は直線で切りますので。神業ですねんけどね。(曲線の切子を)やりはった時に、藤本さんのことを一番尊敬しました。」(コバルトブルー 弘津直敏さん)
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すりガラスと切子を組み合わせた技法は藤本さんの作品の特徴です。その行程を見せてもらいました。金剛砂(こんごうしゃ)という砂を機械で吹きつけることでできるすりガラス状のデザインを「サンドブラスト加工」といいます。削った場所は不透明になり、柔らかな模様が生まれます。藤本さんはその部分の上にさらに切子を施して、1つの柄の中にガラスの濃淡を描きます。この組み合わせは藤本さん独自の技法なのです。
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切子を施したランプシェードは珍しく、藤本さんの人気に火が付きました。今では定期的に個展を開くほどファンも増え、ランプシェードの注文も絶え間なく入るようになりました。

“ズレ”と“後継者”

しかし、悩みもあります。藤本さんは90歳、ここ数年、作品作りで手が震えるようになり、思い通りの模様が描けないことが多くなったといいます。作品をよく見てみると、柄にかすかなズレが。藤本さんにとって“納得がいかない作品”が増えました。

「よう見てもらったら、ズレている。素人には探さな分からんようなものだから通ってますけども、これが酷くなったら『藤本あかんぞ』と言われる。」(藤本幸治さん)
「僕らもっと言えば、藤本さんらしくなって、90の良い年の取り方ちゃうんかなと思う。90になっても完璧だったらちょっと怖い。あったかみです、ゆがむのも。」(コバルトブルー 弘津直敏さん)
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70年かけて磨きあげた職人技。しかし、藤本さんの跡を継ぐ人はいません。一代限りで工房を閉めると言います。

「後継者のこと言われると一番辛いですね。全く私一代で終わりになります。この仕事だけは好きでないとできないしね。子ども対しては性質とかいろいろ見た時点で、私の跡を継いでもらうのは最初から無理やと思った。」(藤本幸治さん)

「元気でいる限りは自分の作品を世に」

1日の仕事が終わった藤本さん。

「(焼酎の)お湯割り、これが私の晩酌です。」(藤本幸治さん)

夕飯は娘が週に一度家に来て作り置きしてくれるおかずを食べます。妻は8年前に他界。大好きな焼酎を自分の作品で飲み、仕事の疲れを癒します。
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藤本さんが90歳を超えてもなお作品を作り続ける理由。それは「綺麗やなと喜んでくれる人がいるから」という、いたってシンプルな想いでした。

「私の作った製品が、私が死んでも、『これ藤本が作ったやつや』言うて、人によったら残りますわね。それが一番の原動力ですね。こうやって元気で命頂いている限りは、自分の作品を世の中に出してあげたい、そう思いますね。」(藤本幸治さん)

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