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「未来ある子ども達を守りたい」被災者の"こころのケア"の変遷 向き合い続ける専門家たち

2020年01月07日(火)放送

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阪神・淡路大震災の発生から25年。災害に遭った被災者の“こころのケア”は、今やとても重要な課題ですが、25年前はこころのケアという言葉さえほとんど知られていませんでした。未来ある子ども達を守りたいと、専門家たちが取り組んできた、治療法の深化の軌跡です。

トラウマ反応への“予防教育”

臨床心理士で兵庫県立大大学院減災復興政策研究科の教授・冨永良喜さん(67)。毎月、東日本大震災の被災地・岩手県に通い、小学生に向けてトラウマ反応への予防教育を続けています。
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【岩手県野田村の小学校での様子(2019年11月)】

 (冨永教授)「神戸って聞いてこんなこと知っていますよという人いませんか?約25年前、何があったでしょう?」
(子どもたち)「阪神・淡路大震災。」
 (冨永教授)「えー知っているじゃん、すごい。6000人以上の人が亡くなって、神戸の中心の街が壊れて、でも今は元気になっています。」
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カウンセラー・奥寺遼太さんが『ドラえもん』の被り物をして教室に現れました。

(ドラえもん役)「怖いなぁ。なんだか怖いなぁ。」
  (冨永教授)「ドラえもんが怖いものって何?」
(子どもたち(全員))「ネズミ!!」
(ドラえもん役)「うわぁーーやめてーーーーー!」
  (冨永教授)「ネズミっていう言葉を聞いてこんなに怖がっているドラえもんに何か声をかけてあげて。」
 (子どもたち)「大丈夫だよ。」
  (冨永教授)「なんで大丈夫なの?」
 (子どもたち)「ネズミはいないよ。」
  (冨永教授)「ネズミは何で怖いの?」
 (子どもたち)「耳をかじられたから。」
  (冨永教授)「ネズミという“言葉”は耳をかじらないんだよね。だから津波とか、地震とか、いじめというのは、とっても嫌な言葉だけど、言葉自体は安全なんだよね。」

『言葉自体は恐れる必要はない』この考え方を知ることがトラウマ反応の予防に繋がると冨永さんは話します。

阪神・淡路大震災がこころのケアの出発点

災害現場での被災者のこころのケアは今や当たり前ですが、25年前の1995年1月に起きた阪神・淡路大震災の当時は違いました。

そもそも「こころのケア」という言葉自体ほとんど使われず、子ども達をどう守って良いのか、臨床心理士や精神科医などの専門家もみな手探りでした。

「災害後のこころのケアで最も難しい点は、被災体験の表現をどのように扱うか。当時は“ディブリーフィング”という方法が世界を席巻していまして、『出来るだけ早く被災体験を表現して吐き出すことがPTSDを予防する』という理論が展開されていたんです。」(冨永教授)
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『ディブリーフィング』とは、“専門家の下で、心の傷を負った者同士が24時間~72時間以内に自分の体験を吐き出し合う”という手法です。アメリカで生まれ、当時主流だったこの手法が阪神・淡路大震災の被災地や学校現場にも広がったといいます。
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冨永さんがディブリーフィングの影響がみられると指摘する子ども達の作文集があります。『阪神淡路大震災 兵庫県下児童作文集・ドッカンぐらぐら』(1995年9月発行)です。

(小学1年生の男児 一部抜粋)
「ひいじいちゃんがしんでしまった。ちかくの中学生のおにいちゃんやおねえちゃんも、みんないっぱいしんでしまった。ぼくは、いっぱい、いっぱい、なみだが出た。」
(小学1年生の女児 一部抜粋)
「地しんのゆめばっかり見てこわかったです。これがゆめだったら、早くさめてほしいです。」

「学校現場も、なるべく早く表現することが、子ども達のこころのケアになるという考えに基づいて、作文活動とか絵を描く活動とかを先生達はやらなければならないという風に思ってしまったんですね。」(冨永教授)

ディブリーフィングからの転換

しかし、阪神・淡路大震災から5年を過ぎた頃、ディブリーフィングは欧米の論文で相次いで否定されます。

「ディブリーフィングは長期的には有害。トラウマに適切な治療法ではない。」(BRITISH JOURNAL OF PSYCHIATRY(2000年))

そして、2001年9月11日に発生した『アメリカ同時多発テロ』。この事件の被害者に対するこころのケアの研究で、ディブリーフィングは完全に否定されたのです。
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トラウマ体験を出来るだけ早く吐き出させるという手法を否定された日本の専門家達。その中で、武蔵野大学人間科学部長で精神科医の小西聖子さん(65)らは、一筋の光を見つけました。

「最初にその新療法の論文を読んだ時に、あまりにも成績が良いんですよ。凄く良くなるんですね。論文で見ているとそうなんですけど、自分が見ているPTSDの患者さんは凄く具合が悪いから、その人達が70%とか80%という割合で良くなると思えなくて。」(武蔵野大学人間科学部長 小西聖子さん)

その新しい治療法を見出したのは、ベトナム帰還兵などのケアにあたっていたアメリカのペンシルバニア大学のエドナ・フォア教授でした。小西さん達は実際にフォア教授と会い、有効性について確かめました。

「治療のビデオを見せてもらうと、本当に具合の悪い人が多いんですね。戦争体験があって、かつ、その上に強盗の被害に遭ったとか。小さい時に虐待の被害に遭って、さらに何かがあったとか。わりと複雑で難しい(境遇の)人も結構いるんですよ。別に選んでやっているわけじゃないんだ、というのが一つですね。」(小西さん)

トラウマに“慣れる”エクスポージャー療法

フォア教授が提唱したのは『エクスポージャー療法』と呼ばれる治療法です。70~80%のPTSD患者が回復するというこの治療法は、“適切な時期に繰り返しトラウマ記憶と向き合うことで慣れていく”という手法。大きく分けて2種類があります。

①「現実エクスポージャー」
=生活の中で避けていたことを難易度別に書き出して、簡単なものから乗り越えていく。
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②「想像エクスポージャー」
=患者が精神科医にトラウマ体験を繰り返し話し、その内容を録音する。週に1回90分間、これを10週間続ける。患者は自宅に戻っても、毎回、録音した“自分が語ったトラウマ体験”を繰り返し聴く。

エクスポージャー療法で語られたトラウマ体験

阪神・淡路大震災で、隣で寝ていた姉を亡くした女性が、この想像エクスポージャーの治療で語った音声が残っています。

「庭が見えています。薄暗い。私の家だけが潰れていて。両親の部屋だっただろう場所から、父親が這い出してきた。お姉ちゃんが埋まってると言って。父親は上半身何も着ていない状態で、母親と2人で、姉を掘り出していて。母親が人工呼吸をしていて。そのまま、がれきの上で人工呼吸していて。父親は泣いていて、弟も泣いていて。姉を囲んで、家族で囲んで、みんな泣いていて。」

声の主は植松秋さん。阪神・淡路大震災の発生時は中学1年生で、兵庫県芦屋市の自宅が全壊し、姉を亡くしました。大学3年になった時、小さな物音にも怯えるようになり、PTSDと診断され、このエクスポージャー療法を受けました。

そして、エクスポージャー療法を通して、生活の中で避けていたことも徐々に克服していったといい、38歳となった現在はPTSDは治り、臨床心理士として活躍しています。
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兵庫県立大大学院の教授である冨永さんが、防災教育の授業に、そんな植松さんを招きました。授業で、植松さんは自らの治療体験を話します。

「最初凄く喋るのが嫌なんですけど。現在形で、もう一回体験しているように、ありありとその時のことを喋るということを面接室の中で続けていった。行ったことがなかったんですけど、姉のお墓参りにも行った。サイレンの音を聞くと体が固まってしまうので、消防署の前まで行って、そこに留まっておくとか。そうしていく中で、どんどん冷静になり、客観的に見られるようになって。客観的に見られるようになると、恐怖がとれていくというのが大きくて。“私が言っていることって凄くおかしいよね”っていう風に気付けるようになりました。」(植松さん)

こころのケアの未来

「なんとかして、やっぱり子どもの心を守りたい。家族を亡くして、家を無くして、という子ども達が沢山いる状況の中で、学校が始まっていくわけですからね。」(冨永教授)

子ども達へのこころのケアを深化させたい。地震以外にも毎年のように災害が起きるこの国で、冨永さん達、こころの専門家の願いです。

「西洋のプログラムを受けて、日本はこころのケアを構築してきた面もあるんですけども。アジアに災害が集中しているんですよ。我々はもうノウハウを十分にもってきている。それを世界に発信して、世界とのコミュニケーションをもっと深めていくというのが一つですね。さらに、防ぐ予防的な取り組み。結果対応だけじゃなくて。それをもっと日本は力を入れるべきだと思いますね。」(冨永教授)

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