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"災害ボランティア"の歩みと課題とは...被災地支援にかかわる3人に聞く 阪神・淡路大震災25年

2020年01月10日(金)放送

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阪神・淡路大震災が発生した1995年は、「ボランティア元年」といわれています。それからの25年でボランティアはどう発展し、今何が課題なのか。最前線で活躍する3人に話を聞き、災害ボランティアの現状と課題を考えます。

25年前は何を?

今回、西靖アナウンサーが話を聞いたのは、被災地NGO協働センター顧問の村井雅清さん(69)、ひょうごボランタリープラザ所長の高橋守雄さん(71)、CODE海外災害援助市民センタースタッフの上野智彦さん(30)です。

(西アナ)「村井さんに伺いますが、25年前の1月17日、その時にはすでにボランティアにはかかわっていましたか?」
(村井さん)「全くないです。ボランティアという言葉も初めて聞くようなくらいだし。神戸で生まれて神戸で育ってきたので、友達とか含めて安否確認をしながら長田区を中心に回ったという感じですね。」

長田のケミカルシューズの営業マンだった村井さんは、地域の惨状を前に自然と身体が動いたと言います。

(村井さん)「最初は救援物資の配布とか炊き出しですね。しばらくするとオートバイ2人組で長田区・兵庫区の被災状況を確認していって、後から訪ねていくというそういうボランティア、ゲリラボランティアって言ってたんですけど。」
(西アナ)「高橋さんは?」
(高橋さん)「私は(当時)兵庫県庁の広報課に在籍してまして、県の災害対策本部で報道担当をするようになったんですね。それから25年、ずっと災害に向き合って今日まで来ております。」
(西アナ)「上野さんはお若いですよね?」
(上野さん)「阪神・淡路大震災の時はまだ5歳だったんですね。記憶の片隅にトラックが倒れるような映像とか、地震っていうのが怖いっていう原点はやはり阪神・淡路大震災にある。」

全国から137万人のボランティア

阪神・淡路大震災が起きた1995年は「ボランティア元年」といわれます。25年前の日本では福祉や国際支援という形のボランティア活動はありましたが、災害時の救援という考え方はほとんどなかったからです。

(高橋さん)「当時、あの震災の時に137万人の方が全国からボランティアでお越しいただいた。その7割の方が初めての方だった。どこに行けばいいのかわからない、どういうもの持っていけばいいのかわからない中で、報道される場所に救援物資もそうですけど、ボランティアが集中してしまったんですね。」

2005年、震災10年目にまとめた報告書で兵庫県は、ボランティアの受け入れ態勢に不備があったと総括し、ボランティアを束ねる必要性について提言します。同じ頃、2004年の中越地震の被災地では、社会福祉協議会がボランティアセンターを開設し、ボランティアをまとめる現在のスタイルが始まりました。

ボランティア受け入れ態勢は万全か?

現場の混乱を防ごうと定着してきたボランティア受け入れの態勢ですが、今、そこに限界を感じると高橋さんは話します。

(高橋さん)「災害ボランティアセンターを運営するのは地元の市町の社会福祉協議会ですが、普段からスタッフ・予算が少なくて、それが一夜にして災害ボランティアに看板替えするんです。行政や社協は『ボランティアセンターができるまで待ってよ』と、『(災害発生から)72時間、人も道具も揃わないから待ってよ』と。その3日間、被災者は水も与えられない、(被災者には)その時こそ支援が必要なんです。」
(村井さん)「2014年の広島の土砂災害で、あるボランティアセンターが30分で閉めてしまって、(ボランティアが)3000人も溢れちゃった。来た人はせっかく来たから、被災地をうろうろするじゃないですか、それを見て被災者の1人が『私は直接ボランティアを受け入れます』と、『助けてください』と発信したんです。そこへ自然に集まって何の問題もなくやってみんな帰ると。まさにそれは移動ボランティアセンターだと思ったんですね。」

一方、上野さんは活動の内容が限定されてしまいがちな現状に疑問を抱きます。

(上野さん)「いろんなボランティアの活動の方法があるはずなんです。この前、言われて驚いたのが…(ボランティアに)入ったお宅が精神的に病気を抱えられた方で、その方はよくお話もされるので、(スタッフから)『お話もいいんですけど、まず作業をやってください』と言われて。私は、いやそれはちょっと違うだろうと。お話をしていて初めて1つのお部屋に入れていただいたんですね。そこは奥さんが大切にされていた服とかが入っている場所で、実はあんまりボランティアを入れたくなかったと、だけど話しているうちに見せてくれて、壁にびっしりカビがこびりついていて、そこの掃除を僕が初めてやって。ボランティアってもっといろんなことができるっていうふうに感じていますし、お話ってすごく大事なコミュニケーションなんですよね。」
(西アナ)「自衛隊や消防のように指示を受けて的確に自分に任された仕事をてきぱきとやるということをボランティアに求めるっていうのはなんだか違うと。せっかくマンパワーがあって、やる意思があるんだから、うまく振り分ければ効率よくその善意を生かせるんじゃないかという、考えた人も善意でそう思ったと思うんですよね。でも、結局そこがせっかくの善意を門前払いすることになってしまうとか、傾聴というだけで十分なボランティアだという価値を認めないとか、そういう硬直化した部分が今、課題として浮き上がってきていると。」

交通費補助の制度も実施 「個人の意思を尊重して」

そして、ここ数年指摘されているのがボランティアの不足です。去年の台風19号の被災地では深刻な場所もあったと言います。

(村井さん)「ボランティアが栃木は少なすぎてニーズ拾いもできないんです。宇都宮のNPOで一番日本で古い災害ボランティアの団体は方針を変えて、当事者とできることをコツコツやっていくしかないと、そういうふうに変えていっているんですよ。」
(上野さん)「大学生がボランティアに行きたくても、単位やアルバイトいろいろなことがあって、なかなかボランティアに行く時間がないっていうこともよくおっしゃられています。」

そんな中、高橋さんは去年、ボランティアの交通費を補助する制度を発案、全国で初めて実施しました。

(高橋さん)「いわゆる枠の中に入れるんじゃなくて、(ボランティアに)行きたい人をどう支えるか。社会全体で“支援する人を支援する社会”を構築していかなければならないので、兵庫県では5人以上のグループに最大20万円補助しますよと、皆さん独自で計画して独自で行くところも決めてくださいというボランティアの自由意思に任せているんです。」
(西アナ)「阪神・淡路大震災以前で言うと、ボランティアというのは余裕があったらおまけでついてくるくらいのイメージだったものが、災害時に欠くべからざる力になっているというのはこの25年の大きな変化だと思います。集約はするけどもいろんな活動ができるという形がもっと広がるには、何が肝だと?」
(村井さん)「阪神・淡路大震災の時に初心者のボランティアが7割もいて、誰かの指示を受けて来たわけでもなく、誰かの指示を受けて動いているわけでもなく、自分たちの発想で動いたからこそ上手くいったというのが私の総括なんです。上手くいってないんじゃなくて、上手くいったんです。ボランティア個人個人を尊重しないといけないし、自由ですよね。それをもっと深く深く皆が考えて、新しいスタイルが25年前には生まれつつあったわけですから、それをもう一度今の時代に合わせた形で。初心者ボランティアはダメだというんじゃなくて、行きましょうと、行くんだけれどこうしましょうというふうに柔軟に対応したら何の問題もないはずです。」

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