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100歳の"現役"カメラマン 大正に生まれ、令和に生きる 

2019年11月12日(火)放送

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御年100歳。おそらく最高齢のカメラマンが大阪で活動しています。自由な作風に魅せられるファンも多く、今も展覧会に出展し続けています。大正に生まれ、令和に生きるカメラマン、どんな人なんでしょう。MBSの西靖アナウンサーが会いに行きました。

100歳のカメラマン 青木君夫さん

青木君夫さん、100歳。大正生まれのカメラマンです。2018年に撮影した桜が二科展に出展されていました。
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(青木さん)「(写真の)桜の花びらが散ってるように見えます?見えないでしょ。50m離れたほうに5、6本桜の木があって、それが散ったんですよ。(その花びらが)水の上に落ちて、あくる日、風で1か所に偏ってしまった。この(桜の)木と関係ないんですよ、散ってる花は。」
 (西アナ)「なるほど。」
(青木さん)「(写真の桜の木は)満開の状態でしょう。」
 (西アナ)「よくよく見ると、不思議な写真なんですね。」

27歳の時、兄の影響をうけ始めたという写真。趣味といいながら、一時は写真館を営んだほどのめり込みました。写真集も2冊出版していて、60年間、二科展に出展し続けています。ただ、その作風は独特なもので…
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 (西アナ)「これはどこですか?」
(青木さん)「堺の工場地帯ですわ。」
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 (西アナ)「(この写真は)ロシアかどこかかなぁと思いますが…」
(青木さん)「(大阪・谷町の)ラブホテルの屋根ですね。」
 (西アナ)「今は建物ないんですかね。」
(青木さん)「なくなりました。」

フィルムカメラ、モノクロへのこだわり

今もフィルムカメラ、しかもモノクロだけを使っています。

 (西アナ)「昭和20年代、30年代にもなればカラーフィルムもあったと思うんですが、カラーに行こうとは思われないのですか?」
(青木さん)「自分で焼くのが楽しいんですよ、モノクロを焼くのが。カラーで焼くと設備がね、普通の家でできませんよ。」
 (西アナ)「自分で焼きたいから?」
(青木さん)「第一の目的はそれですね。」

壮絶な戦争体験をほんの一時、忘れさせてくれた「カメラ」

カメラに出会う前。青木さんは通信兵として中国などを転戦。本土で唯一の地上戦が行われた沖縄でも戦うことに。

(青木さん)「ずっと追い詰められて逃げる一方でしたよ。何も説明ないから。関係ない人が掘った穴があった、そういうところ逃げ込んでる人はみんな焼かれました。火炎放射器で。」

激戦地で生き延びることができたわけは…

(青木さん)「敵が食糧を置いてるところがわかってますねん、そこへ行って、たまにおりませんねん、夜は。そこでお菓子とかいろんなもの盗んで帰ってきました。それで命がつながった。」
 (西アナ)「どこで終戦を迎えられたのですか?」
(青木さん)「沖縄です。8月15日が終戦ですよね。軍司令官と参謀長が切腹して死んでしまいましてね。『あとは勝手に自分で戦え』『一人で戦え』と言われて。」

青木さんは敗戦が信じられず、終戦後も4日間戦い続けましたが、沖縄を取り巻く軍艦がなくなったのを見てようやく敗戦を受け止めました。

(青木さん)「もう涙が出ましたね、なにも考えられない。海に向かってね、涙が出て仕方なかったですね。」

カメラは、壮絶な戦争体験をほんの一時、忘れさせてくれる存在のようです。

(青木さん)「戦争になったことも忘れてますよ、写真撮る間はね。夜、寝たとき思い出す、戦争のあったことをね。」

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独特の被写体。そして、どこか哀愁を感じる作品には青木さんの100年が詰まっている気がしてなりません。
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 (西アナ)「令和になって半年ですが、『令和』という響きはどうですか?」
(青木さん)「(元号が)全然思い出せないんですよ。元号なんやったかなって忘れること多い。4つも5つも覚えられない。」

(MBSテレビ「Newsミント!」内『令和をよむ』より)

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