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【特集】「虐げられると憎くなる」「悲しみと怒り」終戦から74年...戦争孤児として生き抜いた男性の証言

2019年08月14日(水)放送

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終戦から74年。空襲で母親を亡くし「戦争孤児」となって終戦直後の厳しい時代を生き抜いたある男性を取材しました。

戦争で母を亡くし「戦争孤児」に…待っていたのは地獄のような日々

87歳の小倉勇さん。7月12日、生まれ故郷の福井県敦賀市で母親が眠る墓に手を合わせました。小さな石が母・まつさんの墓石です。この日は母の命日でした。

「ぼくのために一生懸命働いて、おふくろを思い出すと気の毒になって…ただ生まれてきて、僕のために苦労して…」(小倉勇さん)

空襲で亡くなった人々の慰霊碑には、小倉さんの母・まつさんの名前も刻まれています。太平洋戦争末期、旧日本軍の施設が多かった敦賀市はたびたび空襲にあい、一般市民あわせて225人が犠牲となりました。小倉さんが母親の遺体と対面したのは、大規模な空襲の翌日だったと言います。

「用水桶の中で死んでいた。顔は前が全部焼けていて、体の下は(用水桶の)水に入っていたから。悲しいと言うよりショック。涙出ない、本当に悲しい時は。」(小倉勇さん)

母が命を落としたのは終戦の約1か月前。小倉さんがまだ13歳の時でした。身寄りがなく「戦争孤児」となった小倉さんは親せきの家に預けられましたが、そこで待っていたのは地獄のような日々でした。

「『お前のおふくろは甲斐性も何もない。お前を産んで、なんでうちが引き取らなきゃならんのや』と(親戚に)言われて…つらいんですよ。叩かれるより蹴られるよりつらい。」(小倉勇さん)

終戦の翌年、耐え切れなくなった小倉さんはあてもなく家を出ました。

盗み繰り返し生活、左目が見えなくなって…「虐げられると憎くなる」

当時、親を失った戦争孤児が12万人以上もいたといわれています。孤児たちは自然と人が行きかう駅に集まり、身を寄せ合って暮らしていました。小倉さんも流れ着いた大阪駅の周辺で、壮絶な光景を目の当たりにしたといいます。

「10歳になるまでの子どもたちが餓死して死ぬんです、路上で。ほとんど裸状態です。おなか膨れて、栄養失調だから。裸足だからばい菌入ってね。ぼくと一緒に寝ていた女の子は、痛さとひもじさでかわいそうだった。死んだ…。死んでいるとね、石炭を入れる箱があって、大阪府のお役人がなんかが車でやって来て、その死体をポイっと(箱に入れて)どこかへ行ってしまう。」(小倉勇さん)

小倉さんは仲間と一緒に盗みなどを繰り返して生活を立てていたといいます。そんな中、ある日の夜、小倉さんの体に異変が起きました。

「突然ね、吐き気と頭痛。つらかった。締めつけるように痛い、カッカッと。緑内障なんですよ、あくる朝、左目の目が真っ白になって見えなくなった。」(小倉勇さん)

当時、十分な治療が受けられるわけもなく、小倉さんの目はだんだん見えなくなっていきました。どこへ行けども救いの手はなく、まわりから疎まれ続けた結果、心も徐々に曇り始めていったといいます。

「戦争して子どもたちを放ってしまって、国そのものが。徹底的に世の中に逆らってやると思った。虐げられると、憎くなってくるですよ。生活が豊かな人見るとね、なんていうかな…わからんかなあ。」(小倉勇さん)

「ここがなかったら今のぼくはいない」手を差し伸べてくれた孤児院の先生

終戦から3年後、小倉さんは両目の視力をほとんど失い、京都にあった「伏見寮」という孤児院に保護されました。この時、ようやく手を差し伸べてくれたのが寮長だった黒羽順教先生でした。「たとえ目が悪くても社会に役立つ人間になりなさい」と、何度も諭されたといいます。

「『つらかったら泣いて帰ってこい』と言われたから、ぼくは2回、ここへ泣いて帰った。ここがなかったら今のぼくはいない、生きていてもあかん人間になっていたと思う。それだけぬくもりが大切なんです、ぼくたちには。」(小倉勇さん)

そして、小倉さんは盲学校に入学しマッサージを学びました。その後、結婚して家庭を持ちましたが、妻にも過去の辛かった経験を打ち明けることはなかったといいます。

「苦労したことあんまり言わない。」(小倉さんの妻 マキエさん)

家族にも伝えなかった辛い体験「不幸な子どもたちを二度とつくらないようにしてほしい」

しかし、小倉さんは家族にも伝えてこなかった、かつての辛い経験を話すようになりました。4年前の安全保障関連法の強行採決などがきっかけで、日本が二度と同じ過ちを繰り返さないようにするためです。

「時々、何でこんなことをするのかと思うこともありますが、戦争をしてぼくたちのような不幸な子どもたちを二度とつくらないようにしてほしいから、それだけです。」(小倉勇さん)

8月15日。小倉さんは74回目の終戦の日を迎えました。

「終戦の日嫌い。終戦の日が来たらね。悲しみと怒り。なんであんな戦争をしたんだろう。どう考えても愚かな戦争としか今は思えない。なんぼ泣いて死んだ子どもたちがいたか、なんぼ国を恨んで死んでいった孤児たちがいたか。(戦争孤児が)公にいたということの事実を、いたということだけを、事実こうだったよって。だから戦争してはいけないよと知ってほしい。」(小倉勇さん)

(「Newsミント!」内『特集』より)

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