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【特集】太秦映画村のセットの屋根裏で発見!関係者も興奮"貴重な時代劇の資料"とは?

2019年05月10日(金)放送

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京都の時代劇テーマパーク、東映太秦映画村。今年に入って、映画村のある場所から膨大な数の資料が見つかりました。関係者らは「日本映画史を紐解くうえで、とても貴重な資料だ」と興奮しています。

セットの屋根裏から「貴重な映画の台本」

東映太秦映画村はオープンセットやアトラクションを通して時代劇の世界を体験でき、国内や海外から年間約80万人が訪れる人気テーマパークです。本格的なチャンバラを体験する人や忍者修行をする子どもたちの姿がありました。

「日本が好き!時代劇が好き。おすすめだよ」(インドネシア人)

その一角にある江戸時代の消防団「め組」のセット。関係者もほどんど立ち入らないこのセットの屋根裏に、ホコリが被った段ボール箱がありました。箱には「日活」など、他の映画会社の名前も書かれています。美術スタッフが金槌を使って窓枠を取り外し、スタッフらが奥に置いてあった段ボール30箱あまりを次々と運び出し…フォークリフトで慎重にセットの外へと段ボール箱を下ろします。どうやら、とても貴重な資料が入っているようです。その様子を興奮気味に見守る男性がいました。映画村の運営会社の社長・山口記弘さん(58)です。

「今すごく楽しみにしているんですよ。何が出てくるのかなと思って。お宝箱を開けるような気持ちですよね」(東映京都スタジオ 山口記弘社長)

早速、段ボール箱を開けてみると…入っていたのは昔の映画の台本でした。

「『水戸黄門』とか『若さま侍』」(山口記弘社長)

古いものでは約70年前のものもありました。貴重な台本の数々が、なぜ屋根裏に眠ったままだったのでしょうか。

当時の制作現場の汗と熱量が伝わる「資料」の数々

1926年、京都・太秦の竹藪を切り開き映画の撮影所が作られました。「日本のハリウッド」とも呼ばれ、年間100本以上の時代劇が撮影された頃もあります。しかし、テレビなど新たな娯楽も増え時代劇映画は斜陽になりました。

そこで東映が仕事を失った映画スタッフを集結させて始めたのが「映画村」でした。撮影現場を見学できるという画期的な手法が人気を呼び、テーマパークとして一世を風靡しました。

「カメラが入るのは初めて」(山口記弘社長)

そう言われて案内されたのは、映画村の資料室です。東映などが撮影した時代劇の台本や資料が保存されています。中には映画スターが現場で実際に使っていたものもありました。

「『天兵童子』。(台本の表紙にかかれている名前を指さし)原健策様は昔の大スターですよね。松原千明さんのお父さんなんですけど」(山口記弘社長)

台本をのぞいてみると“セリフ”も“ト書き”も全て手書きで、ところどころに書き込みなどがあり、当時の制作現場の汗と熱量が伝わってきます。時代劇を作る過程やノウハウが凝縮された貴重な資料たち。当時のスタッフが時代劇の火を絶やすまいと集めたものです。しかし近年、時代劇の撮影は数えるばかりとなりました。貴重な資料は関係者でさえ、ほとんど手に取ることはありませんでした。

「『準備用の台本』というのが一番価値がある」

そこで、山口社長は京都大学などに呼びかけ、映画村に眠る「お宝」を活用して時代劇の文化を後世に伝えようと動き始めました。

「ポスターで約2万枚。台本で1万冊。スチールで20万~30万枚あります。これは東映だけの財産じゃないと思いますし、広くいろんな方に活用していただくのが、諸先輩が思いを持って集めてこられた資料でございますので、これを再度活用するのが私の仕事ではないかなと」(山口記弘社長)

そんな中、屋根裏から見つかった新たな資料。当時のスタッフが仮置きし誰もがその存在を忘れ去ってていましたが、今年2月の点検の際、偶然発見されました。その中には、幻の台本も入っていました。

「うわ~、これなんかめっちゃ面白い。『大奥マル秘物語』」(山口記弘社長)
「えっ、『大奥マル秘物語』の準備稿なんですか」(京都大学(映画学) 木下千花准教授)

大奥マル秘物語。佐久間良子や藤純子などの大女優が集結し、女たちの戦いを描いた時代劇です。今回見つかったのは、その準備稿2冊と決定稿。準備稿とは作品を作る最初の段階でつくられる台本で、これに改良を加え最終的に俳優が演じる台本が完成します。準備稿は監督など限られた中心メンバーにしか配られず、残っているのは大変貴重だと、京大の木下准教授は話します。

「研究者にとって準備用の台本というのが一番価値のあるもの。なぜかっていうと、どういうふうにして現在の形になったかっていうのがわかるので。作り手たちがここが大事だって思った、ここはまずいな、大事じゃないと思った、というのが全部わかる。準備稿は時代も綱吉の時代で、決定稿はもう少し後になっていますし、江戸城の中の政治的な話だったり男性のキャラクターも多かったのが、決定稿ではもっと凝縮された女の物語になっている」(木下千花准教授)

私たちが良く知る「大奥物語」は、女性たちの泥沼の愛憎劇ですが、実は準備稿の段階では将軍が主役となった政治ドラマの要素もあったというです。実際に、準備稿と決定稿で将軍の出演場面の回数を見比べると、出演シーンが大幅に減らされていることがわかります。

監督が語る「当時の撮影現場」

主人公が男性から女性に変わるという大胆な設定変更。この映画を撮った中島貞夫監督は、混沌としながらも何か新しいものを生み出そうとしていた当時の撮影現場をこう振り返ります。

「半年くらい準備しないといけないだろうけど、準備期間が1か月くらいしかなかったんじゃないかな。衣装を発注して間に合うかどうか。女の人たちの登場がものすごく多いじゃない。それまで東映は男性モノが主だったから、打掛もゼロとは言わないけど少ないわけ」(中島貞夫監督)

中島監督は大奥の制度を徹底的に調べ上げ、撮影では細部までこだわったといいます。

「裾をきれいに回しながら歩くってやつをね、100人くらいいたかな、若い子たち。2時間特訓してもらった。撮影をやめてね」(中島貞夫監督)

こうした情熱と努力により、誰もが知る今の「大奥」の世界が誕生したのです。

「映画産業が世界に拡大できるように」

日本の映画史を物語る上で欠かせない時代劇。山口社長は、映画村で保存しているこれらの資料を今年の夏ごろには研究者たちが閲覧できるようにしたいと計画しています。

「どんどん日本の大学の中でも映画を研究する人が増えていますし、そういう人々が増えて映画産業がひとつの産業として、もっともっと世界に拡大できるようになっていけばいいなと思っています」(東映京都スタジオ 山口記弘社長)

(「Newsミント!」内『特集』より)

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