• 戌井昭人(作家)
  • 2012年9月20日(木)
  •  2003年4月からお世話になってきたこのコーナーの連載も、残すところあと2回。9年半・全114回の連載というのは、25年以上にわたる物書き人生でも最長の記録となった。ありがたい話である。関係各位に心から感謝する。
     さて、たとえテレビの素人の感想文とはいえ、9年以上も『情熱大陸』の視聴をつづけていれば(毎月平均4作として、450作以上も観てきた計算になる)、多少なりとも視聴者として鍛えられる。ドキュメンタリーの方法論について、自分なりにわかったつもりの部分もないわけではないのだが、もちろん、それはごく一部。さまざまなタイプの作品を観れば観るほど「正解」がわからなくなり、ドキュメンタリーの奥深さを思い知らされることのほうがずっと多かったし、その難しさに触れられたことこそが僕にとって連載の最大の収穫だったのだ。

     たとえば、ディレクターやカメラマンの存在はどこまで見せればいいのか――。彼らは徹底した黒子であるべきなのか、それとも、彼らの存在こそを文字どおり作品の視点として示すべきなのか。前者のありようを極めれば政見放送、いや、もっと言うなら隠しカメラや盗聴にさえも至ってしまうだろう。一方、後者は、主役の人物とスタッフとの関係性が閉じきったものになると、視聴者がカヤの外に置かれてしまいかねない(じつはこれ、活字のノンフィクションではよくある陥穽なのだ。人気アスリートや芸能人と書き手との「オレ、あいつに信頼されてるから」という関係に支えられただけの作品とかね)。
    『情熱大陸』をつくる皆さんもきっと、ケース・バイ・ケースとしか言いようのない匙加減で、主役の人物へのアプローチの微調整を続けているのだろう。
     そんなことを考えさせてくれたのが、8月12日オンエアの作家・戌井昭人さんの回だった。戌井さんは番組冒頭から、スタッフに向かってどんどん語りかけてくる。それも質問されて答えるというのではなく、ごく自然体で、しゃべって、笑って、チラッとカメラ目線になっては照れくさそうにうつむきかげんになる。戌井さんの日常をカメラが映し出しているのではない。ここにあるのは「カメラを向けられている日々」の光景だということを、番組は隠さない。よくありがちな「カメラの存在を意識せずにふるまってください」というカマトト的な自然体とは対極の――だからこそ、逆につくりものめいたもののないリアルな「カメラを向けられている日々」のスケッチになっているのだ。
     これはスタッフが意識的に「カメラのことをあえて意識してください」と選び取ったスタンスなのだろうか。あるいはサービス精神旺盛だと紹介された戌井さんご自身が、密着取材を受ける居心地悪さや照れくささ、さらにはカメラを無視してふるまうことの嘘くささを逆手にとって、カメラに向かって語りかけていったのか。
     いずれにしても、戌井さんとカメラとの対話は、決して閉鎖的にはなっていなかった。戌井さんとカメラとの対話を観ていると、ふと、「オレも同じ浅草のマンションの一室にいるんじゃないか?」と錯覚してしまった。視聴者を三人目の登場人物としてその場に誘い込む力業は、戌井さんの役者としてのスゴさなのか、作品のスゴさなのか。
     答えはわからない。わからないことは(今回の作品にかぎらず)たくさんある。たぶん一つに決めようとすることそのものが間違いなのだろう。だからドキュメンタリーは難しくて面白い。その難しさと面白さについて、来月の最終回でもう一度、語りたいと思う。

1963年3月6日、岡山県生まれ。
早稲田大学教育学部卒。
出版社勤務を経て田村章など多数のペンネームを持つフリーライターに。
91年『ビフォア・ラン』で作家デビュー。
99年『ナイフ』が坪田譲治文学賞、『エイジ』が山本周五郎賞を受賞。
『ビタミンF』で第124回(2000年/下半期)直木賞を受賞。
小説作品に『定年ゴジラ』『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『カシオペアの丘で』他多数がある。また『世紀末の隣人』『ニッポンの課長』などのルポルタージュ作品もてがける。
近著に『星をつくった男 阿久悠と、その時代』『十字架』『峠うどん物語』がある。