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赤木 誠アナウンサーのブログ

赤木誠のベースボールワールド

更新:2015年2月17日
 先週、虎の重鎮・安藤統男さんのお供で宮崎キャンプ巡りに行って来ました。
4日間でG、C、Bs、Hと駆け足でしたが、Gドラフト1位・岡本の非凡な打撃センス、古巣Cでエンジン全開の新井さんへの挨拶、昨年の日本シリーズTV中継ゲストでお世話になったBs・伊藤捕手へのお礼と取材、安藤さんの森脇監督への突撃?取材の立会い、Hの紅白戦観戦と収穫たっぷりでした。(私にとって「野球の神様」、安藤さんの生(なま)解説付きでしたから勉強になったことは、言うまでもありません) 

 その中で、大変懐かしい人との再会がありました。
Hのブルペンでのことです。ピッチングが始まる前に安藤さんと入ると、外国人が2人、ホークスのジャンパーを着て話をしていました。ふと1人の背中の名前を見ると「ブラッシングゲーム」とあります。
阪神、南海で監督を務めた「ブレーザー」の本名です。そう言えば、何年か前、ブレーザーの息子が、駐米スカウトとしてホークスに入団という記事を見たことを思い出しました。

以前、このコラムで、入社して数年、大阪球場が僕のホームグラウンドだったことを書きましたが、当時の南海の監督がブレーザーでした。
で、末っ子のケント(当時、小学校の中学年くらいだったでしょうか)が、よく球場に来ていたのです。大変、人なつっこい少年ですぐに友達になりました。お父さんは、ほとんど日本語を話しませんでしたが、子どもはペラペラでした。

安藤さんは、ブレーザーが阪神監督時のコーチです。勿論、ブレーザー家ともお付き合いがありました。「安藤さん、多分、ブレーザーの息子ですよ」と言うと、安藤さんは、「日本語、大丈夫ですか?」と彼に話しかけたのです。
彼の日本語は、健在でした。当然、僕のことは覚えていませんでしたが、安藤さんの名前は、記憶にありました。きれいなお姉さんがいたこと、お兄さんが○○カレーのCMに出ていたこと、亡くなったお父さんによく似ていること、30年以上前の、阪神、南海の選手の名前も次々に出て来て、まさにタイムスリップでした。

 南海ホークスがなくなって27シーズン目に入りました。
最近は、京セラドームのホークス戦でも名曲「南海ホークスの歌」が聞かれなくなりました。そんな中、我青春、南海ホークスを見つけたような気がして、ひとり嬉しくなって帰って来ました。

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プロフィール

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名前:赤木 誠
生年月日:1958年10月24日
入社年:1981年
出身都道府県:鹿児島県
出身大学:九州大学
趣味:ウォーキング、観光
何でもひとこと:無芸大食。プロ野球、ラグビーには少々詳しいです。福岡・札幌は、住んでいたことがあるので、土地勘はあります。

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