いろんなご縁がありまして、台湾に関心を持っております。
2月28日は228事件、という大変な事件が71年前に起こった日だったので
台湾在住の方とやり取りをさせていただいて現地の様子を少し教えていただき
ラジオ「新福島」のニュースの中で紹介させていただきました。
1945年、大戦終戦後、蒋介石率いる国民党政権が台湾にやってきます。
圧政、不正、搾取を行い台湾の人たちを大変に苦しめ、
1947年の2月27日、つまり71年前の今日、闇タバコ売りの女性が
暴行され、タバコとお金を役人に没収されます。
その次の日の2月28日、抗議デモが行われたのですが、それに対して憲兵軍が発砲し
市民に犠牲が出たことで反国民党運動が一気に台湾全土に広がります。
戦前まで日本の支配下にあったことで無理やり使わされた日本語が
中国本土からの人たち(外省人)と台湾人(本省人)を見極めるため、
日本語が使われたそうです。
(このことは「悲情城市」、という映画でも描かれています)
事件後、1949年から1987年まで38年間、戒厳令下にありました。
台湾は世界で一番長く戒厳令が出されていたところでした。
軍政のもと、なんのいわれのない大勢の人が、政治犯として捕まり
処刑されたり、長くに渡り収監されていました。
その後の流れはちょっとオンエアでも割愛しましたが、
まだまだ多くの苦労を経て、今、報道の自由度ランキング、アジア1位の国に
なっているわけなのです。
台湾に関心を持ったのには大きく2つの理由が。
はじめての台北の夜市で、ある年配の男性の方に話しかけられました。
「あなたは日本人ですか?ぼくはこの夜市のおかゆに病みつきでね。
よく食べに来るんですよ。あなたもどうですか?」
あまりに流暢な日本語だったので「東京からですか?」と尋ねたところ
「いえ、私は台湾人なんですよ」と。
ああ、これが台湾の方の日本語なのかとすごくショックを受けた訳です。
もう一つは1989年にすでに戒厳令が解かれたあとで
100%言論の自由を求めて焼身自殺した鄭南榕さんの記念館へ行ったことと
去年、あるお芝居にかかわらせていただいた時におこがましくも彼の役を
させていただき、そこへ集まる人たちとの出会いがあったことです。
どんな事情であれ自殺を肯定することは私はありませんが、
この鄭南榕さんのすさまじい人生と最期に関しては
どうしても心が動かされ、衝撃を受けてしまったのです。
安穏と日本で暮らしていて、
なかなかこういった話ができる人というのはいませんし、
響いてくれる方がいるかどうかわかりません。
でも、少しでも関心を持っていただける方がいて
それは、沖縄の問題も、福島の問題もそうですが、
「もう、しゃーないなぁ、きいたろかぁ」くらいの感じから
少し難しくても、愉快ではなくても、聴いてくださる方がいれば
大変に嬉しく思います。