バックナンバー:2017年10月

名人

2017年10月31日

あるテレビ番組で、小さな工場で働く

「名人」

といわれた、

ものつくりの職人の息子さんが
こんなことを言っていました。

「名人と言われる職人の家はね、一代で終わっちゃうの。

継げないんだよ。

名人はね、

『もっといいもの、もっといいもの』と追求し続けて、

ものすごい手間をかけて、最高の材料でつくっちゃう。

あきらめることなく、まだできる、まだできると

一生追い続けるのよ。

だから、

出来たものはすごいんだけど、
採算がとれないんだよね。

生活できなくなっちゃう。

家族は大変なんだよ。」

...深いなあと思いました。

芸術作品をつくる作家と違い、
町工場の名職人の名前はなかなか歴史には残りません。

作るものが、
高価な芸術作品ではなく、
日常生活で消耗品として使われる

ねじや釘や機械部品だったりします。

でも、名人のつくった釘を使った建物は
想像を超えるくらいの年月が経っても
びくともしないくらい丈夫だったりします。

目立たないところでも、
手を抜かない。

後世の人々が驚き、恩恵を受け続けることができる
しっかりとした仕事をする。

人間的に最も優れた存在ですね。

国会議員には「職人」はいないのでしょうか。

全財産を使い果たしてしまうくらい、
自分の生活を顧みず、
国民のためにいい仕事をすることを
求め続ける

政治の「職人」

いませんよねぇ。

二世、三世の多い世界ではねぇ。

喜んで継いでいるし。

「憲政の神様」と呼ばれた

尾崎行雄さんは、
史上最多の国会議員の当選回数を持っていて、
63年も勤めたのに、

94歳で引退するときには、
ちょびっとのお金もなかったと聞いています。

憲政の神様を
路頭に迷わせるわけにはいかないと
憲政功労年金を国会が急遽作ったということですが、

この年金制度は、いまはありません。

そうですよね。

「憲政の神様」

と呼ばれるくらいの生き方をしなければ、
受ける資格はないはずなので。

「名人と呼ばれるほどの政治の職人」

いてほしいですよね。

ジーンズソムリエ

2017年10月19日

突然ですが、

この度「ジーンズソムリエ」試験に合格いたしました。

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「ジーンズソムリエ」とは、

ジーンズに関する深い知識を有し、

その価値や魅力を正しく伝えられる
プロフェッショナルな人材、
ジーンズ選びのアドバイザーを育成することを目的とした試験です。

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岡山県アパレル工業組合と、
倉敷ファッションセンター株式会社が主催しているものでして、
択一式問題と、小論文の試験があります。

なんで、岡山県アパレル工業組合なのかといいますと、
岡山県は日本一ともいわれる国産ジーンズの生産地なのであります。

魅力的なこだわりジーンズを生み出しているのです。

私はデニムが好きでして、
よく全身デニムで固めているのですが、

丈夫で、
使えば使うほど魅力的な味の出る
ジーンズは働く人の誇り高きワーキングウエアであり、
形式に縛られない「自由」の香りがします。

使い続けて、破れたり汚れたり
色落ちしたほうがカッコいい服なんて
他にはあまりないですものね。

ジーンズをかっこよくはきこなして
体を動かしながら楽しそうに働く高齢の方は、
あこがれです。

ちょっと太りすぎのわたくしにとっては、
実は「オーバーオール」がとっても魅力的です。

一生付き合えるジーンズ(...長くはくためには体形の維持が大切なのですが)
を探していきたいと思っています。

この資格試験、実際に繊維関係、
ジーンズ業界で働いている方やアパレル関係の学生さんには
それほど難しくはないのかもしれませんが、
(合格率は60パーセント以上のことが多いです)

私は3回目の挑戦でやっとの合格でした。

タオルソムリエの時も苦戦しましたが、
過去問題集が売られておらず、
過去問中心に勉強をする私にとっては、
テキストをくまなく覚えるのが大変でした。

年取ってくると、ぼやっとは覚えられるけど、
テキストの細かいことが
なかなか正確には思い出せないのです。
ぼやっとは思い出せるだけに大変悔しいのですが。

1回目はヤマをかけて大外れ、
2回目は絶対的な復習不足、

「3度目の正直」でようやっと合格しました。

ま、資格試験は賭けのようなものですので、
あきらめずに挑み続けることが大切です。

苦戦しましたが、
繰り返し長く勉強した分、
知識はしっかりとついたのではないかと
思っております。

自信をもって、ジーンズについて、
語れるようになりました。

本当に奥深い世界なんですよ。

今年は「アロマテラピー検定1級」「二級ボイラー技士」
そして「ジーンズソムリエ」

まさに、あっちいって、こっちいって、という感じですが、

さて私は一体、どこへ向かっているのでしょうか。

これで、いいのか。

2017年10月18日

天才バカボンのパパの母校「バカ田大学」は

今年、創立50年を迎えています。

私と同じ年齢であります。

...ちょっとうれしいです。

バカ田大学の校歌の歌詞は

底なし沼のように

深いのです。

振り返るに、

これまで人類の歴史を変えてきた数々の方々は

「バカ」

「不可能」

「常識外れ」

と「否定」されることから

人生が始まっています。

バカボンのパパは

「社会学部 哲学科」の卒業生。

人生の根本原理を追求する「哲学」は

いつの時代にも

一番、重要な学問だと

あたくしは思うのですが。

あなたは、どう思います?

2017年10月17日

告白しますが、

乳酸菌が好きです。

大好きです。

いつも「飲むヨーグルト」の大きなパックを買ってきて、

飲んでおります。

ヨーグルトは、
飲みすぎると、
ちょっとお腹が重くなる感じがあるのですが、

きっと、

私のお腹の中は

乳酸菌でいっぱい。

乳酸菌は、

よくわからないのですが
白い色をしているイメージがありまして、

私の中の腹黒い部分を、

真っ白い乳酸菌が
浄化してくれているような気が

しております。

...しかし、

わたくしのお腹は、すぐ黒くなりますけどね。

関西フォーク

2017年10月 9日

関西に住んで、
はや四半世紀以上が過ぎました。

これまでの人生の半分以上を、大阪で過ごしております。

関西と言えば、
他の地域から見ると、

関西弁、そしてお笑いや粉もののイメージが
強かったりするのですが、

「関西フォーク」

というすごいものがあることは
ご存知でしょうか。

フォークと言っても食器ではありません。

歌のほうです。

私、昔、ラジオの音楽番組を担当していた時に、

会社のレコード室
(‥若い人はもう見たことはないかもしれませんが、
黒くて薄い大きな丸い板に、
溝を刻む形で音楽が録音されているものを
レコードというのです。それがい~っぱいある部屋です)

にあるレコードの気になるものを、

片っ端から聴いたことがありました。

その時に、

「町工場のブルース」

という曲がありました。

歌っているのは藤村直樹さん。

寝ぼけた頭を、
いきなりハンマーで
ぶん殴られたような衝撃を受けました。

「なんだ、これは‥」

もはや「歌」などという
柔らかなレベルのものではなく、

言葉が体の中からしぼりだされて、

言わざるを得ないという

魂の叫びに聞こえました。

時代の大きな動きに抗うのは大変です。

強い思いを持って、
他の人の心に、深く深く
問いかけなければなりません。

それは、決して楽しいことではありません。
真摯に立ち向かえば向かうほど
血を吐くような苦しい作業だと思います。

関西フォークの世界は、
その気概を持った勇者が、何人も存在する世界でした。

歌い手は、自分の一生をかけて
社会に問いかけ続けました。

その歌は、
切れば激しく鮮血が噴き出るくらい
生々しく、いまのこの時代を映し出しています。

遠い昔の曲のはずなのに。

加川良さんの

「教訓Ⅰ」という歌、

あなたは、

聴いたことがありますか。

ぜひ一度、聞いてみてください。

特に若い世代の方々はぜひ。

お出かけですか。

2017年10月 9日

先月、アニメ「天才バカボン」の中の

重要な脇役である「レレレのおじさん」の声を担当していた
槐柳二さんが亡くなりました。

ご冥福をお祈りします。

私はレレレのおじさんが好きです。

なぜって、

おじさんは、
誰に頼まれたわけでもなく、
一銭ももらえるわけでもないのに、

いつも道のお掃除をしています。

おじさんのおかげで、
通る人は
いつもきれいな道を歩くことが出来ます。

そして道を通る人に

「お出かけですか」

と必ず声を掛けます。

これは大切なことでして、

レレレのおじさんは、

町内の防犯のために
大きな役割を果たしているんです。

もし、泥棒さんが盗みに入る家を
下見に歩いていたとしたら、

レレレのおじさんに声をかけられた時点で

諦めますよね。

いつも立ってお掃除している
レレレのおじさんは、
町内の見張り番の役割をしているんです。

この世の中に、
レレレのおじさんが大勢いてくれたとしたら、

いつのまにか、

町はきれいに、
そして、安全になるのですが。

「社会貢献」って、

決して大げさな難しいことではなくて、

実はレレレのおじさんのような行動なのかもしれません。

おじさんは、

とても強烈なキャラクターを持っていますが、

ご近所に長く住んでいて、

毎日、毎日、
家の前の道路をほうきで掃いて、

毎日、毎日、必ず誰にでも

「お出かけですか」

と声をかけてくれる

レレレのおじさんが悪い人のはずがありません。

レレレのおじさんは

毎日、一生懸命、道のお掃除をしています。

きれいな道は気分がいいですよね。

かつて日本には、
大勢の「レレレのおじさん」が存在していたと思います。

悲しいのは、
その存在のありがたさが、

失われるまで
気づかれないことです。

酸素

2017年10月 5日

建物が立ち並ぶ大都会でも、

ていねいに探せばあるもので、

会社の近くで、こんな場所を見つけました。

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ちょっと見、町中とは思えないでしょ。

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こういう場所が
町の中にたくさんあると、
人の心も穏やかになりますよねぇ。

とはいうものも、

実はこの場所も
そう広くはなく、

ちょっと
カメラの画角を動かすと、
すぐ建物が写ってしまうのですよ。

欧米の街中には、
緑豊かな大きな公園が数多くあるのですが、

日本は少ない気がします。

特に大阪は。

植物は

二酸化炭素を吸って、

酸素をつくり出してくれます。

何かと息苦しい都会の中で、

公園で

少し濃い酸素を吸うと、

頭が「すっきり」するような

感じは‥しませんね。

そこまで都会の公園の酸素は

濃くないもので。

ああ、もっともっとたくさん

広い緑の公園が

欲しいですねぇ。

でも、こんなに人間が狭い土地に密集して住んでいたら

無理ですね。

都会は地価高いし。

そのうち、

人工の光を使って育てた植物が茂る、

「地下公園」

などができていくのでしょうか。

‥そこで、くつろげるのかなぁ。


満足

2017年10月 4日

「アロマ超音波式 加湿器」を買いました。

うれしいです。

写真のものです。

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ちと、大きいような感じもしますし、
色も少し派手かなあとも思うのですが、

いいんです。

時間をかけて、
いろんなお店を見て回り、

デザインや、色や、機能もいくつも見比べましたが、

今回の決め手は

「お値段」でした。

いくらだと思います?

...こう聞くということは

「安いのだろう」

と想像がつくと思いますが、

税込み540円です。

もう一回お見せしましょう。

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一けた間違えたのではないかと
思うくらいの値段ですが「新品」です。

複数の大規模スーパーに
足しげく通い

隅々までくまなく丁寧に見て回ると、

掘り出し物にぶつかるのです。

‥爽快な気分です。

早速、甘いイランイランの香りを楽しんでおります。

満足です。

ちなみにこれだけではないのです、

私の勝利の品は。

下の扇風機は

税込み「810円」です。

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もちろん新品。

もう少し大きく撮った写真です。

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季節の変わり目の買い物の天才ではないかと

自画自賛いたしております。

もちろん、ここに至るまでは、

多年にわたり多額の「授業料」を支払いましたが、

それは無駄ではありませんでしたねぇ。

さあ、まだまだ探すぞぉ。


2017年10月 3日

秋の夜、一杯啜りながら、

高田渡さんの曲を聞いております。

お若い方々は、
きっと知らないのではと思いますが、

よかったらぜひ一度、高田さんの曲、

聞いてみてくださいね。

「仕事さがし」

「自衛隊に入ろう」

「値上げ」

「酒」

「夕暮れ」

まったく古さを感じません。

遠い昔に作られ、

歌われたもののはずが

なぜか、今の時代を

恐ろしいまでに映し出しています。

歌詞の一つ一つを

噛み締めて、

聞いてみてください。

言葉もメロディも

淡々としていて

激しさはないのですが、

それだけに、込められた思いの強さを感じます。

切れば、

鮮血が噴き出すような生々しさで

現代社会を鋭く突いています。

よかったら、ぜひ一度、聞いてみてください。

「生活の柄」

が身に染みる季節となりました。

高田渡さんは2005年、

56歳で、北海道で亡くなりました。

でも、残された曲は

深く太く、聴く人の心の中に生き続けます。

でも、

高田さんの願いは、
自分の歌が長く残ることではなく、

自分の歌を
実感を持って、自分のこととして、
涙を流しながら聞く人が

少しでも減る世の中になってほしい

ということではなかったのだろうか
と、思ったりしています。

私は酔っぱらってライブの途中に寝てしまう
高田渡さんが好きです。

純粋な繊細な感性を
なんとかなだめながら、

この怒るべきことの多い世の中を生きていくためには、

高田さんには
きっと、酒が必要だったのでしょう。

そのために、命を落とすことになったとしても。

よかったら、ぜひ一度、聞いてみてくださいね。

思い込み

2017年10月 2日

山へ行きました。

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紅葉が美しい季節が近づいています。
木々に覆われた山を見ていると

昔からずっと変わらない景色のように思えますが、

さにあらず。

森林学者の先生のお話によりますと、
神戸の六甲山など、
人口が集まっている地域に近い山は、

江戸時代は「はげ山」だったのだそうです。

理由は「燃料として使うために、

山の木を切ってしまったから」です。

そりゃ、そうですよね。

江戸時代以前は、
石炭も石油も使っていない生活で、

燃料は薪に頼っていたわけですから。

鎖国していた時代は
燃料の輸入もできないし、

自給自足ですから、
国内のどこかから
木を切ってこなければいけません。

物を移動させる手段も少ない中、
近くでエネルギー源、燃料を確保しなければならない。

だから、手近な山の木は切られてしまったわけです。

山へしば刈りにいくのは
桃太郎のおじいさんだけではなかったのですね。

そして、どうも、
個人地主が持っている山は、
少しづつ、少しづつ切って、
木を大切に管理していたらしいのですが、

村のみんなで使う共有地は、
我先にと木が切られてしまって、
はげ山になってしまったのだそうです。

当時は山が燃料源
いわばいまの「油田」の役割を果たしていたんです。

「山の幸」は山菜や木の実だけではなかったのです。

暖房にも炊事にも
お風呂にも、
日々の生活全般に木材、木の恵みが必要だったんですからねぇ。

なので、
もしタイムマシンで過去に戻ったとしたら、

あたりを見渡すと

ちょっと痛々しいはげ山が連なる光景を

目にすることになります。

もしかしたら
水戸黄門も全国漫遊で、
はげ山の中の道を歩いていたのかもしれません。

そうなると、印象が全然違いますよね。

確かに樹齢50年や60年の木が生えそろっている山は、

50年か60年前に誰かが木を切って、

また植えたと
いうことなんですものね。

昔から全く手の入っていない山なら、

樹齢数百年とか、千年とかといった木が
山を覆いつくしていてもいいはずですからね。
昔はこんな山の状態ではなかったんです。

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私たちは、
時として自分の思い込んでいるイメージだけで
ものを考えてしまいがちですが、

きちんと考証して、
証拠に基づいたうえで歴史を再現してみると
全く違った風景が見えてきます。

歴史のみならず、

何事においてもイメージだけにとらわれず、
あらゆる可能性を考えたうえで、

証拠を集めて、
確かめることが必要

と思いませんか。

何事にも。

そうすれば、

見えてくるものが
大きく違ってくるかもしれませんね。