MBS(毎日放送)

島田珠代

「島田珠代35周年記念公演」が連日大盛況に終わり、息つく暇もなく新喜劇の看板女優として舞台に立つ島田珠代さん。老若男女に絶大な人気を誇り、舞台にテレビにますます注目を集める島田珠代さんにお話を伺いました。

―芸歴35年を迎えられていかがですか?

あっという間に過ぎていったなと思うんですけど、よくここまでいけたなぁと。色んなことあったな。あっという間といいながらも、本当に色んなことがあったなぁ、と実感しています。

―今回が初めての周年公演というのが意外でした。

自分なんかが周年公演をやらせてもらうのは、おこがましいという気持ちがあって、これまでお話をいただいてもずっとお断りをしてきてたんです。舞台は集客が一番大事なので、そこが分からないんですよね。ありがたいことに、皆さん、看板女優って言ってくださっていますけど、それが集客につながるかどうかっていう確信がなかったんです。自分がトップでやる場合に拍手がくる確信がないというか、怖いという思いはありました。座長を務めていた川畑君の公演や酒井藍ちゃんの座長公演などに出て拍手をもらうのとは訳が違うかなと。それに、他の人の公演の方が頑張れるけど、自分のためにどれだけ頑張れるのかなっていう。だから、これまでお断りをしていたのですが、大勢の方の後押しがあって、今回やってよかったなというのはあります。

―22年ぶりにNGKへの出演となった藤井隆さんとの共演はいかがでしたか?

藤井君が新喜劇にいて私とコンビでやっている時は毎日がアドリブで何が飛び出すか分からないというのが日常茶飯事でした。新喜劇でやっている時はアドリブの舞台が毎日だったので、あの頃のような新喜劇が本当にやりたいっていうのをスタッフさんに言って、実現したんです。藤井君のスケジュールが偶然取れたのが奇跡でした。

―藤井さんとのコンビネーションもギャグの応酬も圧巻でした。

ギャグの応酬になるっていうのが目に見えてましたね。考えたら昔はあのような公演を毎日やっていたので、毎日汗だくでした。パンティーテックスは藤井君が知らない世界だったので、私の本当の新喜劇人生の流れがギュッと凝縮できてよかったと思っています。

―パンティーテックスといえば、近年、全国ネットのテレビ番組でも珠代さんのギャグが再評価されています。

私のなかでは「よしもと新喜劇NEXT~小籔千豊には怒られたくない~」(MBSテレビ/毎週水曜日・深夜1時29分から放送)に出演したのがターニングポイントになったと思っています。自分が新喜劇NEXTでアニメ「鬼滅の刃」を紹介した時に(2020年4月22日放送「小籔にプレゼン」回)感情移入し過ぎて大号泣したんですが、それで「あぁこういうのをしたくて吉本に入った」という感覚を、久しぶりに取り戻せたんです。「心斎橋筋2丁目劇場」に出ていた新人当時のような、ハチャメチャなバラエティをやりたかったなとキュルキュルと人生を巻き戻すように。そこから、番組の構成作家のくらやんという方がブッキングしてくれたお陰もあって、「かまいたちの机上の空論城」(関西テレビ)や千鳥の「相席食堂」(朝日放送テレビ)など、色々な番組からお声がけをいただくようになりました。本当にありがたいことです。その後もらった仕事は、今しかない、今成功させないとダメだなというのがあって、全部つないでいるって感じです。

―珠代さんのはじけっぷりがスゴイです。

なかなかの労力が伴ったんですけど、労力が伴わないと結果がついてこないんだというのが分かったんで、どんなことも、全部マンキン(本気)でやるようにしてます。基本ピン芸人の時もああいう芸風だったので、久しぶりに2丁目時代の私って感じですね。むしろ収拾がつかない。女リットン調査団って感じで。

―いつもハイテンションでパワフルな芸風の原動力はなんでしょうか?

やっぱり、恋愛ですかね。やっぱり、愛ですよね。恋愛だけじゃなくて、愛かな。私は家に帰って缶チューハイを2本飲むのが楽しみなんですけど、その時に娘と色んな話をしたりしながら、ご飯食べたり、飲んだりするのが楽しみで、舞台をやってる感じですね。

―芸人の珠代さんに対して、娘さんから何か言われることは?

私が「ダイエットしてキレイにせな」とか、テレビを見て他の女芸人さんが出ていて、「この人キレイね、面白いね」って言ったら、娘が「ママは、基本舞台芸人やし、痩せてキレイになるとかは誰も求めてないから」ということは言われます。だから、「いつも元気に食べて飲んで、ある程度の清潔感だけで、美意識をどうのこうのとかは誰もお客さんは求めてないから。それだったら新しいギャグをひとつ作ったりするほうがいいよ」って、結構しっかりとした助言をいつももらっています。それと、「ママが色々と激しいことをやって、色んな番組に出てうれしいけど、やっぱり(テレビを)見られなくなった。やっていることはすごい尊敬しているんだけど、嫌じゃないけど、私の中では芸人でもあるんだけどママだから、水着とかで出たら『えっ!?』てなる」って言ってます(笑)。

―水着姿のおばちゃんダンスはSNSなどでバズリましたね。

あれは、「かまいたちの机上の空論城」の1日100ツイート企画で生まれたのですが、明け方4時半くらいに本当に何にも思いつかなくて、お父さんの遺影に『お父さんどうしよう』って言ったら、『裸のままで考えろ』って言葉がふわっと聞こえてきて、『そうか、脱げばいいんだ』って水着になったって次第です。

―「よしもと新喜劇NEXT」の新年カレンダー企画でも水着姿を披露されています。

裸がもう服みたいな感覚になっていまして、全然恥ずかしくなくなっちゃってもう、本当に。ただ、この前、小籔っちに「あれ、そろそろ断ってもいいですよ」って、言われました。2年続けて水着姿になるのを気にかけてくれてたみたいで。でも多分、オファーがきたら受けると思います、はい(笑)。

―珠代さんに憧れる新喜劇の若手座員の方もいると思います。普段アドバイスなどは?

自分が持っているものを試すために吉本に入ったわけやから、助言なんかしても何の足しにもならないと思います。それぞれやり方がありますから。私は後輩に助言は言ってはいけないものだと思っています。それが優しくないのかもしれないけど、自分のやり方でやらないと絶対に長続きしない、っていう考え方です。それと、私ごときが言えないというのもあるんですけど。

―謙虚な気持ちと強い覚悟が感じられます。

「自分がすごい」と思った時点で終わりなので、私のなかで。すごいと思ってしまうと止まります。完全に止まります。ずっとダメだからもがく、もがいてもがいて生きている感じですね。

―現在でも出番直前は緊張のあまり舞台袖でうつむいているとか?

緊張っていうよりは、シミュレーションをしています。例えば1日4回公演、骨組みとしては同じようなセリフを言って、同じギャグをするんですけど、飽きないようにいつもフレッシュに「これが初めての舞台ですよ」って自分の大脳に言い聞かせるために、うつむいています。自分で緊張を高めているんです。初めて舞台に立つ、今日が1回目くらいな感じでやるために、下を向いて、ドキドキさせています。それがめちゃくちゃ暗く見えているのかもしれないですね(笑)。

―1回1回が勝負ということですね。

私の評価は舞台にお金を払って来てくれたお客さんがジャッジをするので、お金を払ってくれたからには、一生懸命やる、それだけは忘れずにいます。私がつまらないなと思うお客さんもいるわけだし、だけど面白くなくっても、お笑いの技術が通じなくても、一生懸命だけは通じるので、それだけはなんとしても持って帰ってくださいって感じでやっています。それが私の笑いのベースです。

―アキさん、吉田裕さんが新座長に就任し、新喜劇は盛り上がっていますね。

アキちゃんも、(吉田)裕ちゃんも、「こうしてみたいんですけど」って言ったら、ちゃんと受けてくれる人なので、後輩たちもどんどん相談していって、いろいろ向上していけたらいいんじゃないかなと思います。藍ちゃんや、すっちゃん(すっちー)以上に、座長座長していないカジュアルな2座長さんです。アキちゃんもビジュアルがいいし、愛されキャラの裕ちゃんと一緒にどんどん変わっていくんじゃないでしょうか。ますます新喜劇に注目してほしいと思います。

※撮影は、島田珠代さんの47年来の親友・ゆき姉さんと一緒におこないました。

2023年6月9日談

▼以下は2014年11月7日に伺ったインタビューです(芸人になられた経緯や新喜劇に入団したきっかけなどのお話を伺っています)

第19回 島田珠代

お客さんを信用してます。私の一番愛する人たちやから。

―芸人になられた経緯を教えてください。

高校2年の時に、お笑いが好きでクラスの中でお笑いみたいなことをやっていて、親友が、「4時ですよーだ」(MBSテレビ1987年4月~89年9月放送)に勝手に応募したんです。学校でやってることをそのままやったらいいだけやから、と。そしたら、予選に受かってそのままTVに出て優勝して。2回目も優勝させてもらって、だんだん見知らぬ人を笑わせるということにやみつきになってきたんです。で、NSC(吉本総合芸能学院)に入ろうかなと一瞬思ったんですけど、吉本興業の竹中(功)さんという方から、2丁目ジュニア探検隊という定期的にやるイベントの新規レギュラーを5組くらい選ぶ主にNSC6期、7期の人たちが対象のオーディションみたいなのがあるので、「一般参加で応募してみたらどやろ。落ちたら学校に入ったら」と言っていただいて。それで受けたら受かったんですが、次の日からお仕事として週に2回、イベントに出ることになりました。それが絶対新ネタじゃないとダメだったんです。
(厳しいですね~)
今ではちょっと考えられないですが、1週間に2本、1人コントを考えないといけない。必死でしたね。学校行って、火曜日と金曜日は2丁目行く前にクラスでネタ見せして、難波へ行ってイベント。制服のまま、ずっと自分の中で大仕事してました。とくに文化祭とか体育祭間近とかは、行事も率先して参加してたんで大変でした。

―高校生活はどうだったんですか?

そうしたことをするようになってから、孤独になったような気がします。友達はずっと友達なんですけど、終わってからも遊べないし、学校でもネタをずっと考えてたし。授業以外はずーっとずっと休み時間も追われてたというか。普通の高校生の感覚ではなかったですね。「ちょっとかわいなったやん」とか「瘠せたやん」とか、たまにそんな事言われると不安になったり。
(何故ですか?)
「かわいくなったらおしまいや」って思って。お笑いを仕事にするようになってから、「ブサイク」とか、「クサイ」とか、「あっち行け!」とか言われて、笑いが来るのに喜びを感じてたんです。ヘンな感覚でした。普通の高校生じゃなくなっていたと思います。 (おしゃれに興味を持つ時期ですよね)
そうなんです。真逆で。そんな自分に誇りを持ってたっていうか…。

―芸人との両立は大変だったのでは?

そうですね…。両親が商売してて共働きやったので、基本すごい寂しがり屋で、こっち向いてくれ的な気持ちがすごく強くて。それがいい具合に舞台に出たかもしれないですね。だからわりと大変ではなかったかもしれない。ネタには追われてたんですが、舞台に出てみんなが注目してくれることに、人として安心感を得てたというか。だから続けられたのかな、と思います。常に寂しい状態じゃないと頑張られへんのかな、と思ってました。でも、やった後の喜びもすごいんで。
(では、何の迷いもなくそのまま?)
はい、スポ根ものじゃないですけど、私の中では「スベってもくじけるな!」とか、「立ち上がれ!」とか、熱かったですね。男子としゃべったら、笑いが減ると思っていたし。男子と親しくなる=結婚やったんで。だから2度も(結婚)しちゃったのかもしれないですけど(苦笑)。テキトーに男友達というのも考えられなかった。2丁目劇場の頃は、男子と一切しゃべれない子で、仕事以外では言葉も発しないし、遊びにも行かなかったし。
(えっ?そうなんですか)
なんかわかんないですけど、モテたり、「付き合ってください」ってこともあるんですけど、もうすべて、「魔物が取りつく」と思ってお断りしてたし、ろくなことないと思ってました。
(何故でしょう?)
どっかで「自分は男」ぐらいの気持ちじゃないと、生き残られへんと悟ったんですかね。子どもの頃から、いっつも「どうせ私なんて」と言う気持ちがあって、容姿とかよくないのもわかってたし、もともと自分に自信がなかったんです。私が頑張るためには、光っているためには、男性が傍にいない方がいい、と。そうすると、白目も剥けるし、へんな動きも出来るし。吉本が男社会って気づいたんで、負けたらアカン、っていうのもどっかにあったかもしれないです。2丁目でも私は「女リットン調査団」って言われるくらいだったんで、バレンタインのチョコを200個くらいもらいました。すべては「女を捨ててるから」。そうやって生きてきたんです。

―新喜劇に入られたきっかけは?

ジュニア探検隊の時の2丁目劇場の支配人だった大﨑(洋・現社長)さんが、2丁目軍団を呼んで、「俺もサラリーマンなんで人事異動した。で、新喜劇セクションに行くねんけど、みんな新しくしたいんで、ついてきてくれへんか?」というので、今田(耕司)さん筆頭に、東野(幸治)さん、130Rさん、私もそのまま新喜劇に入ったって感じでしたね。大﨑さんはすごいカリスマがあって、みんなにとってお父さんみたいな人やったんです。
(新喜劇を新しくするというタイミングだったんですね)
そうです。そのメンバーは、野良犬軍団とか言われてたんです。みんな個人商店で、誰の弟子でもない、破天荒にやってる、と。新喜劇は、古典ではないけど昔からあるものやし。子どもの頃から見てましたけど、入るとは思ってなかった。誰も新喜劇をやりたくないっていうか。でも、今田さんが変えはったんですかねえ。私は今田さん、一番尊敬しているんですけど、いや~すごいなと思って。今田さんもたぶん新喜劇をやるとは思ってなかったでしょうけど、(新喜劇に)来たら来たで、上手いことこなしはる。今田さん、東野さん、木村(祐一)さん、板尾(創路)さん、ほんこんさんあたりの方が強気でいいように引っ張って行ってくれて、ブームも来たんちゃうかなと思います。ホンマ新しくなって、その辺の方が座長になってたんですけど、すごかったです。

―そんな中で島田さんはどうでした?

やることやること、怒られてました。唐突すぎるって。芝居とコントはもう全然違うじゃないですか。入った頃は条件反射的に2丁目でやってた1人コントの癖で、ヘンなこともせな、私じゃないと思って、全部ヘンてこな感じにしてたんです。ある日、浅香あき恵さんが「珠ちゃん、NGKは基本お芝居。役柄設定もあるし、1人でやってるんじゃない。かわいくまとめてから、ヘンてこな方にする方向に、変えたほうがいいんじゃない?」と言っていただいて。それまでは、出てすぐ、「ワ~オ!」とかやってたんです。じゃあなくて、「うふ、てへ」とかやって、後半いきなり「ワ~オ!」と弾ける、そういうメリハリを浅香あき恵さんが教えてくださったんで、新喜劇に来てよかったな、って思ってます。あのままやったら、「押して、押して」ばっかりだったんで。ありがたいな、と思いました。あき恵姉さんがいなかったら、私ここまで(新喜劇に)いなかったと思います。あき恵姉さんに言っていただいて、少しずつわかるようになったというか。

―壁にぶつかるギャグは、いつ頃からですか?

新喜劇に入って、初舞台から2か月くらいですか。壇上茂さんという作家の方が、「女子並んでみ~」と言って、私の顔を見て、「お前、壁ぶつかれ」って言っていただきました。
(え、顔?)
はい、顔で選んでいただきました(笑)。
(一番最初にぶつけられたのは?)
え~っと、あ、今田さんですね。それまで壁にぶつかったら、「痛ーっ!」とか、「こら~!」とか「痛いわ、痛いわ~」とかで終わってるんです。私、すごい悔しがりやったんで、ぶつかった後で、「優しいのね」とか「好き」とか「気持ちい~い」とか、そういう感じに変えました。
(最初から?)
はい、だって女の人がやられっぱなしじゃあ。まだプライド高かったのかなあ。お客さんにかわいそうと思われるのがすごい嫌やったんです。私1回、2丁目劇場の時に、体育祭とかテストとかいっぱい重なって、ネタが飛んで1人コントで真っ白になったんです。どうしよ、どうしよ、どうしよと思ってる時に、会場から手拍子で「頑張って!頑張って!」って言われたんですけど……すっごいショックやったんですね。お笑いって、かわいそうと思われたらアカンねんや、と。完全に会場の人は私のことかわそうと思ってみてる、「頑張って」って言われることって、芸人にとって致命傷というか。アカン、と思って。それが基本にあったんで、お客さんにかわいそうと言われるのが嫌やったんですね。で、たぶん、一言くっつけたんやと思うんです。
(なんか、すごく意識高いですね。高校生でなかなかそこまで考えないですよ)
アハハ…「頑張って、頑張って」がトラウマで、その時に「終わったわ、私」って思ったんですけど、結局続けてて、壁にぶつかる時にその時のこと思い出して…。
(ずっとブレずに来られたんですね)
変な話、私すごい、落ち込むんです。人以上にヘンなとこ気にしいというか。自分なりにスベったなと思った時、もうすごいんですよ。落ち込み方が。どあ~っと下がって。消えてしまいたいくらい。そうならんように、死に物狂いで毎回頑張っているというか。人のことはあんまり気にならないんです。全部自分、なんです。マラソンしてても絶対後ろを見ないタイプ。見だすと、ブレるんやと思います。これ辞めてみようか、とか。とにかく落ち込みたくないんです。

―今までで印象に残っている舞台は?

やっぱり「チーン!」が生まれた、今田さんとの舞台ですね。今田さんが白いタイツにブルマーをはいた王子様の役で長屋の人のトラブルを解決していくという話で、私が「うちはお金がなくて貧乏で…」と泣き崩れていくシーンがあったんです。その時に、ブルマーをキュッと握ってしまい、ブルマーが下がって、タイツ一丁になったんです。で、モコッとなってたんで、「どうしよ?」と思って、「チーン!」って弾いてみたら、爆笑で。「お前、何してくれてんねん!?」で、さらに笑いが来て。今田さんが、舞台終わって、女楽屋を訪ねて来て、「珠代、あれ、2回目からアリで」って。そっから「チーン!」が生まれたんで、あの時の舞台は大きかったと思います。
(ギャグは突然、生まれるんですね~)
はい。いいな、ってその時思うけどボツって、やめてしまうものもあります。だから、ライブで見ていただくのが一番かなと思います。毎日、アドリブで出るギャグもあったりするんで。ライブに来ていただけたら、毎日違うものが見られると思います。

―最初から舞台の申し子みたいな感じですよね。

いひひひ(笑)。そうですね、やっぱり、ほんとに誰も信用せんけど、お客さんだけは信用するって感じです。いや、いろんな人信用してますけど。一番信用してる人は私お客さんですね。やっぱり。やった分、笑いで返ってくるし。頑張れば外で声かけてくれるし。私、たまに舞台を2階の後ろの席から見ることもあるんです。みんなお金払っているじゃないですか。どうしたら2階の後ろの人まで喜んでいただけるのかな、と思ったら、言葉も大事やけど、動くのも大事というか。後ろの人まで声が届くようにとか、動きが届くようというのは意識してます。なぜかというと、お客さんが私の一番愛する人たちやから。でも彼氏は欲しいですけどね。募集中でございます。

―舞台以外に幸せを感じる時は?

それがないからこうなっているんでしょうね。趣味が仕事になってるんやと思います。趣味があったら、もっと楽やったんやろうな~と。
(でもお酢好きだとか…)
あ!そうです。もぉ~ね、もう、お酢だけは大興奮しますね。お酢という液体に大興奮します。大好きです。お酢は乳酸かなんか溶かすらしくて。私自身、疲れを貯めやすいんだと思います。ついつい欲するというか。
(何酢がオススメですか?)
ミツカンの穀物酢です。リンゴ酢もいややし、ビネガーとかも意味わかれへんし、
(ザクロ酢とか黒酢とか…)
いやいやいや、あんなんお酢と呼ばないです。飲むお酢は、私は穀物酢です。みんなビックリします。
(飲みやすくないですよ)
冷麺とかには、だいだい卓上瓶2本分くらいドボドボって入れるんですけど、
(ただの酢じゃないですか)
「ちょっといいですか?」って試した人は、みんな「うわぁ!」ってなるんです。私はそれを飲みながら、「幸せ~」って。そのまま飲むほかには、お酢茶漬けとか。
(お酢茶漬け~!?)
お酢のみで。最高ですよ、これ。ほんとに大事に食べます。
(周りに匂いますよね)
そうなんです。私、味噌汁にも入れるし、春雨スープとかには入れないと気がすまないし。あったかいものに酢を入れてしまうんで、逃げられる方も…。最近は我慢してます。
(まさかうどんにお酢とか)
入れます。ざるそうめん、ざるうどんは、つけつゆじゃなくて、つけ酢に…アハハハハハッ。そうめんの方がからまって最高です。

―小さい頃から、お酢好きですか?

そうなんです。もう、小6でわかりました。私はお酢とともに生きていくって。中1の時に、うちは酒屋をやっていてお酢も置いてたんで、父がお店を閉める時に、「今から店を出るけどいるもんないか?」って聞かれて、「お父さん、今ほんとに酢が欲しいねん、頼むわ」って。それが間違ってすし酢を持って帰ってきたんです。瓶、一緒じゃないですか。お父さんと殴り合いのケンカになりまして、家を出て行くっていう結末に。
(ははは!) もう私の中で、すし酢は甘いんですよ!全然違うんです!「もう!穀物酢言うたやんか!」「何や親に向かってその言い方!」って言って、ケンカになって。お酢大戦争が起こって。お母さんも「やめて、やめてえ~」お姉ちゃんも泣きながら止めて…。後で考えたらお酢のことでよう、そんなケンカしたな、と。お父さんすっごい、渥美清というか桜金造というか、私と顔そっくりで。泣きながら家を出て行って、友達の家に言って、「お父さんの顔なんかみたくない!!」って言って鏡みたら、めっちゃお父さんの顔やって、自分の顔見て、「きゃあ~!!」って(笑)。

―書道も九段という話ですが。

これ、ほんとは小6までしかやってないし、所詮、小6の九段なんで、さほどなんです。日本書道連盟に小学生の部があるんですよ。母が書道の師範の免許を持っていて、書道の先生をやりたかったみたいなんです。家が商売を始めたので、夢を断念して。そのかわり、私とお姉ちゃんに4歳から習わせて、家はトロフィーと賞状だらけでしたからね。「鬼の島田姉妹」と言われてたんです。大会という大会のトロフィーと賞状を持って行くって。お姉ちゃんが大会賞取ったら、私が副大会賞取るとか。大会の前には、学校から帰ってくると、ご飯の前とか、お姉ちゃんとずっと練習させられました。お母さんがご飯作りながら、出来栄えを見て、いい字が書けるまで、ご飯抜きなんです。お腹はすいてるし、涙が半紙の上にぽたぽた落ちて字がにじんで。そんな家やったんです。書道の時は無ですね。真っ白になって書きます。

2014年11月7日談

プロフィール

1970年5月10日大阪府大阪市出身。

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