MBS(毎日放送)

第34回 帯谷孝史

「あいつオモロイな」と言われたい。ただ、それだけなんです。

―この世界に入られたきっかけを教えてください。

僕は割とね、何でもふっと思いつきとかで物事を決めてしまう、そんなんが多いんです。新喜劇も中学2年ぐらいの時に、テレビで見とって、「あ、これにしよう」と思って。それから、ずっとやからね。
(えっ!?)
そやから、何でやねん? と言われたら、わかれへんのです。ふっとそう思たから。それで高校卒業して、まず、車の免許を取ってから、履歴書を持って心斎橋2丁目のとこにあった吉本興業の本社へ行って、「新喜劇に入りたいんです」と言ったら、中邨(秀雄。のちに社長)さんが、出て来はって。その時の顔を今でも覚えてるけど、「今、新喜劇はいっぱいや」と言われて断わられた。この言い方は時間かかりそうやな、と思って、東京へ行ったんですよ。
(東京へですか?)
その当時の柳家金語楼師匠の家を捜して行ったら、女のマネージャーの人が出て来はって、「今、内弟子を取ってないから、住むところとバイト先を決めてから来なさい」と。ところが、東京なんて中学の修学旅行で行ったきりで、金もほとんど持ってない。無理やなと思って、帰ってきた。話が前後するけど、バイトして、玉造にあった劇団のアカデミーに1年間おって、そこから吉本新喜劇に入れてもらおうともしたけど、松竹新喜劇に連れて行かれて…(笑)。
(ええ~っ!?)
藤山寛美先生の楽屋で、5、6人ですぐそばで話しして、帰ってきたんです。結局、そういう(松竹へ行くという)話にならなかったけどね。で、もう1回履歴書持って吉本へ行ったんですよ。また同じ中邨さんが出て来はって、「今いっぱいや」とまた言われて。これはいよいよアカンなあ、と。今度は、花菱アチャコ先生のところへ弟子入りに行ったんです。じかにお会いして頼んだんですが、「ワシ、もう歳で、弟子はとってないねん」と言われて。そんな時、うちのお袋から、漫才を辞めて民謡の師匠をしてる人がいる、その人は漫才の人も知ってるから行って来い、と。紹介してもらって、その人の稽古部屋へ行って話を聞かせてもらった。その師匠がなんば花月の当時の支配人を紹介してくれて、その人の預かりで、やっとこさ入れた。昭和47年(1972年)8月20日ですわ。4年ぐらいかかってるんですよ。
―吉本興業に入られてからは?
すごいでしょ。後から聞いたら、みんな簡単に入って来てる。「ええ加減にせえよ!」と。でもそういう人は、全部辞めてますね。

―吉本興業に入られてからは?

まず、進行になりました。その当時は今みたいな進行役じゃないです。新喜劇のセットとかを全部組み立てなあかん。今のゴロゴロ転がしていくようなセットと違う。全部建てたら、ドロドロになって汗だく。その時、すごいな~と思ったのは、木村進さんと間寛平さん。とにかくすごい。それまで間寛平って知らなかったけど、ほんまにすごいことしてるな、と。どつき合いするんです。どつき合いを。
(誰とですか?)
急にね、相手をバシッとシバいたりするんです。すごいな~これ、と思って、衝撃を受けたんです。
(舞台で?)
ポケットミュージカルスの時代です。歌の間にコントする。何本か漫才があって、ポケットがあって、新喜劇があった頃。あの時、中田カウス・ボタンさんの人気が凄かった。幕が上がって、次第にめくり(出演者を客に知らせる看板)に書かれた出演者の名前が見えてくる。わかったとたんに、どあ~っと歓声が起こる。屋根が落ちるかと思うくらい。あんなどよめき聞いたことない。すごかった。
(新喜劇に入られたのは?)
その年の12月1日に入れてもらったんです。あの頃はみんなそう(進行役から)やったんです。

―初舞台は覚えてますか?

覚えてますね。幕開きでタバコを買いに行く役で、ふとしたアドリブのセリフが受けたんです。今はあんなネタ絶対ウケないですよ。一番最初やったから怖いもの知らずで、あの時代やから受けたネタやと思います。
(どんなセリフですか? ぜひ教えてください)
楠本見江子さんがたばこ屋で、「ゴールデンバットください」「ありません」「洋モクください」それが、ウケたんですよ。当時は日本のタバコしか売ってなかった時代やから。
(ある訳ない!という感じですね。当時の座長は?)
船場太郎さんです。僕が入った時は3座長で、ほかは阿吾十朗さん、平参平さんで3つの組がありました。原哲男さん、花紀京さん、岡八郎さん、桑原和男さんはゲスト待遇でした。メンバーが固定してたら、形が決まってしまう。色んな組み合わせが出来るようになってましたね。今残っている先輩は、桑原和男さん、竜じい、やなぎ浩二さん、一ちゃん(島田一の介)、チャーリーさん…男性で6番目ですよ、僕。

―どんな雰囲気でしたか?

当時の新喜劇は形が出来とったからね。今の新喜劇は形はあるけど、いろんなものがバババッとアイスクリームのようにトッピングされてる。以前の新喜劇はそんなにトッピングがない。よく何かいらんことしたら怒られてたと言うけど、僕はあんまり怒られた記憶はないんですよ。みんなそんなにしてへんし。中にはやった人もいるけど。ほとんどやってない人が多い。そんなんやったら寛平さんなんて、絶対出て来られてない。どこ吹く風でやってたからね。すごい人ですよ。あの人は。木村進さんとはお互いにええパートナーやったと思う。ほかの人ではあかんと思う。木村さんは、残念なことに病気で倒れられてしまったけど、ボケも出来、2枚目も出来、ツッコミも出来、ほんまに惜しいです。あの人の芸が半分でいいから欲しかったですよ。

―そんな中での帯谷さんは?

僕はちょっと人と変わってるのかも知れない。みんなよく座長になりたいとか言うけど、僕は座長になりたいと思ったことないし。そこまで実力もないし。ただね、ただ1点なんですよ。「あいつ、オモロイな」と言われたい。今やったら、「あいつオモロイおっさんやな」と。これが言われたいんですよ。それ以外、何もない。欲はね、それだけ。昔からそれ一筋なんですよ。

―帯谷さんのギャグと言えば?

ギャグはないですよ。(横顔がポットに似てるという)ポットの前にギャグなんてなかったからね。あれ(ポット)はたまたま木村進さんがやってくれはって。たまたまですよ。サラリーマンの事務所で、僕が先輩でボロクソに言うて、振り返ったら、ポットになってる。それがウケて。ちょっとしたら、頭を押される遊びがあって。船場太郎さんがいろいろ広げてくれはった。まだまだいろんな形あるねんけどね。ああいう形に仕上げてくれたのは船場さん。ある時、営業で2人で15分くらい、ポットネタをやってたんですよ。やりながら小さな声で「一高座(1ネタ)やな」、って(笑)。

―帯谷さんの目指す「オモロイおっさん」ってどんなイメージなんですか?

別にこんなんするとかじゃなしに、どんな役の時でも、何かどこかでひとつ、ふたつ笑わせる。即興で、そういうことを言う、その積み重ね。別に決まったギャグでなしに、その時々に応じたことをやりたいなと思ってるんですけど。思いつく時もあれば、思いつかん時もあるし。ねえ…。
(定番のギャグではなく、芝居の流れの中での笑いですね)
もちろん! ここをこうしようかとか。(舞台で芝居を)受けてくれるからね、ありがたいことに。お客さんが乗せてくれる場合もあるし。お客さんのお陰でやれるということは多々あるんですね。

―思い出の多い新喜劇の座員の方はいらっしゃいますか?

お世話になったのは室谷信雄さん。いろんなこと教えてもらったり、怒られたり、優しくしてもらったり。あの時代の人間は多かれ少なかれ、お世話になってます。すごい人です。
(面倒見のいい方だったんですね)
いいです。
(教えてもらった舞台のセオリーとかは?)
ありません。そんなんは、ないんです(笑)。そら、僕ら誰にも教えてもらわないですよ。見て(覚えろ)です。僕は舞台よく見ますからね。人の舞台もよく見ます。ずっと、テレビも舞台も見てますからね。僕ほど見てる人間いてないですよ、たぶん。
(そんな新喜劇ウォッチャーから見た新喜劇は?)
とにかく、おもろいでしょ。時代によって変わってきてるから。それでええと思う。ただ、悪いことが起こる時は、無理に変えようとする、変えさせる時。自然と変わっていきます。これが一番いい形なんです。自然と変わっていくのが。無理に変えようとしたら、変わるのが遅なります。失敗したりするから。そんなんは、やる人間が一番ようわかっているから、みんなが変えていきますよ。絶対変わります、うん。

―笑いの質とかも変わってきてると思いますか?

変わってますね、多少は。なんていうのかな? 笑いがコロッと変わるんじゃなしに、今やってることも、かつてやってたんやで、と。「昔の人は偉い」と、いつも思うんですよ。すごいなと思ってね。言わへんけどね。聞かれたら言うけども。結局は、繰り返しやと思うんです。それをどういう風に組み立てるか、どういう風に今風にするかだけやと思うんです。その時代によって多少は変わってくる。
(基本は変わらない、と…?)
新喜劇の基本ってなんや? わからん。笑いのパターンでしょ、漫才でも。ネタは違うけど、やり方は変われへんはず。たぶん、そうやと思うけどね。パターンというのは、そない変われへん。2、3年前に花紀さんと岡さんの芝居をやったけど、変えたら別物になってしまう。昔のものは昔のままで置いておけばいい。
(小さい時に憧れた新喜劇ですね)
憧れじゃない、憧れじゃないです。見てて「やろか」と。思いつき。ものを買う時でも、何でもそうですよ。女の子やったら選ぶでしょ、「早よ、せえや、こんなん一緒やんか」思うけど。迷ってどないなる、時間食うだけや。そりゃ、もちろん後悔することはありますよ。でも迷って買うても同じや。雑なんですよ、結局。きっちりせえへん。細かいこというのが嫌。基本、じゃまくさがりやから。物事あんまり考えるの嫌なんですよ。

―10年ほど、新喜劇から離れられてました。

その間は(新喜劇を)ほとんど見てないです。戻るちょっと前から見だしたら、あんまり変わってへんな~と思って。大きく変わったな、と思うのは戻ってからですよ。その前はテレビ見ててもそんなに変わってないな、と思ってた。最近、ゴロッと変わったんですよ。ここ5年くらいで大きく変わったね。ネタとか、スピード感。これでもかというくらいスピード感ある。すごいなあと思って見てます。ええことでもあるし、悪いことでもあると思うし。一概には言われへん。セリフが早いのがスピード感あると、みんな錯覚するんですよ。テンポよくせえと言ったら、セリフを早くしよる。それは早くしゃべってるだけ。今のスピード感はええ意味のスピード感。だから面白いですよ。今の、新喜劇を生で見とかなもったいない。生はセリフが飛んだりとか、ハプニングの面白さがあるじゃないですか。もちろん完璧なことをやらなアカンけど、手を抜くのと間違えるのは違いますからね。

―趣味とか、ハマッているものありますか?

昔はゴルフとかあったけど、この歳になってやりたいもんはないですね。もともと邪魔くさがりやから。何もせえへん時は、家でテレビ見てますね。で、出て行く時は、出雲大社へ行ったり、伊勢神宮へ行ったり、寺社仏閣に行ってます。奈良はほとんど。京都も大きいところは行ってますけど、まだ小さいところが仰山あるんですよ。最近行ったのは伊勢神宮。年に2、3回行ってるんです。出雲大社も年2回くらいは行ってます。去年か一昨年は日光東照宮。行くのは全部車なんですよ。一番遠くへ行ったのは長崎まで、750キロ。日光で600キロぐらいかな。
(寺社仏閣に行かれるのは?)
僕は神・仏をそんなに信じてないんですよ。神・仏は居てないと思っているから。居てたら、あんな東北の震災とか起こらないじゃないですか。試練とかいうけど、死んで試練と違うやろ、と。僕はそう思っているから。ただ、自分が落ち着くから、自分のために行く訳です。昔からある日本の伝統は大事にせなあかんと思うからで、信心ではないです。
(独特の雰囲気がありますよね)
ところがね、今、無作法な人間多くなっているんですよ。それがたまらんのです。手を清めるとこあるでしょ、柄杓に口つけたり、あの杓で、犬に水やっとる人がいたんですよ。なにしてんの、あかんやん、それ。あと、他の皆さんがそれで口を漱ぐのにわかれへんか、と。注意しました。納得してなかったけどね。寺とか神社とかで、拝礼とかちゃんとしたことを教える場というのがないかなと思いますね。書いてあるだけでは、ね。
(教えるといえば、帯谷さんが新喜劇の若手に教えることは?)
伝えていくのは、みんなでやったらええ、と思います。ただ、「あそこは間違うてる」「ここはこうと違うか」と、ちょっとは言う時はありますけどね、言うて聞く子と、聞けへん子がおるから。1回言うて、アカンと思ったら、絶対言えへん。誰も言わない。間違うてんのわかってても言えへんからね。

2015年8月31日談

プロフィール

1950年3月16日大阪府八尾市出身。

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