第25回 中川貴志

出てへん時に「何で出てないんや」と思われるようになりたいですね。


―NSCに入られたきっかけを教えてください。

僕らの時代は2丁目劇場がブームで、ただ「テレビに出たい」という若い発想で、当時、お笑いを選んだと思います。東京へ行く勇気もなく、「大阪では吉本」というだけで願書を出して…というだけですね。こんなん言うと怒られるけど、安易でしたね。
(もともとお笑いを目指されてない方も多いです)
え? そうですか。僕も昔からお笑いに対していろんなことを考えてきたこともないし。ただ見たまま、感じたまま、笑うだけでしたね。

―相方の高井俊彦さんとの出会いは?

高井君とはたまたま一緒にNSCに入って、クラス分けがあって。誰も友だちがいなかったんで、グループで一緒におった時に、お互いに組む相手を決めていって、最初に組んだのが高井君やったかな。当時はそれでしっくり行ってたんじゃないかなと。でも、考え方は違うかったんかも知れないです。だから12年近くコンビが組めたんじゃないかと思います。
(ランディーズはNSC卒業後、一世を風靡したコンビですね)
(笑)そうですね。関西ではよくそう言われたりしますけどね。まあ運が良かったというか。この世界で売れる要因としては一番大事な“時代”があって、次に人に恵まれていたというか。番組でプロデューサーに起用してもらって、チャンスをいただいて、それがトントントンといろんな番組に出してもらうきっかけになりました。

―1999年、若手中心の劇場「baseよしもと」が誕生しました。

あの時、僕らは5年目で、「baseよしもと」の杮落としの企画で、海外に2か月ロケに行くというのに抜擢してもらったんです。ちょうどヒッチハイクで世界1周する猿岩石が流行った時で、それに近いことをさせてもらいました。帰ってきてもそんなに仕事なかったですけどね。関西で注目を浴びたのは、その後、番組の企画で「WEST SIDE」※というアイドルユニットを作ってもらった時じゃないですかね。ちょうど「baseよしもと」が出来て、「WEST SIDE」が出来て、そこへMBSの「?マジっすか!」(01年4月~03年3月放送)という番組が出来て、それがひとつになった時が一番凄かったんじゃないですかね。
(※関西テレビ『紳助の人間マンダラ』の企画で結成された男前芸人のダンスユニット。ロザン、キングコングとの6人組で01年~03年まで活動し、大ブレイクした)

―2か月の海外ロケの思い出は?

あんまりいい思い出はないですよね~。この世界入って、初めてのロケが海外の過酷なロケやったんで。今でこそ笑い話で、ええ思い出っちゃあ、ええ思い出ですが、苦しい思い出の方が多いですね。みんな「ええな、ええな、海外行けて」って言いますけど、デジカメひとつでディレクターと相方と3人で世界一周って、なかなか過酷やと思いますよ。言葉も通じないし。(苦笑)。
(変わった国に行かれました?)
ガーナ、ケニアなんて、普通じゃ行かへんでしょ。ペルーとかブラジルも行ったし、オランダも行ったし。パスポートのハンコいっぱいになりましたもん。でもきれいなところほど、何の思い出もないですよね。やっぱり。ニューヨークとかフランス、オランダとかはいいイメージはないですね。凱旋門やエッフェル塔も見たけど、そんな心に残らないです。それやったら、ケニアでマサイ族に会った時の方が印象に残ってますね。
(現地の人を笑わせるみたいな武者修行は?)
ありましたよ。ペルーでもガーナでも。ただ、やってることが電撃ネットワーク的な過酷なことで。笑えないものでした。
(芸の肥やしになっているとか?)
1周まわって、それはもうないです(笑)。

―「WEST SIDE」は2001年1月シングルデビューですね。

あの時は2年続けて、「baseよしもと」の夏のイベント(「base SUMMER SMILE」02年、03年開催)で3万人ライブをやりました。今じゃ、3万人集めるイベントを2年連続出来るというのはないと思うので、あの頃はほんまに凄かったんじゃないですかね。この人だけ、あの人だけじゃなくて、みんなが番組を持ってたし、劇場もすべて人パンパンやったし。
(寝る間もないくらいの忙しさ?)
あの頃はほんまにそうでしたね。2か月に1回ソロイベントをするためにネタ作らされて。ロケ行って、舞台行って、番組やって。よく、みんな家に帰らんと楽屋におりましたね。寝泊りというか、そこで夜中にネタ作らんとしょうがないから。何組かがずっとネタを作ってたりしました。
(はあ~)
そんな時代やったんです。みんな独身で。体力も要りましたね。休みはなかった気がします。

―新喜劇に入られたのは?

あの時、新喜劇をリニューアルしたいという話が会社の人からあって、「須知とランディーズと(若井)みどり師匠とどうや?」と声をかけてくれはって、「行く」と決めたんですかね。漫才師の時も、それこそすっちーのビッキーズとか、吉本の若い子らと一緒にコメディーの舞台をよくやってたんで、芝居自体は嫌じゃなかった。まったく知らんところに飛び込むというより、やってきたことの延長で、入ったという感じですね。
(コンビを解散後に入られる方は多いですが)
会社がランディーズを解散しなくてもいいということだったんです。各々立ち位置が違うんで、今は一緒に出ることは少ないですけど。新喜劇では、最初は警官とかヤクザ役とかコンビで出たような気がします。ただ、何十年とやってこられた大先輩がおられる劇団なんで、やっぱり、同じ会社といえども、最初は緊張しましたね。

―中川さんはいろんなキャラクターがありますよね。

キャラクターをさせてもらったから…いや、なんて言うか難しいんですけど。キャラクターをさせてもらえる環境を与えてくれたから、出来ただけで。最初はやっぱり、あまりいい顔はされなかったですよね。ちょっとこんなんやってみたいなと、笑い取るためにいろいろやってみたんです。ストーカーや、ややこしいオッサン、チャラ男、おじいちゃんもやってきたし。それが当てはまるまでは、回りの目も気にはなりました。ある程度認めてくれるものやないと、やりにくいというのもあると思う。キャラはやり続けんと定着しないしね。今の若い子なんて、そこをどうしたらええか、迷ってると思いますね。

―「しつこいじじい」のキャラクターはいつから?

2年前か3年前くらいですかね。しつこくやるノリは、もともと内場さんの週の時に、チャラ男役で、新地のホステスがそこまで来てる、呼ぶ呼べへんという長いくだりがあったんですが、ちょっと長すぎて、テレビ放送ではカットになったんです。3つやって、3つともカットやったんですよ。
(バッサリですか!)
全部カットされて、「もうあかんな~やめとこ」と。1年くらいやらなかったんです。そしたら、たまたま高井君のリーダー週の時に、(芝居の)時間が足りないんで、「しつこい、やってもらったら」となって。それがちょっとだけウケたんかな。その後、しみけん(清水けんじ)の週で、おじいちゃん役でやって、ガッツリ長くなって。
(定番化しつつある?)
いやいや、いやいや、まだまだ。たまに遊びすぎてひとつも笑われへん時ありますから。何が正解かわからないんです。出来る時はやって、入らない時は入れなくてもいいかな、と。何でもかんでもやらなあかんというのはちょっと違うと思う。本を作るのは座長なんで、その時の座長にもよります。駒の人間たちは何も言えないんで。座長が「やって」ということになれば、するでしょうし。台本も座長によってそれぞれです。例えば、すっちーの週は自分でやりながら組み立てて行くタイプ。内場さん、川畑さんでもそれぞれ違いますね。
(新喜劇の場合、ギャグが突然産まれるとか)
そうですよ、ほんまにそうやと思いますよ。楽屋のノリもそうやし。しゃべっていてあれしよか、というのもあるし。すっちーなんか、けっこう多いですね。普通に遊んでで、おもろいからそれやる、とか。それを上手に活かしてるから、やっぱりあいつ凄いんじゃないかなと。やらすだけじゃなく、勝算あって台本にしてるんで。あかんかったらすぐカットしますからね。

―中川さんにとって新喜劇の存在は?

どうなんでしょうね~。あんまりカッコええこというのも違うと思うし。やっぱり、新喜劇が職場ですから(笑)。実際、結果を出して、ナンボのところ。やらないと食っていけないじゃないですか。リアルにそんなことを考える歳でもあるし。家族ができたらそういうことも考える。よく「あなたにとって新喜劇とは?」と言われるんですけど、職場でしかないですね。結果出さんとお金ももらえない、そんな中でやって行かなあかんところ。書きにくいですか?
(いや、それもアリかと思うんですけど…)
あはははは(笑)みんなカッコいいこと言うじゃないですか。昔からよく「あなたにとって漫才は?」とか「笑いとは?」とか。それをせんと飯食って行けない、と。あんまりカッコええ言葉思いつかないですね。いつまで出来るかもわかれへん世界やし。どこの会社もそうじゃないですか。同じもんをずっと作り続けていい会社もあるんやろうけど、時代に応じて変えていかなあかんとこもある。だから会社も大きくなっていくんやろうし…そう考えたらね、もしかしたら、来年おらへんかもしれんとか。リアルに切られたら終わり、の世界やから、そこをどう玉を持ってくるかというところじゃないですか。

―新喜劇の座員としての理想は?

求められたいですね。出てへん時に(お客さんに)「何で出てへんねん」て言われる方がいいじゃないですか。自分が出てない週で「あれ、メッチャ面白かった」と言われたら、ものすごく気になるし。「面白かったなあ。でも出てへんかったなあ」「なんで今週出てへんねん」と思われるようになりたいですね。そのためにはやっぱり結果出さなあかんな、と。各々位置があるしね、僕なんかが笑い取らせてもらっているのも、ちゃんと芝居している人がおるから出来ていると思う。それぞれ考え方があるでしょうけど。

―今の若手に思われることは?

僕も師匠からしたら若手の一員なんでしょうけど。今の師匠の方たちは僕らのことも大事にしてくれはるし。それこそ長いノリを舞台上で待ってくれるという優しさ。それがあるから長いノリも出来たことやし。若い子もなんか芽が出るんちゃうかというのを見つけてあげて、一緒にやれるのが一番ええかな、と。ま、馬鹿にはならんようにせな、と。
(馬鹿とは?)
自分だけ(自分中心)になってしまうということ。それこそ、おじいちゃん3人くらいに増えて、3人とも長いノリをやり出してもオモロイかな、と。そんなことを若い子と出来たらなというのがありますね。若いしっかりした子が回すようになったら、そんな子にツッコまれて、笑ってもらえる。難しい時代ですけど、頑張って一緒に盛り上げられたらと思いますね。

―趣味とかハマッているものありますか?

普通にオッサンがやることですけど、休みになったら、ゴルフ行きたいな~とかはありますね。きっかけは7、8年前。やりたいな~と思って始めた頃に、八方師匠と一緒に行ったんですよ。当時、八方師匠、おなかポッコ~ンと出てて、ずんぐりむっくりやったんですけど、メッチャ上手かったんですよ。細い俺らがなんであかんねん? と。そこで「勝ちたい」と思ってやったんが、一番最初ですね。その時に楽しかったし、師匠と行って面白かったし。普段、師匠と出来るこというたらあんまりないじゃないですか。ゴルフだったら、終わりで一緒に飯食って酒飲んで、一番楽しかった。巨人師匠や、めだか師匠とか面白いですね。まる一日一緒におるわけですから、騒ぎながら、芸人同士おもろい話題もありぃの、身体も動かせるし、いいことやなあ、と。
(野球もお好きですよね)
やるのは嫌いですが、見るのは好きです。野球好きやから野球選手と会うことも多くて。そうなったら、情も入ってしまうんで、見に行くのも楽しいし、応援するのも楽しい。阪神と、関西はオリックスには頑張って欲しいですね。コテコテの大阪のオッサンが言うようなことやけど(笑)。阪神優勝したら、また川藤(幸三)さんのモノマネで使こてくれるんちゃうか、とか、仕事に関わると思ったら、余計見てまう。各局の優勝特番狙ってますからね。過去、何回か優勝特需ありましたから(笑)。もし、今年優勝してその需要がなかったら、「もうええわ」ってなるやろし…(笑)
(なくなってしまう!?)
リアルに(笑)。優勝特番、呼んでください。

2015年4月6日談

プロフィール
1975年7月4日 大阪府生まれ。1995年NSC大阪校 15期生。