桜咲くまで日記 :#4 登坂琢磨
生真面目に生きてきたからこそ、離婚後“突っ張って”きた道子。
そんな母親の頑張りを分かるからこそ、“いい子のフリ”をしてきた菜穂子。
そんな母親を助けようと、無理をして“自分を殺してきた”孝文。
元家族に対し“懺悔の日々を送ってきた”仁。

“逢瀬のような”父と娘のデート。その発覚。17歳の“リスト・カット”。
 
菜穂子の悲痛な抗議が、仁を、道子を突き動かしたドラマチックな3週めを受けての第4週は「父帰る」そして「おばあちゃん東京へ」。
『桜咲くまで』新展開。「おばあちゃん騒動記」へ突入です。

気に入ったシーンがあります。
ある日の若林家。孝文はキャバクラ嬢・美鈴を、菜穂子は親友・里香を家に呼び、ハナが孫たちの友達を「おもてなし」。
そこでハナがつくったのは、“茶巾しぼり”と“チラシ寿司”。もちろん完全手づくりです。これこそが!This is 日本の風景!
ハナ役の丹阿弥谷津子<たんあみ・やつこ>さんの“ほっこり”芝居を通して、古き良きニッポンに思いを馳せてみてください。きっと、感じるところがあるはずです。
(それにつけても、丹阿弥さんの、愛玩動物のような愛くるしい笑顔には魅了されるスタッフの多いこと。その優しさが皆さんにも伝わると嬉しいですね)

さて、ここで孝文・菜穂子兄妹が、ようやく兄妹らしい会話をし始めます。
お父さんやお母さんには素直になれないけれど、おばあちゃんの前では、素直な自分に戻れる……そんなことってありますよね。
いろいろあったけど、結局、菜穂子の気持ちをほぐせたのは、6年ぶりに会ったおばあちゃんの存在があったからなのでした。

でも、懐かしい人と話すことで、気持ちが安らぐのは何故でしょう?
一緒に過ごした尊い時間を自然に重ね合わせられる…昔話と言ってしまえばそれまでですが、自分はここに生きてたんだ…そんな実感を噛み締める瞬間、自分の“ありか”を確認できる瞬間があるからだと思っています。
行き詰まったときこそ、人は自分の生きてきた時間を忘れがちですから。

この“チラシ寿司”のシーンでは、特に孝文役の小松拓也くんのお芝居が秀逸。ハルキと孝文を言ったり来たりする、微妙な演技を是非、感じてください。
(3週目のリストカットあとの小松くんの芝居も良かったですが…)
 
ということで今回は、孝文役・小松拓也くんの話をしましょう。
菜穂子役と同様、孝文役の小松くんもオーディションで選ばれました。
多くのイケメン俳優を差し置いて彼が選ばれたポイントは、繊細さ。そして、どことなく仁役の渡辺さんに似ている点も惹かれました。当初は、引きこもり状態ですからほとんど台詞がない役なので、見た目のインパクトも重要でした。
でも、それにも増して彼に魅力を感じたのは……『台湾のタクヤ』と某雑誌にも紹介された、彼の経歴にありました。
 
高校三年生のとき、小松くんは遊びに来ていた渋谷でスカウトを受けます。
そこで彼はアジア戦略を掲げるその事務所に台湾留学を奨められます。即日本デビューではなく敢えて遠回りし力をつける…。よくそんな決断をしたと思います。バトミントンに燃えた高校時代とは180度の大転換でした。
でも、彼がラッキーだったのは、かの地で中国語を学び始めたところ、またスカウトされたこと。なんと現地テレビ番組のリポーターに抜擢されるのです。その転機もあって台湾でアーティスト・デビューを飾るに至りました。
(そのあと日本に戻ってからの活躍ぶりは、ドラマをご覧の通りです)
日本を離れ見ず知らずの街で暮らす……寂しいときもあったはずです……でも小松くんは、ふるさとを飛び出し台湾で自分の居場所探しをやり遂げた…。
 
『桜咲くまで』のモチーフに『ふるさと探し』があります。
彼のようにふるさとを飛び出した人物こそ、ドラマのモチーフを背負ってくれると思ったのです。要するに彼の経歴が孝文役とダブって見えたわけですね。

ふるさとを飛び出したいえば…主演の市毛さんは静岡出身。渡辺さんは茨城出身。国広さんは京都出身…。(沢尻さんは東京出身ですけど)皆さん、ふるさとのありがたみを分かっている方たち。監督陣も、大垣監督が広島、私が群馬、竹園監督が滋賀…と東京に居場所を作ろうと奮闘しているメンバーでした。
ドラマの中味と俳優・スタッフの境遇がどこか重なっている…『桜咲くまで』は、だからこそ温かい収録現場になりました。思い出深い作品です。

いつもそこへ戻れば、ほっとできる。無理して自分をつくらなくても=突っ張らなくても、ただただ無条件に受け入れてくれる、そんな場所がふるさと。  
 ふるさとのない道子は、自分で『ふるさと』を創って行くことになるのですが……どんな展開になるかは、このあとをお楽しみに!