MBS(毎日放送)

歴代優勝校

第99回(令和元年度)

桐蔭学園 23-14 御所実東大阪市花園ラグビー場

春の全国選抜大会決勝の同一カードとなった桐蔭学園(神奈川)と御所実(奈良)の対戦。初の花園単独優勝を目指した桐蔭学園に軍配が上がった。(2010年度90回大会は東福 岡との引き分け両校優勝)
前半リードしたのはこちらも初優勝を目指す御所実。ラインアウトモールやスクラムからといった多彩な攻撃で2トライ。桐蔭学園にPGを決められるも、3-14で前半を折り返した。しかし、後半追い上げを図ったのが桐蔭学園。FWの連続攻撃、さらにカウンター攻撃で2トライを返し逆転に成功。その後も18フェイズにもわたる攻撃からダメ押しのトライ。さらにPGを決め、リードを守り切った桐蔭学園が2年連続7度目の決勝戦で悲願の単独優勝。春の全国選抜大会、夏の全国7人制大会に続く、高校ビックタイトル3冠を達成した。

第98回(平成30年度)

大阪桐蔭 26-24 桐蔭学園東大阪市花園ラグビー場

ワールドカップに向けて改装された花園で行われた今回は、どちらが勝っても単独では「初優勝」という大阪桐蔭(大阪第1)と桐蔭学園(神奈川)との戦いとなった。試合が動いたのは前半7分。大阪桐蔭の強力スクラムがペナルティを獲得するとBKのサインプレーで先制。さらに追加点を奪い12-0とするも、徐々に桐蔭学園が猛追を始める。3連続トライで12-17と逆転に成功。しかし後半、均衡を破ったのは大阪桐蔭。PR江良、FL奥井の強力FWが連続トライで逆転に成功。試合終盤、桐蔭学園は再逆転をかけて粘りの攻撃を見せるもボールロスト。大阪桐蔭がタッチへ蹴りだし、歓喜の瞬間を迎えた。結果、昨季の準優勝校大阪桐蔭が26-24で桐蔭学園を下し、平成最後の花園で悲願の初優勝を遂げた。

第97回(平成29年度)

東海大仰星 27-20 大阪桐蔭東大阪市花園ラグビー場

ワールドカップに向けて改装中の花園で行われた大会は、第78回以来となる19大会ぶりの大阪決戦。雨天の中、FWの前進からタテに出る大阪桐蔭に対し、ヨコへのBK展開が光る東海大仰星が対照的な試合運びを見せる。一進一退で進んだ試合を制したのは、東海大仰星。残り20分を切って、持ち前のBK陣が集中力を発揮、得意の展開から3連続トライを奪って逆転すると、その後の大阪桐蔭の反撃を振り切りノーサイド。大阪決戦を制し、2年ぶり5度目の優勝を決めた。また、3回戦では秋田工業が東海大仰星と同点の戦いを見せるなど、伝統校の復活を予感させる大会でもあった。

第96回(平成28年度)

東福岡 28-21 東海大仰星東大阪市花園ラグビー場

高校ラグビー界をけん引する両雄の激突は東福岡に軍配が上がった。東福岡は前半に先制。後半はいったん追い付かれたが、13分、本来の持ち味である展開ラグビーでバックスまでつなぎ、約50メートルを駆け抜ける独走トライが決勝点となった。ロスタイムなし、最後は冷静にタッチラインに蹴りだしノーサイド。東福岡が2年ぶり6度目の優勝を果たした。

第95回(平成27年度)

東海大仰星 37-31 桐蔭学園東大阪市花園ラグビー場

FWが優勢と見られた仰星に対し、桐蔭FWも一歩も譲らずボールを動かし4トライをあげたが、前後半を通じてゲームの入り(3分)でトライを奪った仰星が勝利を得た。両チーム共に決勝らしい素晴らしいディフェンスであった。

第94回(平成26年度)

東福岡 57-5 御所実近鉄花園ラグビー場

東福岡が果敢に展開しトライを重ねた。御所はモールを攻撃の中心にトライを狙ったが、1トライにとどまった。東福岡の強さが如実に出た試合であった。

第93回(平成25年度)

東海大仰星 19-14 桐蔭学園近鉄花園ラグビー場

地域にかかわらずボールを動かし攻める両チーム。防御力で桐蔭学園の攻めをしのぎ続けた東海大仰星が、桐蔭の防御のスキをつくトライで1トライ上まわり勝利した。

第92回(平成24年度)

常翔学園 17-14 御所実近鉄花園ラグビー場

前半、常翔学園はBKが好走。連続2トライで10点を先制するが、反則を重ね、御所実に3点差にされる。後半6分、御所実にいったん逆転されるが、後半21分にワンチャンスをものにし再びリード。そのまま逃げ切り5回目の優勝を果たした。

第91回(平成23年度)

東福岡 36-24 東海大仰星近鉄花園ラグビー場

前半、風下に立つ仰星が積極的にボールを回して攻めるが、東福岡もプレッシャーをかけ、インターセプトからの連続トライを挙げ、東福岡がペースを掴む。仰星FWも密集でよく踏ん張り健闘するものの、徐々に東福岡の圧力受けリードを広げられる。しかし、最後まで闘志ををむき出しにして攻め続けトライを決めるが、あと一歩及ばず力尽きた。 東福岡は前評判通りの総合力で終始リードを保ち、危なげなく試合を進め、見事3連覇を達成した。

第90回(平成22年度)

桐蔭学園 31-31 東福岡
両校優勝 近鉄花園ラグビー場

前半桐蔭はボールを大きく展開、BKが快走し4トライを挙げリードした。 東福岡はFWの優位さを活かし後半猛反撃、ノーサイド寸前に追いつき両校優勝となった。 両チーム持ち味を出しつくした好ゲームであった。

第89回(平成21年度)

東福岡 31-5 桐蔭学園近鉄花園ラグビー場

開始早々からの東福岡の強い圧力に対して、桐蔭学園は低く鋭いタックル、早いFWの集散で対向する。東福岡は攻めあぐねていたが、個々の突破力を生かし得点を積み重ねて、東福岡が徐々にペースをつかんで、前半終了。
後半、東福岡FWの集散もよくなり、接点で圧力をかけ、ゲームの流れを完全に東福岡のものにし、安定した試合運びをする。
桐蔭学園は東福岡の圧力に屈することなく、最後まで早い集散と低く鋭いタックルは見事だった。

第88回(平成20年度)

常翔啓光学園 24-15 御所工業・実業近鉄花園ラグビー場

スピードで圧倒した啓光であったが、御所もよく食い下がり、ノーサイドの笛が鳴るまでどちらが勝利するか分からない一戦であった。 後半の御所の頑張りも、あと一歩及ばなかった。

第87回(平成19年度)

東福岡 12-7 伏見工近鉄花園ラグビー場

前半は立ち上がりこそ伏見工が敵陣深く攻め込んだが、ミスで逸機、個々のスピードと強さに勝る東福岡が立ってボールをつなぎだし、個人技で2トライをあげた。 しかし後半、BKの展開から1トライをあげて息を吹き返した伏見工がボールを大きく動かし、何度も波状攻撃を仕掛ける。だが東福岡はその攻撃をしのぎ切り、悲願の初優勝を遂げた。 両チーム、持ち味を出し切った好ゲームであった。

第86回(平成18年度)

東海大仰星 19-5 東福岡 近鉄花園ラグビー場

大会前から評価が高かった aシード校同士の激突となった決勝戦。 前半を両チーム無得点で折り返すという緊迫した好ゲームは、 後半に東福岡を突き放した東海大仰星が、公式戦無敗の偉業とともに 7年ぶり2度目の全国制覇を成し遂げた。

第85回(平成17年度)

伏見工 36-12 桐蔭学園近鉄花園ラグビー場

5連覇を目指した啓光学園は準々決勝で大阪工大高に敗退。決勝戦は 6年ぶりの東西対決となり、初の決勝進出を果たした神奈川・桐蔭学園と 京都・伏見工が対戦。伏見工が集散の早さと強いタックルでゲームを支配し、5年ぶり4回目の全国制覇を遂げた。

第84回(平成16年度)

啓光学園 31-14 天理 近鉄花園ラグビー場

啓光学園の4連覇は戦後初、大会史上でも2校目の大偉業。名門天理が14年ぶりに決勝戦に進出したが涙。15年前の決勝戦の再現は前回と逆の結果に。シード校のa、bの区別がなかったのは10大会ぶり。シード校13校は2大会連続で初戦を突破。

第83回(平成15年度)

啓光学園 15-0 大分舞鶴 近鉄花園ラグビー場

啓光学園が54年ぶりの3連覇達成。学校教育法第1条に定める学校以外の学校として大阪朝鮮高級学校が初出場。シードされた13校がすべて初戦を突破したが これは7大会ぶりのこと。

第82回(平成14年度)

啓光学園 26-20 東福岡 近鉄花園ラグビー場

2年連続同じ顔合わせとなった決勝戦は啓光学園が東福岡の追い上げをかわして戦後4校目の連覇を達成した。この大会から組み合わせ抽選の方法が変更され各校の主将が直接くじを引くことになった。また準々決勝、準決勝の組み合わせも抽選で決められた。

第81回(平成13年度)

啓光学園 50-17 東福岡 近鉄花園ラグビー場

東西のaシード・横綱対決は啓光の「デジタルラグビー」が公式戦負け知らずの22連勝で3度目の優勝。大阪工大高が2試合連続ロスタイムの逆転勝ちで大会を盛りあげた。香川・坂出工が1回戦を突破。これで全都道府県が勝利をあげた。

第80回(平成12年度)

伏見工 21-3 佐賀工 近鉄花園ラグビー場

鉄壁の防御で佐賀工をノートライに抑え8年ぶり3度目の栄冠に輝いた伏見工が21世紀初の王者に。佐賀工は2回戦の対砺波戦で137-0の大会最多得点を記録。唯一の未勝利県香川代表坂出工は1回戦敗退。

第79回(平成11年度)

東海大仰星 31-7 埼工大深谷 近鉄花園ラグビー場

ともに初の決勝進出。攻守にバランスの取れた東海大仰星が埼工大深谷のトンガ留学生のパワーを封じ初優勝。3回戦では8試合の内3試合が引き分け(1日3試合は史上初)。鳥取県勢初勝利(米子東高)。

第78回(平成10年度)

啓光学園 15-12 大阪工大高 近鉄花園ラグビー場

史上初の大阪決戦を制し啓光学園が2度目の日本一。決勝戦は大会の歴史の中でも屈指の好ゲーム。超高校級の大阪工大高の攻撃を啓光学園がレベルの高い組織ディフェンスで凌いだ。土佐塾高が高知県勢初勝利。

第77回(平成9年度)

国学院久我山 33-29 伏見工 近鉄花園ラグビー場

決勝戦ノーサイド直前の攻防は前大会に劣らない名勝負であった。1回戦の青森北122-0坂出工は史上最多得点。 勢いに乗り大工大高を倒青森北旋風を起こす。

第76回(平成8年度)

西陵商 26-25 啓光学園 近鉄花園ラグビー場

決勝戦残り5分、西陵商の怒とうの攻撃と啓光学園の必死の防戦は歴史に残る激闘。ロスタイムに入り逆転のトライ・ゴールで西陵商初優勝。啓光学園は『限りなく優勝に近い“敗者"であった』(毎日新聞)。

第75回(平成7年度)

大阪工大高 50-10 秋田工 近鉄花園ラグビー場

大阪工大高が速攻展開ラグビーで圧倒的な強さを見せ、fw・bk共にスキのない史上最強軍団と云われた。決勝戦の50点は史上最多。

第74回(平成6年度)

相模台工 27-12 長崎北陽台 近鉄花園ラグビー場

昨年の長崎北に続いて“長崎旋風"が起こった。 実力県として完全に定着する。 相模台工は52、53回の目黒以来の連覇を達成。

第73回(平成5年度)

相模台工 19-6 東農大二 近鉄花園ラグビー場

長崎北が無欲のラグビーでシード校を次々と撃破し旋風を巻き起こす。東農大二が、 体は小さいが高校ラグビーのお手本のようなプレーを展開、 23年ぶりのノーシード校決勝進出の快挙。相模台工は初優勝。

第72回(平成4年度)

伏見工 15-10 啓光学園 近鉄花園ラグビー場

12年ぶりの京阪決勝となるが接戦の末、 伏見工が2度目の優勝。 48年ぶりに大鉄傘が復元、 ラグビー資料館も新設、 第2グラウンドも冬枯れしない洋芝に張り替えられる。

第71回(平成3年度)

啓光学園 28-8 国学院久我山 近鉄花園ラグビー場

花園ラグビー場が大改修され収容人数が1万2000人から3万人に。 安定した試合運びで啓光学園初優勝。

第70回(平成2年度)

熊谷工 19-9 天理 近鉄花園ラグビー場

70回記念大会で出場校は史上最多の54校。 安全管理面から登録人数が 22人から25人になる。 熊谷工は初優勝。

第69回(平成元年度)

天理 14-4 啓光学園 近鉄花園ラグビー場

コールドスプレーの使用禁止通達。負傷者続出の天理が伝統のタックルで強豪に競り勝ち6年ぶり6回目の優勝。

第68回(昭和63年度)

大阪工大高・茗溪学園 両校優勝 (昭和天皇崩御)
近鉄花園ラグビー場

メディカルサポーター制度が採用される。天皇崩御のため決勝戦中止となり、力の大工大、技の茗溪が優勝を分ける。

第67回(昭和62年度)

秋田工 9-4 相模台工 近鉄花園ラグビー場

地元北野が46年ぶりの出場で大フィーバー、 3回戦で伏見工に12-16で 惜敗。 秋田工は15回目の優勝。

第66回(昭和61年度)

国学院久我山 22-6 熊谷工 近鉄花園ラグビー場

大阪府教育委員会も主催に加わる。東西aシード上位2校(計4校)がベスト4に進出、国学院久我山が4年ぶり4度目の優勝で2年連続東京に優勝旗を持ち帰る。

第65回(昭和60年度)

大東文化大一 8-0 本郷 近鉄花園ラグビー場

『1県1校出場』 方式が毎年開催で定着する。関東勢が史上初めてベスト4を独占。秋田工が通算100勝を達成。 大東大一が5試合をノートライに押さえ東京決戦を制し初優勝。

第64回(昭和59年度)

秋田工 9-4 相模台工 近鉄花園ラグビー場

沖縄勢(コザ)が初の1勝をあげる。43回大会いらいの東日本勢ベスト4を独占。名門秋田工が創部60周年を14回目の優勝で飾る。

第63回(昭和58年度)

天理 18-16 大分舞鶴 近鉄花園ラグビー場

キャプテンシー重視のため、監督・コーチはゲーム中スタンドにいる。前回優勝の出場枠が廃止され開催県の大阪が1校増となる。 古豪天理は12年ぶり5回目の優勝。

第62回(昭和57年度)

国学院久我山 31-0 目黒 花園ラグビー場

本大会より『各県1校の総体規定』に基づき48校出場を隔年実施する。 米子工が食中毒で無念の不戦敗。

第61回(昭和56年度)

大阪工大高 13-4 秋田工 花園ラグビー場

スクラムをゴールライン5m以内では組ませない。高鍋がランニングラグビーで旋風を巻き起こす。大阪工大高は2度目の優勝。

第60回(昭和55年度)

伏見工 7-3 大阪工大高 花園ラグビー場

60回を記念して53校が参加、 大阪が3代表、愛知が初めて2代表を得る。山形、島根、沖縄の初出場によりラグビー空白県が解消される。 伏見工が初優勝。

第59回(昭和54年度)

目黒 16-14 国学院久我山 花園ラグビー場

シード委員会が設置され、各大会、本大会予選などを資料にしてシード校を決め、3回戦以降の抽選を廃止し1回戦から一本化される。 目黒は14点差をはね返し奇跡の逆転優勝。

第58回(昭和53年度)

国学院久我山 40-6 黒沢尻工 花園ラグビー場

共通一次テスト実施のため大会期間を2日繰り上げる(1/1→12/30)。 超高校級fwをもつ国学院久我山が、これまでの決勝戦史上最多得点をあげ3年ぶり2度目の優勝。

第57回(昭和53年)

大阪工大高 20-12 秋田工 花園ラグビー場

ヘッドキャップ着用が義務づけられる。ボールは6枚皮から4枚皮に。大阪工大高は初優勝、地元大阪の優勝は12年ぶり。

第56回(昭和52年)

目黒 29-9 花園 花園ラグビー場

目黒は1、2回戦を苦しみながらも4回目の優勝、花園は3度の準優勝。

第55回(昭和51年)

国学院久我山 25-9 目黒 花園ラグビー場

25分ハーフから30分ハーフに試合時間延長(2回戦以降)。 12年ぶりの東 京決戦は国学院久我山が勝ち、 初優勝。 3月、 高校日本代表が初のイン グランド遠征。

第54回(昭和50年)

大分舞鶴 14-8 花園 花園ラグビー場

前回、持てる力を出し切れず準優勝に終わった大分舞鶴が初優勝。

第53回(昭和49年)

目黒 19-8 大分舞鶴花園ラグビー場

第47回の初出場以来、 7回出場して6回の決勝進出を果たした目黒が35、36回大会の秋田工以来の2連覇を達成。

第52回(昭和48年)

目黒 27-0 花園 花園ラグビー場

鹿児島国体を制した目黒が圧倒的な強さ(5試合で190点)で2度目の優勝。

第51回(昭和47年)

天理 17-13 目黒 花園ラグビー場

得点改正でトライ4点となる。高校総体に加入して初の大会となる。目黒有利を覆して天理が5年ぶり4度目の優勝を飾る。

第50回(昭和46年)

盛岡工 20-9 天理 花園ラグビー場

50回大会を記念して50チームが参加、 初陣が17校で青森、福井、滋賀、鳥 取、香川、高知の6県は初出場。 初めてシード制が用いられる。 23名が選抜され、 カナダに初の海外遠征を行う。

第49回(昭和45年)

目黒 20-16 諌早農 花園ラグビー場

選手交代が認められるようになった。3度目の決勝で目黒が優勝を果たす。

第48回(昭和44年)

秋田工 26-6 目黒 花園ラグビー場

3年ぶりに復活した秋田工が新鋭の目黒を後半突き放し13回目の優勝。

第47回(昭和43年)

福岡電波 11-5 目黒 花園ラグビー場

古豪・伝統校がベスト8に1校も残らない新鋭チームの大会となる。初出場ながら決勝に進出し破れはしたが、これから目黒の時代が始まる。

第46回(昭和42年)

天理 14-10 京王 花園ラグビー場

伝統校と新鋭校、 地域による力の差が急速に縮まった大会であった。 3年連続決勝進出の天理が得意のオープン攻撃を展開し3度目の優勝。

第45回(昭和41年)

盛岡工 6-5 天理 花園ラグビー場

ベスト4に近畿勢が3校(淀川工、天理、大工大高)が進出。 盛岡工は15回目で念願の初優勝。

第44回(昭和40年)

秋田工 6-3 天理 花園ラグビー場

32校中、 10校が初出場のフレッシュ大会となる。 オープンでの攻防を豊かにするための大幅なルール改正が行われ果敢にライン攻撃をするチームが増加。 秋田工は12回目の優勝。

第43回(昭和39年)

保善 6-3 京王 花園ラグビー場

41回大会と同じ決勝戦。保善が逆転で4回目の栄冠。新鋭チームの台頭が目立った。

第42回(昭和38年)

天理 8-3 北見北斗 花園ラグビー場

名神高速道路建設により、西宮球技場が規模縮小された為、花園ラグビー場に会場が移転される。北見北斗は4度目の決勝も涙をのむ。

第41回(昭和37年)

保善 9-5 京王 西宮球技場

プレーの緻密化が進み、防御が非常に堅くなる。2度目の東京決戦は保 善が京王を下し3度目の優勝を飾る。

第40回(昭和36年)

秋田工 13-6 保善 西宮球技場

40回を記念して優勝旗が新調され『飛球の旗』と命名される。 最多優勝校 及び10回以上の出場校が表彰される(秋田工、同志社、福岡、西京、慶応 天理、天王寺、兵庫、保善、崇徳、熊本工業、盛岡工、北見北斗、脇町)

第39回(昭和35年)

保善 9-0 北見北斗 西宮球技場

保善が看板のfwを軸にbkも整い会心のゲーム運びで2回目の優勝。東日本勢の活躍が目立つ。

第38回(昭和34年)

秋田工 6-0 盛岡工 西宮球技場

秋田工は全試合に完封勝ち、10回目の優勝を飾る。

第37回(昭和33年)

保善 14-3 日大二 西宮球技場

強豪が相次いで敗れる波乱の大会であった。初の東京対決は軽量fwではあったが保善が悲願の初優勝。

第36回(昭和32年)

秋田工 14-3 盛岡工 西宮球技場

日本ラグビー協会が体協に復帰。参加校は倍増の32校になる。初の東北対決となったが、秋田工の2連覇。

第35回(昭和31年)

秋田工 14-0 保善 西宮球技場

日本ラグビー協会が体協を脱退(五輪選手派遣費を競輪収益からの捻出に反対)。国体に参加出来なくなるが、この年に限り高校だけ特別参加。

第34回(昭和30年)

慶応 6-5 秋田工 西宮球技場

力の秋田工、技の慶応の対決はbk力に勝った慶応が25年ぶりの優勝。

第33回(昭和29年)

福岡 5-0 保善 西宮球技場

スピード溢れる展開力を発揮した福岡が3度目の優勝。

第32回(昭和28年)

秋田工 8-0 北見北斗 西宮球技場

前年と同じ顔合わせ秋田工が2連覇

第31回(昭和27年)

秋田工 13-3 北見北斗 西宮球技場

伝説的名ウィング出雲(秋田工)、宮井(北見北斗)の対決が人気を呼んだ。

第30回(昭和26年)

天王寺 8-0 秋田工 西宮球技場

30回を記念して8校から16校の参加。秋田工の4連覇ならず。

第29回(昭和25年)

秋田工 14-3 福岡 西宮球技場

全国高体連が発足。日本ラグビー協会、高体連、毎日新聞社の共催となる。

第28回(昭和24年)

秋田工 13-3 四條畷 東京ラグビー場

学制改革により第1回全国高校ラグビー大会(後に第28回に改称)となる。毎日新聞社の手を離れ、 日本ラグビー協会の単独主催となる。 東京ラグビー場は現在の秩父宮ラグビー場。。

第27回(昭和23年)

秋田工 6-6 函館市中 西宮球技場

全国8地区に分けて予選を行って代表を決める現在のような形に再編成された。引き分けによる両校優勝は大会2度目。

(昭和19~21年)

太平洋戦争のため中止

第26回(昭和22年)

福岡中 6-0 神戸二中西宮球技場

主催:日本ラグビー協会後援:毎日新聞社となる。南甲子園運動場は進駐軍の駐車場に接収されていた。

第25回(昭和18年)

天王寺中 6-0 福岡中南甲子園運動場

スポーツは全て政府の統制下にはいり、主催は文部省・大日本学徒振興会となる。戦前最後の大会となった。天王寺中が初優勝。

第24回(昭和17年)

北野中 12-3 天王寺中近畿大会・南甲子園運動場 福岡中 9-8 鞍山中九州大会・福岡春日原球場

太平洋戦争のため2地区で全国大会を行う。

第23回(昭和16年)

台北一中 3-0 福岡中 南甲子園運動場

福岡中のfw石本選手が前の試合で死亡。 喪章をつけて決勝に挑むが惜敗。

第22回(昭和15年)

撫順中 11-3 秋田工 南甲子園運動場

2年連続決勝の相手秋田工に勝ち、撫順中2連覇。

第21回(昭和14年)

撫順中 14-11 秋田工 南甲子園運動場

2度の抽選勝に恵まれた秋田工も決勝で満州の撫順中に惜敗。

第20回(昭和13年)

秋田工 3-0 養正普 南甲子園運動場

夜間部の保善商がハンディを克服し初出場、1勝をあげる。

第19回(昭和12年)

培材高普 9-8 台北一中 南甲子園運動場

実業団の強豪朝鮮鉄道局に鍛えられた培材高普が体力にものをいわせて初出場初優勝

第18回(昭和11年)

天理中 14-5 神戸一中 南甲子園運動場

創部10年天理悲願の初優勝

第17回(昭和10年)

台北一中 3-3 鞍山中 南甲子園運動場

台湾と満州の外地チームによる決勝戦は引き分けで初の両校優勝。

第16回(昭和9年)

秋田工 8-5 京城師範 南甲子園運動場

北海道、四国勢が初参加。秋田工が京城師範の4連覇を阻む。

第15回(昭和8年)

京城師範 32-5 天理中 南甲子園運動場

京城師範は体力、走力ともに群を抜く強さをみせる。

第14回(昭和7年)

京城師範 30-5 同志社中 南甲子園運動場

九州と台湾で1地区、朝鮮と満州は2地区に分ける。

第13回(昭和6年)

京城師範 34-3 天理中南甲子園運動場

外地チームの京城師範(現在のソウル市)が初優勝

第12回(昭和5年)

慶応普通 8-6 同志社中 南甲子園運動場

地方チームの向上で大会が一層充実

第11回(昭和4年)

同志社中 41-0 早稲田実南甲子園運動場

早稲田実は、けが人続出で決勝戦は14人で戦う。この年花園ラグビー場が完成。

第10回(昭和3年)

同志社中 11-0 天王寺中 甲子園球場

全国8地区に分け選抜方式で8チームが参加、同志社中は8度目の優勝

(昭和2年)

諒闇中止(大正天皇崩御のため)

第9回(大正15年)

同志社中 6-3 南満工業 甲子園球場

全国中等学校大会と改称、初めて5地区で予選を行う。準優勝の南満工業は満州よりの参加。

第8回(大正14年)

京一商 12-0 天王寺中 甲子園球場

京一商悲願の初優勝。天王寺中、北野中の大阪勢が初参加。

第7回(大正13年)

同志社中 6-0 京一商 宝塚運動場

同志社中5連覇の記録は現在も破られていない。

第6回(大正12年)

同志社中 14-0 立命館中 宝塚運動場

同志社中4連覇、 立命館中は初出場。

第5回(大正11年)

同志社中 6-0 京一商 豊中運動場

3年連続の同校による決勝戦は同志社中の3連勝。

第4回(大正10年)

同志社中 6-0 京一商 豊中運動場

サッカーのラインと間違ってトライする珍事もあった。

第3回(大正9年)

同志社中 3-0 京一商 豊中運動場

中学、高専、大学の大会に分けられ中学の参加は上記2校のみ。

第2回(大正8年)

三高 24-0 同志社中 豊中運動場

『日本フットボール大会』と改称 同志社は大学と普通部が参加。

第1回(大正7年)

全同志社 31-0 京一商 豊中運動場

名称は『日本フートボール大会』ラグビー式とアッソーシエーション式(サッカー)の二部門で行われる。 豊中運動場は現在の阪急豊中駅の西側にあった。

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