そもそもフォーク・ブームの火付け役となったのは、
1959年に開かれた第1回ニューポート・フォーク・
フェスティバルだと言われている。語源とその意味は明
確にはわからないが、何にせよ、ルーツはイギリスの民
謡や、アメリカ南部に伝わる民謡、そしてカントリー、
ブルースにも及ぶということらしい。
戦前から芸術家の卵や、文化人のたまり場となってい
たニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジを中心地とし
て、社会からの疎外感をもつ若者が、放浪の旅や、自由
な精神へのあこがれを歌にして表現したのがはじまりで
ある。
代表的なアーチストとしてウディー・ガスリー、ピー
ト・シーガーなどがあげられる。彼らの作品をみてもわ
かるように、フォーク・ソングの本当の基本は、その社
会的背景から来た歌詞にあると言える。
そんな中、1人の男がこのグリニッチ・ヴィレッジに
やって来たのだ!
◆ボブ・ディラン
♪BLOWIN' IN THE WIND
1961年、ミネソタからギター1本をかかえて、ウ
ディー・ガスリーに会うためにNYへと移り住む。後に
本人も“もし、ぼくがNYにやって来てなかったら、今
日やっていることも存在していなかっただろう。”と言
うくらい運命的な移住であったのだ。
そして、ヴィレッジの空気に触れたディランは本格的
にフォーク・ソングを次々とつくっていく。彼のつくる、
トピカル(時事ネタ)そしてプロテスト(抗議)の歌は、
若者たちの圧倒的な支持を得て、フォーク・シンガーの
プリンスとしてその名をとどろかせることになった。
この歌詞について、彼は“ぼくは君に首ったけ・・・
などという歌をつくっている人たちを非難する気はない
が、世界には恋やセックス以外にも重要なものがあるの
さ。”と語っていたそーです。ちなみに1941年生ま
れですから、この時は20才そこそこの若者でした。す
ごいしっかりしてはる。
そして、プリンスがボブ・ディランならばプリンセス
はこの人!
◆ジョーン・バエズ
♪BE NOT TOO HARD
ボブ・ディランと同じ1941年うまれ。1960年
にフォークシンガーとしてデビュー。彼と同様、プロテ
スト・フォーク・ソングをうたい人気を得る。
当時のマスコミはこの2人をモダン・フォークのプリ
ンスとプリンセスと呼び、若者たちは2大プロテスト・
フォーク・シンガーとして支持した。またこの2人はお
互いに影響しあい、協力しあっていたのだ。
1963年に行われた第3回のニューポート・フォー
ク・フェスティバルでの主役はこの2人だったし、同じ
年に起こった公民権運動のデモ(ワシントン大行進)に
はもちろんこの2人の姿があったのだ。
※公民権運動:マーチン・ルーサー・キング牧師を指導
者とした差別撤廃を求めた運動。
ともあれ、ボブ・ディランの登場と時代背景は、それ
までの民謡調のフォーク・ソングから、新しい感性や、
社会性を持つモダン・フォークへと変わっていったので
した。
このボブ・ディランとジョーン・バエズを核としたフ
ォーク・ブームですが、あまりにも政治色が濃いために、
ブームといっても、流行にはならなかったのです。だか
ら、ヒット・チャートを総ナメにするとか、とんでもな
い売り上げを記録するとかゆうものではなかった。
まぁ、例外としてPPMとかキングストン・トリオと
かのようにチャート入りを果たしたグループはあったけ
れど、これらのヒット曲は実はプロテスト・ソングでは
なかったのです。まぁ本人たちの活動から考えても、ヒ
ット・チャートをねらっているとは考えにくいですわ。
それではこの頃、どんな音楽がヒット・チャートを賑
わしていたのか?50年代からのロックン・ロールとビ
ーチ・ボーイズたちが流行させていたサーフィン・サウ
ンドなどもっぱら明るいモノだったのです。
ビーチ・ボーイズといえば海!海といえば西海岸。こ
れを見てもわかるように、60年代初期のアメリカでは
NYを中心とした知的なフォーク・ブームの東海岸と、
LAを中心とした健康的で明るいサーフィン・ブームの
西海岸というまったく相反するブームが存在していたの
です。
来週はその明るいブーム、サーフィン・ホットロッド
・サウンドのお話をします。
(次回は「サーフィン&ホット・ロッド・サウンド」)
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