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ドキュメンタリー「映像90ふつうのままで」ができるまで テレビ界のアカデミー賞と言われる国際エミー賞。そのドキュメンタリー部門で、日本の民間放送局で唯一、グランプリを受賞した経験を持つディレクターがいます。山と、鉄道と、立ち飲み屋を愛する彼が作品に込めた思いとは・・?

"オモロイ障がい者"という、新しい切り口との出会い

取材した藤本さん夫妻は共に脳性マヒで、夫婦二人だけでは生活できない状態でした。公的扶助の隙間を埋めるように、近所の人、高校生からおっちゃんまで色んな職業の人が出入りしながら、空いている時間にご飯を作ったり、子供の世話をしたりしていて、その中の一人が番組宛に手紙を送ってくれたのです。「この家は24時間ドアが開けっぱなし。一度見に来ては?」と。それで、一度覗いてみることにしました。

手紙を読んだときは漠然と"人と人とのつながり"みたいな番組になるだろうと思いました。「がんばる障がい者と支える善意ある人々」のようなパターン化されたものになるのはちょっと嫌で・・正直なところ、あまり乗り気じゃなかったのです。
でも、実際に夫婦と喋ってみて「あれ?」と思いました。夫婦、特に奥さんがあけすけに物を言う人で、冗談も飛ばすし、いわゆる「関西のオバチャン」という感じ。親近感を覚えました。この夫婦なら、「同情を引く障がい者の話」ではない新しい切り口にできるのではと思ったのです。

日常を見つめる

撮影に際しては、カメラの存在をいかに忘れてもらうかを意識していましたね。どうしてもカメラがあると思うと、「普段はこうやっている」といっても、できないものなので。
一緒に取材チームを組んでいた泉カメラマンは、その点で工夫を凝らしていました。
普通は肩に担ぐところを、カバンを持つように片手で抱えたり、夫婦から距離を置いて"見て見ぬふり"をして、2人にレンズを向けたり…。それはもう、涙ぐましい程でした。
この番組は、泉カメラマンのそんな撮影手法なしには出来ませんでした。
又、何も無い時にもできるだけ家に行って日常会話を撮りたいと思っていました。「さぁインタビューします!」と構えるのではなく、普段の、普通の暮らしを。例えばよく夫婦喧嘩をしては旦那さんが家を出て行くと聞いていたので、そういう瞬間を待っていました。

人の深みに触れる

妻の弘子さんは手足が不自由なので、スーパーに行っても自分では商品を取れません。近くにいる見ず知らずの人に「あの鰆取って!」等と声をかけます。すると周りの人は皆案外普通に取ってくれるのです。それは「そうしないと生きていけない」という彼女たちの言葉の通りで、むしろ「手足が動かなくても生きていける」という力強さに触れました。それは、当時の自分には想像もできないことでした。
でもあの夫婦にとっては、そうやって自己主張して人に助けてもらいながら他愛無い会話をし、酒も飲んで、ごく当たり前に生きているだけなんですよね。支える周りの人たちにとっても、それが日常。彼らに何の垣根も溝もないと気付いたときに、「あ、これって"ふつう"やん」と感じました。それでタイトルも「ふつうのままで」になったのです。
ドキュメンタリーは1~2ヶ月ずっと取材しているので、人の持つすごさや深みに触れ、畏敬の念すら抱くようになります。逆に、この人はすごいと心から思えないと、作り手のモチベーションは上がらないとも思います。

取材者こそ、自分をさらす

"取材する"ということは、相手に見られているということでもあります。嘘はすぐばれますしね。取材当時もあまり言葉で取り繕おうとせず「私はこういう人間。隠しません。」と人格のすべてをさらけ出すようにしていました。すべてのケースに当てはまるわけではないですが、藤本さん夫婦とはだんだん「タメ口」で話すようになっていきました。ご夫婦の方が少し年上なのですが、あんまり丁寧な言葉を使わなくてもいいな、と感じたのです。質問するときも「きょうは何をしているのですか?」ではなく「今日のおかず、何なん?」と聞くほうがしっくりきました。取材時間に遅れてしまったりする自分のおっちょこちょいなところも、隠しませんでした。ご夫婦とは今も交流があって会社に来られたりご自宅に伺ったりしますが、完全にタメ口です(笑)

自分の"面白い"を忘れないで

報道番組を作る上での「社会性」というものは必要だけど、最初のモチーフ、きっかけはとても個人的な興味から始まることが多く、むしろその方が強いと思っています。この番組も、お会いしたときに「この夫婦、きっついな・・」と思っていたらとても2ヶ月も付き合う勇気は出なかったでしょうし、「この人面白い!」と思えたからこそ、取材ができたと思います。
ものづくりに情熱を持っている学生に来てもらうには、会社が変わらねばならない部分もあると思っています。若い人がリスクをとって面白いことにチャレンジできる土壌をつくるのが、われわれの役割だと感じています。 そして、いったんテレビを目指すのなら、人と同じことをして評価されようとしてこぢんまりまとまるのではなく、「面白がる気持ち」を大事にして欲しいです。面白いということは遊びとはまた違うニュアンスで、面白いと思える仕事を目指して欲しい、という意味です。20歳くらいの若い人たちが持っている「何かをしたい」という思いを、せめて20代のうちはずっと持ち続けていて欲しいです。すると、どこにいてもそういう仕事に出会える気がします。 会社に入ることそのものを大きな目的にしすぎないで。自分を会社に合わせないで。飛ばされて飛ぶグライダーではなく、自分のエンジンで飛べる飛行機のような存在で居て欲しいです。

★「ふつうのままで~ある障がい者夫婦の日常~」作品のあらすじ★

主人公は、奈良市に住む、藤本隆二(たかじ・39歳=当時)さんと、妻の弘子(42歳=当時)さん。ともに脳性マヒで重い障がいがある。二人は、各々の両親の「家庭生活など無理だ」という反対の声の中、結婚し、子供をもうけた。
"このまま一人でいれば、一生を家の中で終わらせることになる"と考えた上での、自立への決断であった。
「障がい者は自己主張しないと生きていけない」と話す二人は、屈託がない。弘子さんは、手足が全く動かないが、口で、電動車イスを操って、スーパーへ行く。「そこの鰆をとって!」と、通りかかる人にお願いする。一瞬びっくりするが、それに応じる人たち。また、夜間中学への通学途上では、道ゆく人に次々と声をかけ、「車イス押して!」と頼む。夫の隆二さんは、「誰でも、いつでもいいから家に来て下さい」と書いたビラを、駅前で配る。藤本家に出入りする高校生、大学生、主婦、おじさん達は、そんな二人を特別扱いすることなく、ごくふつうに接する。藤本夫婦は、これら周囲の人々から力をもらう。が、同時に、周りの人々も、この二人から生きる力をもらっている。(1999.4.18放送)

★MBSドキュメンタリー「映像」シリーズについて★

「映像'15」は、1980年4月に「映像80」のタイトルでスタートした関西初のローカル・ドキュメンタリー番組です。月1回、それも日曜日深夜の放送という地味な番組ながら、ドキュメンタリーファンからの根強い支持を頂いており、放送開始から30年が過ぎました。
この間、番組は国内外のコンクールで高い評価を受け、芸術祭賞を始め、日本民間放送連盟賞、日本ジャーナリスト会議賞、更にはテレビ界のアカデミー賞といわれる国際エミー賞の最優秀賞を受賞するなど、輝かしい成果を上げてきました。また、こうした長年にわたる地道な活動と実績に対して、2003年には放送批評懇談会から「ギャラクシー特別賞」を受賞しています。 これからも「地域に密着したドキュメンタリー」という原点にたえず立ちかえりながら、より高い水準の作品をめざして"時代を映す"さまざまなメッセージを発信し続けてまいります。 「映像」番組サイト:http://www.mbs.jp/eizou/

★MBSの国際エミー賞受賞歴★

1966年 「源氏物語」 フィクション部門入賞
1969年 「日本音楽の生と死」 ドキュメンタリー部門入賞
1998年 「金閣寺音舞台」 パフォーミングアーツ部門入賞
1999年 「ふつうのままで」 ドキュメンタリー部門グランプリ
2000年 「1万人の第九」 パフォーミングアーツ部門入賞
2001年 「生まれくるわが子へ」 ドキュメンタリー部門入賞
2001年 「ヨーヨーマin東大寺」パフォーミングアーツ部門入賞