京都 町家 徒然散歩


かつて応仁の乱に山名宗全が陣をかまえたことから発した西陣。織物の町として栄えたこの町も、着物離れ・職人の高齢化などから少しずつ過疎化が進んでいました。そんな中、1995年に"ネットワーク西陣"という組織が発足しました。空き町家や空き工場の有効活用を促進する事が目的のグループでした。その活動をきっかけに、多くのアーティスト達が職住一体の機能(LIVE & WORK)を持った町家に興味を示し入居を始めました。その数は130件以上にも至り、彼らの作品展が開催されました。その活動はやがてニューヨーク州ピークスキル市との交流に発展し、現在は住民レベルでの国際交流にまで至っています。
その活動の火付け役となったのが、佐野充照さんと、その相棒のフリーカメラマン小針剛さんでした。
佐野充照さんに、それらの活動を通して入居したアーティストの活動やエピソード、町の風景などを織り交ぜて、お話を聞いていきたいと思います。

 第15回『大家さんからの申し出』




「空家を持ってるんですが、貸してもいいんですけど」

という大家さんが現れた。

現在、町家倶楽部ネットワークの理事をしていただいている福田さんだ。

 奥様の実家で、両親は長男に引き取られ、静岡に行ったとのこと。空家にしておくのももったいない。自分が育った家でもあり、大事に使ってほしいんですが。

「何故、私たちをお知りになったのですか」

「毎日、仕事に行くのに、ぷーらの前を通るんですよ。空家だったところがあんなにきれいに使われていて、娘もこの活動については新聞とかで知ってたもんで」

と、いつの間にか、知らないうちに社会的信用がついてきていたのである。現在、そこには、スティールアーティストの菅原が住んでいる。

ここと天然酵母の「ベロのパン」は、大家さんと店子の暖かい交流物語として某放送局で放映され、全国から訪ねてくる人が絶えなかったというエピソードをもつ。(ぷーらは、現在、お店ではなく、住居になっている。ベロのパンは、ロンドンに移住している)

しかし、マスコミの報道は、もろ刃の剣であり、私たちの活動を有名にはしたが、誤解されて情報が伝わったり、口コミされてゆくうちに内容が変わったりした。

また、問い合わせの電話やファックスが某放送局にジャンジャンかかる、京都市役所にも問い合わせがくる、西陣織工業組合にもかかるという具合で、こちらの携帯電話にもかかってくる、自宅にもかかってくる、訪ねてくるという、とんでもないことになった。

以前から新聞や雑誌、民放などで取り上げられた時に経験ずみだったから対応できたものの、初めてだったら、マスコミぎらいになっていたかもしれない。

地方の人は、役場に電話する感覚で京都市役所に問い合わせをするものだから、政令指定都市がいかに複雑な行政機構を有しており、縦割り行政であるかを知らないらしく、市役所の代表番号からいろんな部署に回されたあげく、西陣織工業組合にふられ、ようやく私たちに繋がるという具合。

混乱を避けて、わざわざ電話番号を伏せ、問い合わせができないようにしたのだが、それが裏目に出て、京都市役所や西陣織工業組合にまで迷惑をかけることになり、問い合わせをしてきた本人からは、

「京都って、ほんと他所ものに閉鎖的なんですね」

と、開口一番言われたりしたもんだ。そして、

「単なる物件紹介所ではありませんから」

と、私たちの説明をしなければならず、説明だけでも、もうなん百回もしてきて、疲れている上に、家賃や空き状況を尋ねてくる人たちに

「すみませんが、それにはお答えできません。」

と言おうものなら、ここまで辿り着いた苦労をはどうしてくれるんだと、私たちの所為のように、憤慨されるのである。

そういうこともあって、情報の一本化をはかるため、「町家倶楽部ネットワーク」を立ち上げたのだが、それだけの理由で立ち上げたのではないので、それについては、詳しく後述するつもりだ。

記:佐野充照

■佐野充照(さの じゅうしょう)
法華宗僧侶。本門法華宗妙蓮寺塔頭円常院住職。
住職の仕事をするかたわら、「町家倶楽部ネットワーク」の代表としても京都の町家
を活用していく取り組みをおこなっている。

人と人、人とモノ、人とまちを結ぶ仲人「町家倶楽部ネットワーク」
http://www.machiya.or.jp


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