京都 町家 徒然散歩


かつて応仁の乱に山名宗全が陣をかまえたことから発した西陣。織物の町として栄えたこの町も、着物離れ・職人の高齢化などから少しずつ過疎化が進んでいました。そんな中、1995年に"ネットワーク西陣"という組織が発足しました。空き町家や空き工場の有効活用を促進する事が目的のグループでした。その活動をきっかけに、多くのアーティスト達が職住一体の機能(LIVE & WORK)を持った町家に興味を示し入居を始めました。その数は130件以上にも至り、彼らの作品展が開催されました。その活動はやがてニューヨーク州ピークスキル市との交流に発展し、現在は住民レベルでの国際交流にまで至っています。
その活動の火付け役となったのが、佐野充照さんと、その相棒のフリーカメラマン小針剛さんでした。
佐野充照さんに、それらの活動を通して入居したアーティストの活動やエピソード、町の風景などを織り交ぜて、お話を聞いていきたいと思います。

 第14回『西陣の代表的な三上家路地に拠点』



10月の7日〜14日
ライトアップされる予定の
紋屋町三上家路地

陶芸家のアトリエ前

写真家の家の前
 妙蓮寺で毎月12日に開催している手作り市・フリーマーケット「西陣楽市楽座桃山文化村」の会場に染めの作家さんが私を訪ねて来た。従業員の作家が住む家を探しているとのこと、できれば工房も移転したいと。

 工房移転の候補地はなかったのだが、ちょうどいい時期に、あの有名な三上家路地に、また空物件が出たのである。というか、大家さんから、申し出があったのだ。大家さんから声が掛かるというのは、嬉しいことだ。そこには、信用関係というか、信頼関係が出来つつあるということだから。

 最初に、仮住まいをしていた知人が、「もうすぐ出るから、空くよ」といってくれたのがきっかけで、大家さんとお会いし、「是非貸してくれませんか」とお願いした。大家さんは、傷んでいるので、もう貸さない方向で、考えておられたのだが、借り手が修理を行い、住みやすいように改修するという条件で、そこには、陶芸家が住むことになった。

 それがきっかけで、次には、版画家が借りることが出来た。そして次に舞い込んだのが、この話だった。

 三上家の2階の下宿と空き物件1軒を彼が借りてくれて、職人作家の女性が2人住むことになった。

 その1人が、今は、写真家として雑誌などの紙面を撮影しているなっちゃん。

彼女が写真家としてデビューするまでの染め職人としての努力や先生の指導については、町家倶楽部ネットワークのフリーペーパー「じんじんじん」に本人の談話が載っている。(もう手に入らないフリーペーパー)

三上家路地

ここは、西陣が度重なる戦乱で荒廃した後、西陣復興の中心的産地として栄えた紋屋町にある。

紋屋町は、6軒の高級織物商が営んでいた地で、宮中から発注を受けた場合、かがり火を焚いて、昼夜を分かたず機を稼動させたそうだ。

紋屋井関家とか紋屋三上家といわれるように、紋屋を屋号とする家が多く、西陣だけでなく全国の織物業に影響を与えた由緒ある地である。

現在、今もこの地に残っているのは、紋屋三上家だけであり、三上家路地は、両側に職人長家が連なる西陣の代表的な路地である。

最近では、テレビドラマや映画の撮影に使われ、雑誌の表紙を飾ることもあって、有名になっている。

このような場所に町家倶楽部ネットワーク関係のアーティストたちが数多く住むことになったのも、やはり人と人のつながり、コミュニティーを大切にする活動が大家さんに認められた結果といえよう。



ちなみに紋屋井関家は、分家して、ちらばってしまっているが、御先祖の墓と3井関家が現在も私の寺である円常院の檀家であるというのも奇縁である。

そして、現在も「紋屋井関」の屋号で西陣織りに従事しているのである。

記:佐野充照

■佐野充照(さの じゅうしょう)
法華宗僧侶。本門法華宗妙蓮寺塔頭円常院住職。
住職の仕事をするかたわら、「町家倶楽部ネットワーク」の代表としても京都の町家
を活用していく取り組みをおこなっている。

人と人、人とモノ、人とまちを結ぶ仲人「町家倶楽部ネットワーク」
http://www.machiya.or.jp


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