京女、まことちゃんが行く!


京都で現役祇園芸妓ヴォーカリストとして活躍する"MAKOTO"がお届けする京都コラム。


 第7回『住み込む』



中学を卒業して みんなと違う道を選び
桜が咲こうとする季節に
祇園の置屋さんに住み込む事となりました。

私がお世話になった置屋さんは 一人部屋を下さいました。
っと いいましても 京間の六畳を縦半分にした
細長い部屋に 鏡台、タンス、押し入れという感じ。
しかし、京間の半分は 今でいう四畳半くらいはある。

音楽好きの私はラジカセと洋服を持っての
置屋さんライフの始まりとなった。

最初は 家のお掃除を手伝ったり おつかいに行ったり
お姉さんのお部屋で 白粉を塗らはる所を見せて頂きながら
「ビラ」という銀の簪を磨かせてもらった。 
男衆さんが着付けに来られた時に は  紐を持って 着付けの
順番通りに渡せる様 ちょっとした助手の役割も覚えた。

そして お姉さんが お花(お座敷)に行かはる時には
お茶屋さんまでついて行って「いっといでやす、姉さん」っと
お見送りしつつ お茶屋さんの場所を覚え、そして尚かつ
お茶屋さんのお母さんに どこどこの仕込みさん と覚えて
頂けるようにしたものです。

私がお世話になった置屋さんは
元々はお茶屋さんしかしていなかった。
しかも、お母さんはお嫁さんに来てからこのお商売についた方でした。
もちろん「お姑さん =“大きいお母さん”」もいらっしゃいましたし
お母さんのご主人は私達にとって“お父さん”でした。

置屋さんの形は それぞれの置屋さんで異なります。
こういう 家族の形態は珍しいでしょうね。

お陰様で すぐにその家族に入り込んで
食べ物の好き嫌いでは 時々わがままも言いました。
しかし、お母さんには二人の息子さんがいらしたせいか
ご飯の量が大きかったのは忘れられません。
四苦八苦して食べきったものです。

お姉さんはお座敷の前にご飯を食べて出ていかれます。
お花をきいている時間(予約の時間)の10分前には
お茶屋さんに着いておきたいという暗黙の了解の中で
ご飯は なかなか凄まじいスピードで食べておられました。
給食を6時間目までかかって食べていた記録を持つ私は
そのスピードにはついて行けず 仕込みさん時代
お姉さんをお送りしてからご飯を食べる様にしていました。

そのうち ちょっとづつスピードアップ。
これも お稽古???(笑)

記:MAKOTO


※祇園甲部(ぎおんこうぶ)
祇園における八坂神社より西側を花見小路通で分けた南北に走る4分割の北東の一画を祇園東と呼び、それ以外を祇園甲部と称す。

MAKOTO
photo by Yuto HIRAKAKIUCHI
■プロフィール"MAKOTO"
生粋の京都生まれの祇園芸妓。幼少の頃より洋楽に親しみ、16歳で祇園の舞妓「真箏(まこと)」(祇園甲部歌舞会所属)となり、21歳で芸妓に成る。平成13年に「井上流の名取り」となる。
2001年に「MAKOTO」は北島健二をプロデューサーに迎え、自身のオリジナルアルバム「MAKOTO」でトライエムよりメジャーデヴュー、翌年2002年1月には藤井フミヤ、尚之兄弟の作品で初マキシシングル 「MINE」を発表、5月には織田哲郎作曲でセカンドマキシシングル「SPRING MUSE」6月にセカンドアルバム 「To be or not」を発表。
2002年7月〜9月、京都のエフエム局アルファステーションのイメージアーティスト としてラジオのパーソナリティを担当。
現在「真箏」として伝統芸能の習得に日々精進をしつつ、なおかつアーティスト「MAKOTO」では京都を中心としたライブ活動や当エンターティンメントサイトの立ち上げ、運営なども手がけ、さらに文化人として各種出版物にコラムを執筆したり、講演活動などにも精力的に参加している。

MAKOTO
http://www.fan-g.co.jp/makoto/
真箏
http://www.chimalabel.com/


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