京女、まことちゃんが行く!


京都で現役祇園芸妓ヴォーカリストとして活躍する"MAKOTO"がお届けする京都コラム。


 第3回『置屋さんの面接』


今では、時々ドラマや映画で芸者さんの物語りなどが描かれている。
最近ではドキュメンタリー番組も頻繁に…。

私が中学生の頃は、そういう番組を目にした事は無かった。
という訳で『置屋さん』なる所は今ひとつ想像の出来ないところ。

父のお店のお客様がご贔屓にされている芸妓さんに 「舞妓さんになりたい言うてる娘っ子がいる」とお伝え下さり、そのお姉さんのご紹介で『置屋さん』を訪れました。

祇園町北側にある置屋さん、パッとみたところ町家という佇まいではありませんでしたが、レトロとか昭和前半という言葉の似合うお家。
でも、サンドバッグが吊ってあった(笑)
置屋さんのお母さんには二人の息子さんがおられてお一人は学生時代に柔道をされていたからだ…と思う。

それはさておき、初対面という事で、たぶん、私なりにお洒落をしていったのだろう…。

今でも、置屋のお母さんは私の第一印象を語る。
「こーんな、つばの広いお帽子をかぶってきてなんと、洒落た子やろ〜〜!」っと。

別に不良だった訳でも無かったのですが、中学時代の親友の2つ歳上のお姉ちゃんに憧れ、当時私と親友の髪型はワンレンだったのです(笑)

その頃「舞妓さんになりたい!!!」と置屋さんに来ている女の子達(“仕込みさん”という)はそんなにハイカラでは無く、主にトレーナーにズボンかスカートと非常にコンフォーーータブルな装いの上、どっちかというともっさりした感じが多かった。
そんな訳で、お母さんは私のお帽子にビックリされたそう(笑)

がしかし、そんなお母さんも実はJAZZやミュージカルが大好きなハイカラさんなので「ちょっと、今までの子とは違うなぁ〜〜っ」と苦笑いで受け入れて下った様。

年期奉公などのお話を聞かせて頂きましたが、私はまだ中学2年生だったので「4月は“都をどり”もある事やさかい、次の春休みにお手伝いに来てみたらどうえ〜〜」っと言って頂き、後々に一緒に住むこととなる先輩『真季さん姉さん』をご紹介頂いた。

超、明るい真季さん姉さんは、今までの人生に出会った女性の中で“最強”にオモシロい人だった。
勿論、初対面では緊張しましたが、家の中の事やお稽古の事、この置屋さんを卒業されたお姉さん方の話など親切に教えて下さいました。

一応、私の面接は無事に済み、なんしか、お母さんもお姉さんも楽しい方々でアットホームな置屋さん。

この面接時点で、私がちょっと違う子というのを認識していただいていたのでしょうね(苦笑)

今の私があるのはここの置屋さんとのご縁があったから、としか言いようが無く、ローマ字の『MAKOTO』が生まれたのもここに来たからだといえる。

記:MAKOTO



MAKOTO
photo by Yuto HIRAKAKIUCHI
■プロフィール"MAKOTO"
生粋の京都生まれの祇園芸妓。幼少の頃より洋楽に親しみ、16歳で祇園の舞妓「真箏(まこと)」(祇園甲部歌舞会所属)となり、21歳で芸妓に成る。平成13年に「井上流の名取り」となる。
2001年に「MAKOTO」は北島健二をプロデューサーに迎え、自身のオリジナルアルバム「MAKOTO」でトライエムよりメジャーデヴュー、翌年2002年1月には藤井フミヤ、尚之兄弟の作品で初マキシシングル 「MINE」を発表、5月には織田哲郎作曲でセカンドマキシシングル「SPRING MUSE」6月にセカンドアルバム 「To be or not」を発表。
2002年7月〜9月、京都のエフエム局アルファステーションのイメージアーティスト としてラジオのパーソナリティを担当。
現在「真箏」として伝統芸能の習得に日々精進をしつつ、なおかつアーティスト「MAKOTO」では京都を中心としたライブ活動や当エンターティンメントサイトの立ち上げ、運営なども手がけ、さらに文化人として各種出版物にコラムを執筆したり、講演活動などにも精力的に参加している。

MAKOTO
http://www.fan-g.co.jp/makoto/
真箏
http://www.chimalabel.com/


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