京女、まことちゃんが行く!


京都で現役祇園芸妓ヴォーカリストとして活躍する"MAKOTO"がお届けする京都コラム。


 第2回『舞妓さんになるには?』


当時ロック好きで、ロックを歌っていた私。
幼少の頃に見た“夢”『舞妓さんになるコト』っを実現するために、まだどこの置屋さんに置いて頂けるか解らないにも関わらず、「やりたい!!」っと思うと、すぐにそれに携わりたい行動派。
うーむ、この頃から既にアクティブ!(笑)

まず、何が必要なのか??
祇園の舞妓さんになるには「井上流」の舞(※1)を覚えなければならない。
そんな時、ただのLuckyとしかいえませんが下鴨中学時代の仲良し"めーちゃん"が、お嬢さん芸としてお稽古していたのだ!!
めーちゃんのお母様にご同行して頂き、お稽古場へ行く。

古いお家の佇まい、日本家屋というのでしょうか、住宅街とは違う風情がそこにはあった。

まるでドラマ?!
お師匠さんの口三味線でお稽古されてる人が目に映る。

いつもよりちょっと良い服を着た私、畳の上に座ってご挨拶。
そして、舞妓さんになりたくて、置屋さんは未だはっきりと決まっていませんが 「とにかく お稽古を始めたい」という意志を母が伝えてくれた。

あまりよく覚えてはいませんが、今でもずっとお稽古して頂いている現御家元様に「お見かけしたところ、普通のお嬢さんですし焦って舞妓さんになると決めはらへんでもええと思います…。もし、どうしてもと思わはるんでしたらお嬢さん稽古として、お稽古させて頂きます。」と言って頂いた事だけは覚えている。

その頃、その意味はよく解らなかった。

とにかく、初めたくて仕方のない私。「入門入門!!着物〜!!!」と、とにかくウキウキだった。


おいどをおろす
そして、初のお稽古。
同級生のめーちゃんと一緒に祇園のお稽古場に向かう。

まずは長年習っているめーちゃんが難しそうな舞をお稽古してもらっていた。そして私。
『門松』(※2)という最初に習う舞の4分1くらいを習った。
ほとんど中腰で舞を舞うので、変な汗が出て足がブルブル震えた。
「なんてしんどいんやろ」と心の中でつぶやく。
二回目のお稽古では、あまりにも足がガクガクに震え途中座り込んでしまったくらい。

それでも、腰をおろす事は諦めずに頑張って踏ん張った。
腰をおろす事を「おいどをおろす」と言いますが、足の痛さからいうと"カラ椅子状態"という感覚ですね。

当時から割と凝り性だったみたいで、毎日家でおいどをおろす練習をしていた。
そのうちにその形が苦痛では無くなってきて、今では「伸びなさい」っといわれるコトもしばしば(笑)

そんな中、具体的に置屋さんを紹介してもらえる!!
っというお話がやってきた。
記:MAKOTO


※1
井上流のおどりは「踊」とは言わず「舞」と言う。"舞"は座敷舞を主眼としたもので、腰から上の動きにより表現するものだと言われている。対して"踊"は足の活発な動きのあるものとされている。

※2 門松
井上流での習い始めの曲。その後「松づくし」「菜の葉」「七福神」「四つの袖」「黒髪」…と進む。


MAKOTO
photo by Yuto HIRAKAKIUCHI
■プロフィール"MAKOTO"
生粋の京都生まれの祇園芸妓。幼少の頃より洋楽に親しみ、16歳で祇園の舞妓「真箏(まこと)」(祇園甲部歌舞会所属)となり、21歳で芸妓に成る。平成13年に「井上流の名取り」となる。
2001年に「MAKOTO」は北島健二をプロデューサーに迎え、自身のオリジナルアルバム「MAKOTO」でトライエムよりメジャーデヴュー、翌年2002年1月には藤井フミヤ、尚之兄弟の作品で初マキシシングル 「MINE」を発表、5月には織田哲郎作曲でセカンドマキシシングル「SPRING MUSE」6月にセカンドアルバム 「To be or not」を発表。
2002年7月〜9月、京都のエフエム局アルファステーションのイメージアーティスト としてラジオのパーソナリティを担当。
現在「真箏」として伝統芸能の習得に日々精進をしつつ、なおかつアーティスト「MAKOTO」では京都を中心としたライブ活動や当エンターティンメントサイトの立ち上げ、運営なども手がけ、さらに文化人として各種出版物にコラムを執筆したり、講演活動などにも精力的に参加している。

MAKOTO
http://www.fan-g.co.jp/makoto/
真箏
http://www.chimalabel.com/


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