• 出張料理人・小暮剛
  • 2009年5月22日(金)
  •  人物を評する言葉には、即効性のあるものと、あとからじわじわと効いてくるものとがある。


     寸鉄人を刺す辛口評や、思わず「うまいこと言うねえ」と膝を打ちたくなるようなものは前者――いわば、そのひとのことを一言でバシッと言い切って、フレームをつくってしまうわけだ。


     一方、最初はどうということがなくても、じわじわと存在感を増してくる言葉は、ミステリー小説のみごとな伏線のように、むしろ物語が終わったあとで「まいったね……」と大きくうなずきたくなるものである。


     どちらが正しいのかは、もちろん、誰にも決められない。ただ、僕も物語の語り手として日々実感しているのだが、どちらが難しいかと言えば、それはもう、間違いなく「じわじわ」のほうなのである。


     4月12日オンエアの出張料理人・小暮剛さんの回は、まさに、その「じわじわ」の心地よさに満ちていた。

     小暮さんが料理を学んだ大阪の調理師学校の恩師は、小暮さんのことを「決して器用ではなかったが、とにかく真面目だった」と評した。決して耳目を惹くような派手な言葉ではない。優秀だった卒業生を語るにあたっては、平凡きわまりない一言である。

     正直言って、拍子抜けした。この程度の答えをわざわざ残しておく必要はないような気もしていた。

     ところが、物語が進むにつれて、じわじわ、じわじわ、じわじわ、と恩師の言葉が耳の奥で大きく響きはじめる。

     自分の店を持たず、料理人としての腕だけを頼りに生きていく――そのプロフィールだけを見れば、もっと強気で、もっとクールで、もっとスマートにたちまわる姿を、つい想像してしまう。涼しい顔をしてスゴい料理を魔法のように次々に出してくる天才肌の姿が、つい浮かんでしまう。

     だが、そうではなかった。現実の小暮さんは汗びっしょりになって料理をつくっていた確かに料理人としての腕前は超一流なのだとしても、決して万事をさらりとこなしてしまうタイプではないのだろう。イタリアまで招かれての出張料理も、危うく大失敗に終わってしまうところだった。小学校の給食メニューを考えるときも、現場の栄養士さんとの間に微妙な摩擦が生まれ、子どもたちの反応を少々気弱そうにうかがう。だからこそ、料理を食べたひとの顔がほころぶと、小暮さんもまた満面の笑みを浮かべるのだ。

     不器用。真面目で、一所懸命で、一途。

     要するに誠実なのである。

     最初はコワモテだった小暮さんの笑顔がどんどん優しく感じられるようになってくると、紋切り型の褒め言葉のようにしか思えなかったあの一言もまた、響き方が変わる。番組の最後には「小暮さんを評する言葉は、これしかないじゃないか!」というかけがえのない強さをもって胸に迫ってくる。

     おそらく、番組のスタッフには自信があったのだろう。小暮さんの人となりは即効性のある強い言葉をつかわなくても、あの汗がすべてを語ってくれるはずだ、と。

     ならば言葉は最小限のものでいい。じっくり、ゆっくり、だからこそ深く、胸に染みていけばいい。まったくもって、そのとおりになった。伏線がみごとに効いて、心地よい「じわじわ」が堪能できた。

     ほんとうに大切な言葉は、じつはさりげなく置かれている。そして、自信のない言葉にかぎって、ひとは大きな声で、大げさに語りたがる――これって、なにも人物ドキュメンタリーだけの話ではないんだよね。

    出張料理人・小暮剛篇(2009年4月12日放送)

1963年3月6日、岡山県生まれ。
早稲田大学教育学部卒。
出版社勤務を経て田村章など多数のペンネームを持つフリーライターに。
91年『ビフォア・ラン』で作家デビュー。
99年『ナイフ』が坪田譲治文学賞、『エイジ』が山本周五郎賞を受賞。
『ビタミンF』で第124回(2000年/下半期)直木賞を受賞。
小説作品に『定年ゴジラ』『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『カシオペアの丘で』他多数がある。また『世紀末の隣人』『ニッポンの課長』などのルポルタージュ作品もてがける。
近著に『星をつくった男 阿久悠と、その時代』『十字架』『峠うどん物語』がある。