放送ライブラリ
≫2010年6月20日(日)の放送映像
抵抗の涯てに ~写真家・福島菊次郎の“遺言”~
一人の老写真家がいる。福島菊次郎、89歳。
二等兵として敗戦を迎えた彼は、42歳のとき、家庭を捨てて上京し報道写真家になった。その後、反動化する世相に絶望して瀬戸内海の無人島で暮らしたこともあったが、いまは故郷、山口県内の安アパートの一室で、日本の戦後を問う「遺作」を執筆している。彼は言う___「戦後の日本は何一つ問題を解決していない」と。
ひとりで時代に抗ってきた写真家は何を伝えようとしているのか。
編集後記
本編映像を見終わってからご覧ください。
「映像」シリーズで福島菊次郎さんのことを取り上げるのは、2回目だ。
1997年1月に「孤り高く~反骨の写真家・福島菊次郎」というタイトルで先輩ディレクターが取材して以来、実に12年ぶりのことだ。
取材のきっかけは2009年6月、福島さん本人からの取材依頼による。「戦後日本が人権を蔑ろにしてきた実態を、写真を武器に告発してきたが、憲法を変えることができるような法律が着々と準備されつつある今、もう一回しゃべっておきたいことがある」というものだった。
すぐさま、山口県柳井市にある六畳一間のアパートに福島さんを訪ねた。その後、断続的に取材を続け、放送までにはおよそ1年の歳月がかかった。
12年前と比べ、福島さんの「老い」は誰の目にも明らかだ。とくに視力の衰えはいかんともしがたく、写真家としては「引退」同然だ。そのかわり、自分がこれまでの取材・撮影の現場で見聞きし、感じたことを文字として刻み一代記の出版を目指していた。福島さんいわく「これが自分の遺書です」。
取材は「遺書」を作成する福島さんの日々を追いつつ、その節目、節目で語られる福島さんの言葉を丁寧に記録していくことに主眼を置いた。それが、福島さんのまぎれもない「遺言」であることを明確に意識しながら・・・。
取材中、一度だけ「写真家・福島菊次郎」の片鱗がうかがえるような出来事があった。過去に何度も通った米軍・岩国基地の一般開放にもう一度出かけたいと言う。それもカメラ持参で行くという。カメラを持つと福島さんは人が変わったように動きがすばやくなる。被写体を狙う眼光も鋭い。この動きが、この目の光が、戦後日本のさまざまな歪みを「可視化」させてきたのだと、改めて思った。
番組終了後、福島さんとはあまり連絡を取っていない。息災にされているだろうか。多分いまも「自分はあと1年の命」と言いながら、もうだいぶん長くなった「遺書」の続きを書いていることだろう。
次回予告
≫次回放送は5月20日(日) 24時50分~25時50分

老いを支える ~フィリピンから介護の現場へ~
「映像'12」は、1980年4月に「映像80」のタイトルでスタートした関西初のローカル・ドキュメンタリー番組です。月1回、それも日曜日深夜の放送という地味な番組ながら、ドキュメンタリーファンからの根強い支持を頂いており、放送開始から30年が過ぎました。
この間、番組は国内外のコンクールで高い評価を受け、芸術祭賞を始め、日本民間放送連盟賞、日本ジャーナリスト会議賞、更にはテレビ界のアカデミー賞といわれる国際エミー賞の最優秀賞を受賞するなど、輝かしい成果を上げてきました。また、こうした長年にわたる地道な活動と実績に対して、2003年には放送批評懇談会から「ギャラクシー特別賞」を受賞しています。
これからも「地域に密着したドキュメンタリー」という原点にたえず立ちかえりながら、より高い水準の作品をめざして“時代を映す”さまざまなメッセージを発信し続けてまいります。