『サントリー1万人の第九』の1983年の誕生以来、世界でも類を見ない大規模な合唱コンサートとして感動をつないできました。普段はさまざまな仕事をしている一般の人々が1年1回、大阪城ホールに集い、第九の感動を分かち合う。人と人が歌を通してひとつになれることを体感する。そして、日常のささいなしあわせ(=FREUDE)に感謝できる。そんな1年1年の歓喜の軌跡がここにあります。

1983-1990
1万人の誕生

「大阪21世紀計画」の賑わい拠点となるべく誕生した大阪城ホール(=1983年)。その完成記念として「大阪城ホールの完成は年末。
年末といえば第九。いっそ1万人で第九を歌うのはどうだろう?」―そんなアイデアから『サントリー1万人の第九』は産声をあげました。
当時のサントリー社長、故・佐治敬三がクラシックファンであったことも手伝い「面白い企画ですね」と快諾。
ご本人も1万人のひとりとして、合唱に参加していました。当時のコンサートタイトルは『サントリーオールド 1万人の「第九」コンサート』。
当時のシンボルマークの入った楽譜を今も大切に使っている人もいます。

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1991-1998
1万人の響へ

第9回となる1991年からはイメージを一新。
“響”の文字をシンボライズしたサントリーのコーポレートマークを使ったロゴが生まれ、タイトルも『サントリー1万人の[第九]コンサート』へ。
人と人の響きあいをメッセージの核としてスタートしました。時は20世紀末、この時代は、様々な天災や事件が相次ぎました。
とくに1995年の「阪神・淡路大震災」では1万人の合唱団の参加者も多数被災、コンサートを開催すべきかどうかも議論されましたが、地元から元気を出していこうとの思いから「鎮魂・復活・希望」をテーマに開催。
以降、アジアからアーティストやソリスト、ヨーロッパからも合唱団を招聘するなど、世界を視野にパワーアップしていきました。

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1999-2007
チャレンジの時代

「21世紀まで続けよう」と継続してきたこのイベントも世代交代の時期に。
名指揮者・山本直純に代わって、白羽の矢が立ったのは当時37歳だった佐渡裕。
当時すでにヨーロッパの名門オケを指揮していた佐渡は、主催者サイドのラブコールに対して「1万人まとめるなんて、無理だ!」と逃げ回っていました。
しかし、「1回だけ」のつもりで引き受けた1万人の第九に眠る可能性は彼の想像をはるかに超え、コンサート後には例えようのない幸福感があったといいます。
以降、ユースオーケストラを作ったり、東京クラスを新設したり、ホームページの交流サイト「佐渡裕と1万人の交換絵日記」を立ち上げたり。
親しみやすい佐渡の人気と共に、キッズや若い世代の参加者も増えていきました。

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2008-2012
歌のある星へ

四半世紀(25年)を繋いできた第九は、さらに新しいステージへと進化。
2008年からは「歌のある星へ」のテーマを設け、歌が人に与えるチカラを切り口にコンサートが展開されていきました。
特に、槇原敬之×1万人のコラボによる『世界に一つだけの花』では、ひとりひとりの力強い歌声が響き、スタンディングオベーションで会場が沸きました。
また、次の年には平原綾香が「第九・第三楽章」に日本語詞をつけるという前代未聞のチャレンジも。
人と人のつながりの尊さを歌ったその曲は、図らずも、東日本大震災を経験した日本人の心に寄り添う曲となり、2011年にもう一度、大阪城ホールのステージから日本全土の人たちに歌声を届けました。

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2013-
10000FREUDE

30年の歴史を経て、「より深く」「より広く」磨かれていく時期です。
世界からも認識しやすい新ロゴ「10000FREUDE」を旗印に、音楽的なクオリティをさらに深めようと、大阪城ホールを横型から縦型のステージに大改革。
また、第二部・第九合唱の冒頭にシラーの詞「歓喜に寄せて」の朗読を組み込みました。
司会者に羽鳥慎一を迎え、日本中によころびを広げます。
2014年は、東京クラスを増設、名古屋クラスを新設。続いて、2015年は、北海道クラス、沖縄クラス、宮城クラス、奈良クラスがスタート。

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