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おいらはボイラー

2017年7月28日

こじゃれた「アロマディフューザー」が

欲しいなぁと思っておりまして、

会社の近くのおしゃれな雑貨店で

ディフューザーの前に立って、

じっとにらめっこして、

品定めをしておりました。

店では、実際に
アロマディフューザーを動かして
デモンストレーションをしています。

アロマの香りにつつまれると
ものすごくさわやかな気分になりますよね。

店で、しばらく、
どれにしようかなと悩みながら、

ボーっと、
アロマディフューザーから吐き出される
白いミストを見ているうちに、

ディフューザーよりも、

なぜか白い「ミスト」自体の方が気になってきました。

この「ミスト」は
いわゆるやかんのお湯を沸かすときに出る「蒸気」とは
ちょっと違うのですが、

白いミストを見ていると、

昔、歴史で習った
ジェームス・ワットの蒸気機関を思い出し

「産業革命は、蒸気機関の発明からはじまったんだよなぁ」

と改めて思いました。

そしてなぜか、蒸気機関を知るならば、

「ボイラー」だろうという発想につながっていきまして、
(‥この展開、ものすごく無理があるのですが、そうなんだから
しかたがないのであります。私の発想は自分でも説明がつきません。)

その結果「2級ボイラー技士」

の試験を受けることにいたしました。

そして、このたび合格いたしました。

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この試験は国家試験です。

私にはボイラーの知識は全くありませんでしたが
例のごとく過去問題を、
繰り返し、繰り返しやりましたら、

短期間で驚くほど覚えられました。

結構、面白いんです。

ボイラーって。

興味を持つってやっぱり大事ですね。

ボイラー技士試験は、
アロマテラピーの時と正反対で、

90パーセント以上が男性、

しかも、おじさんばっかりという、

私にはぴったりの試験環境だったのですが、

今回の最大の難関は「老眼」でした。

マークシートが細かくて、
うまくきれいに枠内が塗りつぶせないんです。

解答用紙の「マークシートの美しさ」にも私はこだわるので、

悲しかったです。

べつに、そんなところにこだわる必要はないのですが。

さて、試験には合格しましたが、

私はこれまで、ボイラーに触ったことは
一度もありません。

この状態で、ペーパー試験に合格したからといって

「ボイラー扱えますよ。技士ですよ。」

というのは、

このブログ読んでいるあなたも「大丈夫なのか。それで」と思うでしょ。

さすがに国もそこは考えていて、

免許証をもらうためには、試験合格だけではなくて、

実際にボイラーを使った勉強を含む、法律で決まっている

「実技講習」

を20時間受けなければなりません。

これが平日にまる3日間、きっちり受けなくてはならず、
遅刻早退は勿論厳禁。費用も2万円以上かかります。

世の中、そうそう甘くはないのですね。

ちなみに、

この講習は
日本ボイラー協会では「免許試験を受験する前」に受講することを
勧めています。

そりゃ、そうですよね、

講習で、いろいろ勉強するわけですから、
そのあとに試験受けるほうがいいに決まっています。

でも、私のように、
全く実物に触ったことがなくても
ペーパーテストは突破できます。

過去問です。過去問。とにかく過去問。

というわけで、

免許は欲しいのですが、
そうそう簡単に
講習を受けに行くことはできませんので、

しばらくおあずけですね。

しかしながら「ボイラー技士試験に合格している局アナウンサー」は
日本中探しても、いないのではと思います。
(‥世界中探したらいるかもしれません。単なるイメージだけで、
何の根拠もありませんが、きっとインドには、いるような気がします。)

さて、肝心の「アロマディフューザー」ですが、

まだ買っておりません。

なんのこっちゃ。

いろんな方向に、
次々と興味が飛んでしまうのが、

私のウィークポイントであると自覚しております。

しかし、
森羅万象いろんなことに
興味を持っていた方が、話題は広がりますからね。

あまりに広がりすぎて、収拾がつかないんだけどねぇ。


ゴローちゃん

2017年7月27日

京都に行きました。

日本の伝統的な街並みが、美しいです。

歩いていてお腹がすきましたので、

他局の番組で恐縮なのですが

「孤独のグルメ」の井之頭五郎さんになった気分で

店を探して、

「とんかつ定食」のメニューにひかれて、

きわめて日本的な、

定食屋さんに入りました。

私はとんかつが好きです。

あらら、びっくり。

少なからぬ数の、店の中のお客さんは、

全員「外国人」でした。

店の若女将と思われる女性(日本人です)が

鮮やかな英語でお客の注文を聞き、テキパキさばいていきます。

私も注文。

「あのぉ、とんかつ定食と、生中お願いします」

「はい、かしこまりました」

やわらかいきれいな日本語で受けてくれて、

ほっとします。

英語やドイツ語、

そして
聞いたことはある気がするけれど
何語かわからない、ヨーロッパ系らしい言葉など、
外国語の会話に囲まれて、

京都でとんかつ定食を食べるのは

感慨深いものがあります。

外国勢もみんな、
とんかつ定食や焼き魚定食、
ハンバーグ定食などを食べています。

外国人向けに特別に作られたものではなく
ご飯とみそ汁、漬物のついた「定食」。

冷えたビールを
口に運びながら思いました。

「いいねぇ、この光景」

郷に入っては郷に従え。

外国に行ったらその国の人が食べている同じものを食う。

国際相互理解の基本ですね。

やがて「テイショク」が世界共通語になるかもしれません。

しかし、本当に外国人の方々を多く見かけるようになりましたねぇ。

外国人観光客が、
安心して旅行を楽しめる町はね、

住む人にとっても
暮らしやすい優しい町であるはずですよね。

私も昔、学生時代、ほんの少しですが
リュック背負って知らない国を歩いたことがありました。

その時は、
ちょっとした親切がありがたく、
その国の印象を、とてもよくしてくれました。

逆もまたしかり。

観光客の外国人の皆さんが

「楽しんで帰ってくれるといいなあ」

としみじみ思いました。

国に帰って「ニッポンのキョートのとんかつテイショク、ベリーナイス!」

と言ってもらえれば、

うれしいですよね。

思うのですが、

最近、居酒屋に行っても、ラーメン店に行っても

一生懸命働いている
外国人の従業員の方々をよく見かけます。

もしかすると、国に帰って、

一念発起して、
日本式の居酒屋やラーメン店を
開業するなんてことになったら、やがて

「ホッケの開きは、フィンランドのあの居酒屋が世界一うまいぜぇ」

「味噌ラーメンは、インドネシアのあの店が世界一うまい」

といったことに、

なっていくのでしょうか。

面白いねぇ。

それにしても、京都の定食屋さんの若女将の鮮やかな英語、

かっこよかったねぇ。

外国人のお客も、
店の人が言葉ができるから
とっても安心しリラックスしていました。

あたくし、こういう出来事、

すごく好きなんですよね。

肩書表現

2017年7月26日

アメリカ政府「高官」として、

「ソーントン国務次官補代行」

という人の言葉が新聞などでも報道されています。

「国務次官」の「補」の「代行」って、

どのくらい重要な役職なの???

って思いませんか。

国務次官だから国務長官のすぐ下の人ですよね。

その「補」だから、補佐をする役職の人の

「代行」だから、

その人の代わりに職務を行う人ということになります。

誰の代行をしているのかと調べたら、

ダニエル・ラッセル国務次官補が
4月からシンクタンクに出向したために

「筆頭副次官補」

であるスーザン・ソーントンさんが
「次官補代行」を勤めているということです。

ということは、国務次官補の下には

「副次官補」が何人もいて

その筆頭がいる、ということなのでしょうか。

アメリカ政府の組織は、わかりにくいですね。

「次官」と「副」と「補」と「代行」

どう役割に違いがあって、責任も違うのでしょうか?

外国のことなので、
余計なお世話かもしれませんが

もっとすっきり、わかりやすくはできないものなのでしょうかねぇ。

そして「アメリカ政府高官」というのは、

どの役職から、
そう呼ぶのでしょうか。

国務長官は「高官」なのはわかりますが、

「補」「次官」「代行」「副」

は責任の重い順はどうなっているのでしょうか。

いっそのこと「補」とか「副」とかは無くしてしまって

「次」の数で統一して表現したらどうでしょうねえ。

国務次官の次は「国務次次官」

その次は「国務次次次官」

その次は「国務次次次次官」

これならわかりやすいでしょ。

「国務次次次次次次官」までは「高官」

という感じで決めれば、

視聴者や聴取者の皆さんが
ニュースを聞いた時に、
ニュースバリューの判断もしやすくなるし。

読みにくいから、
アナウンサーにとっては嫌だけど。

どう思います?

アメリカ政府に提案できませんかねぇ?

‥だめでしょうね。


源氏方 熊谷直実

2017年7月25日

大学の先輩や会社の先輩が
50代で、突然亡くなることが続きました。

悲しみとともに、大変ショックを受けています。

50代になると、

まわりから、
年金保険がどうのこうのとか、
会社の定年後の生活や、
生活資金を考えなさいと言われるのですが、

それもしながら、

並行して、冷静に

「人生の終わり」

を見つめて生きなければいけない年代なんだなあと

つくづく感じます。

「人生五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」

ですからね。

私の母方の祖父は、
50代でがんを発症して亡くなっております。

母が中学生の時でありまして、
当然ながら、私は祖父のことはよく知りません。

仏壇の中に小さな写真がおかれていたようなのですが、
じろじろのぞき込むわけにもいかず、

知っているのは名前と
位牌に書かれた戒名だけです。

顔は私に似ているらしいです。
そりゃそうですよね。祖父なんだから。

学校の教師をしていたのですが、
子どもが8人もおりまして、

家じゅう子供だらけでした。

家でも職場でも
いつも子供に囲まれていて、
おちつけたのかなあと思います。

静かな性格で(祖母は結構、激しい性格だったようですが)
相撲が大好き。

ラジオで相撲を聴きながら、
一杯飲むのが、ささやかな楽しみだったようです。

母の話によりますと
学校の成績はパッとしなかった母なのですが、

当時の女性には珍しく
小さいころから
自転車をすいすい乗り回していたということで、

祖父は

「すごいなあ。すごい。自転車乗れるんだ」

といつも褒めていたそうです。

優しい人だったようですね。

祖父は毎日、
湯たんぽを改造したタンク式の
簡易エンジンを自転車につけた妙ちくりんな乗り物で

「パパパパパパパーン」と

軽い小気味いい音を立てて、
学校に通っていたそうです。

当時、オートバイや自動車なんて、
高くて買えるわけがないですもんね。

そう考えると、16年落ちの中古とは言え、自家用車がある、

いまの私の生活は贅沢だと、つくづく思います。

税金やガソリン代など、正直、大変ですが。

祖父は、世渡りも多少はできたようで

最後は校長も務めて、

地域では名士だったようです。

とはいえ、
当時の公立の教員の給料で、

8人も子供がいますので
暮らし向きはよくなく、

祖母が小さな駄菓子屋をして、
家計を助けていたということです。

子供たちを食わせていかなくてはならないし
お金はなくとも、
校長として体裁を整えなくてはならず、
お金もかかったのでしょう。

私は大学で「教育学部」に進みましたので、

やがては学校の先生となり
祖父の流れの一端を
継いでくれるのではないかと
親戚からは、ちょびっと期待されたようなのですが、

結果は残念でした。

教育学部の勉強より
サークルの放送研究会の方に
力が入ってしまいました。

だから、

いまでもお墓に向かって
こっそり問うています。

「孫の私の人生、これでいいんだよね。」

お墓のじいちゃんは何も言いません。

優しい人だからでしょうね。

孫として、

とても残念なのは

長生きしてもらえれば、
私に戦時中の

「教育者の気持ち」

を聞かせてもらえたのですが、

叶いませんでした。

孫だからこそ
気持ちの中に土足で入るような
失礼なことが出来たはずです。

血のつながった祖父であるからこそ、
戦争を語る苦しみを強いることが出来たはずです。

孫なんですから。

「教えて。戦争のこと」

と言えたはずです。

残念です。

もし、将来、私の孫に私が

「あなたは、あのバブルの時代に何をしていたの。」

と問われることがあったら、

包み隠さず、全て正確に答えようと思います。

恥ずかしいですが。

だって、それが子孫のためですからね。

私が孫ならば、
全てを正確に知りたいと思います。
誰も語らない話であればあるほど知りたいですもんね。

とは思うものの、

祖父は還暦にも届かずになくなり、

私の父も70歳の声を聞かずに、

がんで亡くなっております。

父は暑い盛りに亡くなりましたので、

夏が来ると
毎年、感慨深いものがあります。

孫が話を聞きたくなるまで、

私の寿命が持つのか

わからないところです。

でも、老齢年金の支給年齢が
またぞろ上がりそうな話も
出てきているので、

せめて、最低でも納めた年金保険料分は

老齢年金受けとらないとね、

死んでも死にきれないと思っております。

国のために国民がいるのではなく、

国民のために

国があるんだから、

納めた年金保険料くらいは、

国民として、
生きている間に、

年金で確実に戻してほしいと思いますよね。

不安

2017年7月21日

アナウンサーは、

スタジオや
打ち合わせ場所など
社内のいろんな場所を頻繁に行き来するので、

自分のスマホと
社内の内線用の携帯電話とを
いつも持ちあるくことになります。

だから社内では
私はいつも電話機を2台持っています。

同時に、社内どこでもメールを見るために
ノートパソコンも
つとめて持って歩いています。

休みの日でも
急な連絡のチェックのために、

スマホは
身体から離すわけにはいきません。

電話や電子メール、
SNSといった多種多様な方法で

いろんな人から、

いろんな連絡が

スマホには入ってきますからね。

正直、なんだか、

人生、いつも追われている感じがしますねぇ。

連絡があれば、
どんな状況にあったとしても
頭を切り替えて適切に対応しなければなりません。

そして、連絡をしたら、
なんでも短時間に返事が来るか、

答えが出ないと

不安になりませんか。

また素早く判断して
対応できないと

自分に対してイライラしてきませんか。

というわけで、いわゆる24時間、張りつめているわけなので、

すべてに、

完璧に対応しようと思えば思うほど
疲れてしまいますよね。

そして思うのですが、

一番きついのは

いつも「追われていないと不安を感じる」ように

なってしまっていることじゃないかなぁ。

生きていくために、
自分にとって

本当に必要な「最低限の情報」って、

なんなんだろう。

と、思います。

思いますよね。

納豆愛

2017年7月20日

突然ですが、

「納豆」嫌いな人には

この文章、きついのではないかと思いますが、

すみません。

あたくし、「納豆」が好きでありまして、

朝食によく食べます。

今日も食べました。

あまりにうまいので、
ときどき1パックでは足らず

2パック、1度に食べます。

納豆はよくかき混ぜると、とてもとても旨いといいます。

北大路魯山人もそうやって食べていたと伝えられていますが、

魯山人には悪いですが、

あたしゃ、ちゃちゃっと
かき混ぜたくらいでもうまいと思うので、

すぐ食いついてしまいます。

我慢できません。

ネバーっとした糸をみると

「これを初めて食べた人は、勇気があったなあ」

といつも思うのですが、

誰だったのでしょうね。

誰か知ってますか?

私は知りません。

納豆は特に白ご飯との相性が絶妙。

納豆と絡み合ったご飯粒は

まるで飲み物のように、
するするとお腹に入っていきます。

しかしながら、もっというと

「お餅」と一緒に食べた時に

納豆は最もその真価を発揮すると思います。

納豆餅は旨い。

旨すぎる。

小粒納豆もうまいのですが、

大きな粒の
食いごたえのある、

大豆の味がしっかりとする納豆が、

なんとも言えず、

旨いのであります。

ひきわり納豆のお味噌汁もうまい。

納豆は、中にネギを入れてもうまいし、
卵と混ぜてもうまい。

細かく刻んだみょうがを入れると

「うう」と思わずうなるくらい旨いです。

東京に「納豆食べ放題」の店があると聞きました。

ぜひ行ってみたいですと、書くと思うでしょ。

納豆食べるために、東京まで行くのはしんどいです。
交通費もかかりすぎますので諦めます。

庶民の味方のこの食べ物は、
3パックで100円しない時もあります。

スーパーでたくさん買ってきて、
思う存分、食べることができますので、

一度、家で「セルフ納豆食べ放題」をしてみるつもりです。

関西生まれの方は、
納豆が苦手な場合も多いのですが、

ぜひ食べてほしいと思います。

思いますねぇ。


芸術の世界

2017年7月19日

あれは私が5歳のころ、

45年前のことでございます。

ある日突然、幼稚園で、

一枚の賞状をもらいました。

これです。

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「特選」とか「入選」ではなく

「佳作」というのが、

私としては、いいなあと思うのですが、

全国レベルの伝統ある美術展の賞なのであります。

このとき家族は、

私の「芸術」の才能など

毛ほども期待しておらず、

家じゅう大騒ぎとなりました。

賞状をもらったはいいのですが、
何の作品で表彰されたのかを、本人はいまもって知りません。

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おそらく幼稚園では、きちんと教えてくれたはずなのですが、
(私の通った幼稚園は「愛子幼稚園」という素敵な名前です)

当時は、
大きくなったら科学特捜隊に入って
怪獣と闘う夢を持っていた

チバ君ですので、
ウルトラマンごっこに忙しく、

先生のいうことなど、うわの空で聞いていて
覚えていません。

この賞状を持って帰ったら、
それまであたくしの絵なんて
全く無関心だった母親が

「プルシアンブルー」だとか

やたらマニアックな色の絵の具を

「買いなさい」と勧めてくれるようになりました。

才能を伸ばそうと思ったらしいのですが、

残念ながら、

私の芸術の才能は、

5歳を頂点として

6歳で地に落ち、

あとの、これまで44年間は

「余生」でございました。

もちろん、

これからV字回復するかもしれませんが。

自分でいうのもなんですが、私は

古代エジプト人が裸足で逃げ出すぐらい

遠近感のない、

見ようによっては、
芸術性があると言えなくはないとは思うのですが、

何が書いてあるのか理解するのに、
時間を要する絵をかきます。

ただ、芸術の世界というものは

本当に不思議なもので

中学生の時、美術の先生が、

私の絵をまじまじとみて、

「この絵はいい。いいよ。これ。いいなあ」

と気持ち悪いくらい

褒めてくれたことがありました。

私の絵には遠近感がありませんし、

自信がないので、
なるべく他人の目に留まりたくないので、
目立つ濃い色の絵の具は使わず、

淡い消え入りそうな薄い色で
目立たないよう目立たないように
書いた絵だったのですが、

どこがいいのか、
本人は全く分からず、

当然、先生以外の他の人も全く分からないのですが、

先生は「これ、いい」としか言いません。

なぜいいのかも言わないし、

教師としては「ここをこうしたらもっと良くなるよ」と
指導すべきなのでしょうが、

何も言いませんでした。

先生は数年後に
美術教師の職を辞して、

もっと芸術の世界に深く深く
入り込んでいかれたと聞きました。

人間の描く絵には、

何かしら
書いた本人もわからないものが
投影されているのかもしれませんね。

そして、芸術にとって大切なのは、

創り出すことと同じくらい

「読み取る力」

を持つことなのかもしれませんね、

と思ったりしています。

平賀源内とオキアミ

2017年7月18日

土用の丑の日が近づいてきましたね。

世間では、昔から、ウナギを食べて、
精をつけろと言われております。

スーパーマーケットに行ったのですが、

思うに、気楽にたくさん食べて

精をつけられるような値段じゃないですなぁ。

私のような大食漢にとっては、

充分満足できるくらい
食べることは、
とてもできませんですじゃ。

サンマのかば焼きを、
心ゆくまでたくさん食べる方が
私の心を満たしてくれるなあ。

と思っていたら、

最近、サンマの値段が築地市場で
過去最高値を更新したというニュースを聞きまして、
衝撃を受けております。

私は、何で精をつけたらいいのでしょうか。

とはいえ、

もうこの年齢で、
無駄に精を付ける必要はなく、

パワフルなものを食っても、ろくなことになりません。

それでなくても、
あたくしは焼き肉好きの「肉食系」なので、

オーストラリアのオージーちゃんや
カナダのポークちゃんが
こころを慰めてくれます。

思うに食の分野において、
私は先進的な国際交流をしている人間であります。

オーストラリアもカナダも、行ったことはないですが。

しかし、ウナギはうまいですね。

ああ、食いたい。

何でウナギが高くなったのか、
原因を考えてみると

昔の人が食いすぎたからです。

平賀源内のおっさんが
食え食えっていうからであります。

池波正太郎さんも食いすぎだと思います。

ウナギ屋さんやスーパーマーケットや、生産者の方々が企業努力で
どんなに安く提供しようとしても

ウナギ自体が少なければ
値段を下げるわけにはいきませんものね。

養殖にも手がかかるし。

後世の人たちが
まったくウナギが食べられなくなることのないよう
適度な数に保護することが大切です。

そうそう、南極でクジラが食べている

「オキアミ」は

数が多くて、
とりあえず近いうちに尽きることはなさそうであり、

しかも、とても栄養があると聞きました。

この際「土用の丑の日には、若者はウナギを食べて精をつけましょう。
ある程度、年齢のいった人は、オキアミを食べて適度に精をつけましょう」

とキャッチフレーズを変えたらどうでしょうか。

オキアミは
かき揚げにすると酒の肴にも良いし
お好み焼きに入れてもうまいと聞きます。

ウナギ屋さんには
両方のメニューを置いてもらいましょう。

そして若い人にウナギをなるべく安値で提供していただく。

どうしても、
ウナギのかば焼きのようなものが
食べたいというご年配の方のためには

精進料理の「ウナギのかば焼き」がございます。

豆腐と海苔と山芋などを、
材料に作るものであります。

山芋が入っているので精がつきます。

いかがでしょうか、

この提案。

私のことを、平成の平賀源内とおよび願います。

感覚

2017年7月13日

私は方向オンチでして、
よく道に迷うのですけれども、

よせばいいのに、

知らない街の知らない道を歩くのが
好きなのであります。

なぜって「新しい発見や気づきがあるから」です。

というのが表向きの理由で、

本当は「歩きたいと思うから」です。

深い意味なんて全然ありません。

自分の素直な感覚です。

あたしゃそういう人間だからです。

人間が一生の間に歩ける道なんて、限界があるわけですから、

私の場合、多くの人が歩んでいる
行きつく場所がわかっている大きな道を歩くよりも、

時間のある限り、
できるかぎり、小さな、どこにつながっているかわからない
もしかすると行き止まりかもしれない道をふらふら歩いてみたい。

という、欲求が勝つわけですね。

だから、
その町に行ったにもかかわらず、有名な観光名所を
私は見たことがないというケースがよくあります。

常識的な感覚で言えば、アホですね。

でもね、そのほうが私は「面白い」んですよね。

人が感じる「面白い」という感覚はそれぞれ違います。

だからこそ「面白い」んですよね。

私にとっては「自分が今まで知らなかったこと、でもきっと、
ほかの多くの人はそんなこと知らなくてもいいと
思っているだろうこと」を知るのが

一番、面白いんです。

だから、それが社会的に意義のあることであろうが、なかろうが関係ありません。

「おっ、こんなところに駄菓子屋があるわぃ!知らんかった。」

これだけで、充分面白いんです。

知らない町の中をうろうろしていると、

おしゃれじゃないけど旨そうな食堂が目に入ります。

嬉しいですね。

知らない街の住宅地の公園で、
不審者と間違えられるといやだなと思いながらも

空を見上げながら、
ボーっとベンチに座っていると、

近所のおばちゃんたちの立ち話も耳に入ってきます。

「へー、まもなく地域のお祭りがあるのか。綿菓子の屋台が出るのか」

観光名所を見るよりも、ずっとずっと面白い。

面白いんですよね。

この感覚って、わかりますか?

気象庁のHP

2017年7月 9日

先ほど放送された
ラジオ番組「ネットワーク1・17」で

気象予報士の吉村真希さんから

気象庁のホームページに
災害に関するさまざまな情報が掲載されて
いることを教えてもらいました。

ホームページの中に「防災情報」というカテゴリーがあり、

「土砂災害警戒判定メッシュ情報」

「大雨警報(浸水害)の危険度分布」

「洪水情報の危険度分布」

などを知ることができます。

これらの情報について、普段からホームページでの見かたや
その意味するものについて、勉強しておくと

命を守るために、とても役に立つと思います。

いま朝9時ちょっと過ぎなのですが、

大阪市北区にある毎日放送ビルの9階から

周りの空を見ると

雲だらけです。

どんよりと暗い空でして、

大雨になったりしないようにと、
祈りたい気持ちです。

豪雨災害

2017年7月 6日

豪雨災害で、
福岡県、大分県、そして島根県などで
大変な状況が続いています。

福岡県朝倉市では、
1時間の雨量として、
観測史上最高となる値が記録されました。

豪雨で、
孤立した状態になっている地域の方が、
速やかに、無事に救出されることを願っています。

そして、
雨だけでなく、
土砂災害の危険性も高まっています。

大変心配です。

なんとか一刻も早く、

危険のない状態に、

被災地の皆さんが安心できる状態になってほしいと

強く強く願っています。

発想

2017年7月 6日

文房具店に行ったのですが、

こんなノートに目が釘付けになりました。

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値段を見ると、なんと

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「10円」です。「10円」

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日本製で、作りもしっかりしていて、
この値段は「超お得」と判断しました。

バーゲン品のワゴンに置かれていて、

お店も出血大サービスで、
良い品物に、思い切った値段をつけたのだと思います。

ここまでくると、あっぱれです。

ということで、買いました。

8冊も。

それでも80円でっせ。80円。

ずっしりと重い、ノート8冊。お得感、高い高い。

私は、普段は横書きのノートを使っていて、
横書きがとっても好きなのですが、

これは「縦書き」用です。

一瞬、使いにくいかなとも思ったのですが、

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でも全然、平気。

だって、こうして使えばいいんだもん。

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問題なし!

こういう逆転の発想って、

わたくしの人生の中で
大切にしている生き方のポイントなのですが、

正直、世の中、

わかっていただけない人も多いんですよね。

これを言ってあげるのは

「君のためだから」という前置き付きで、

「そんな使い方おかしい」「縦のものは縦に使え」

と言われるのです。

でも「新しい発想は、思い込みをぶっ壊すことから始まる」

これがあたくしのポリシーなのですよ。

人生、これすべてコロンブスの卵。

ノートとして書くこと自体には、何の問題もないしね。

大切なのは、ノートの使い方より、
中身に何を書くかということですからね。

さて、縦書きのノートを、横に使っている人を見たら、

あなたはどう思います?

否定から入りますか?

それとも「この人面白い」と思いますか?

「反省」

2017年7月 5日

昔「反省だけならサルでもできる」

という言葉が、流行ったことが

ありましたね。

「反省」というのは、

反省したうえで、何をするかが

重要なのであって、

改善しないのなら、反省の意味はなく

「無駄」ということになります。

それこそ、反省だけならサルでもできますよね。

なぜ、反省しなくてはいけない事態に至ったのか、
その原因はどんなことで、

それを改善するために何をしなければならないのか、

そこまで考えて、
さらに、きちんと「改善策を実行すること」までを

「反省します」

という言葉を口にするときには、

覚悟しなくてはならないのではと思います。

人がこの言葉を口にするときは、

信用回復がかかっている

大変、厳しい状態なのですが、

最近、この言葉を
あまりにも軽く使っているのでは、

と思う例に
出会ったことはありませんか。

独立記念日

2017年7月 4日

アメリカにとって、本日7月4日は

大変重要な「独立記念日」なんですね。

アメリカの独立宣言が公布されたのは、1776年のことです。

独立の時「すべての人間は平等につくられている」

という理念を、高々と掲げた国がアメリカでした。

誇り高く、力強く、

その理念を守るために

動いてほしいと願っています。

メンタルヘルス

2017年7月 3日

私は「メンタルヘルス・マネジメント検定」の勉強をしたので、
こういうニュースがとてもとても気になるのですが、

過労や仕事の強いストレスが原因で
うつ病といった
精神障害を発症したことによって、

2016年度に労災認定された人は、
前の年に比べて26人増えて、
498人に上ったことが

先月、厚生労働省の調査で
明らかになったということです。

統計の残る1983年度以降で
最も多い数だということで、

5年連続で、400人を上回っています。

年齢的には、10代や20代といった若い人が
増えているということです。

本当に悲しい話です。

「労働時間より、職場での人間関係が原因となったケースが目立った」

と厚生労働省は分析しています。

困ったものですね。

原因が「人間関係」であれば、

職場がきちんと問題と向き合えば、
改善できることなのに。

と、思います。

職場の「パワハラ」が原因で認定されるケースの増加が
目立っているということでして、

問題というものは、あたりまえですが、
原因がわかれば改善できます。

責任もはっきりしているもんね。

あとは、本気で改善に取り組むかどうかですよね。

働きやすい職場は、生産性も上がり、企業のためにもなるのにね。

でも国会議員が、
秘書にひどい罵詈雑言を浴びせる「大パワハラ」をしている国ですもんね。

国として、まず国会議員から改善しなければならないというのは、
とっても恥ずかしい、なさけない話ですね。

安心して働ける社会になってほしいのになぁ。