不安

2017年7月21日

アナウンサーは、

スタジオや
打ち合わせ場所など
社内のいろんな場所を頻繁に行き来するので、

自分のスマホと
社内の内線用の携帯電話とを
いつも持ちあるくことになります。

だから社内では
私はいつも電話機を2台持っています。

同時に、社内どこでもメールを見るために
ノートパソコンも
つとめて持って歩いています。

休みの日でも
急な連絡のチェックのために、

スマホは
身体から離すわけにはいきません。

電話や電子メール、
SNSといった多種多様な方法で

いろんな人から、

いろんな連絡が

スマホには入ってきますからね。

正直、なんだか、

人生、いつも追われている感じがしますねぇ。

連絡があれば、
どんな状況にあったとしても
頭を切り替えて適切に対応しなければなりません。

そして、連絡をしたら、
なんでも短時間に返事が来るか、

答えが出ないと

不安になりませんか。

また素早く判断して
対応できないと

自分に対してイライラしてきませんか。

というわけで、いわゆる24時間、張りつめているわけなので、

すべてに、

完璧に対応しようと思えば思うほど
疲れてしまいますよね。

そして思うのですが、

一番きついのは

いつも「追われていないと不安を感じる」ように

なってしまっていることじゃないかなぁ。

生きていくために、
自分にとって

本当に必要な「最低限の情報」って、

なんなんだろう。

と、思います。

思いますよね。

納豆愛

2017年7月20日

突然ですが、

「納豆」嫌いな人には

この文章、きついのではないかと思いますが、

すみません。

あたくし、「納豆」が好きでありまして、

朝食によく食べます。

今日も食べました。

あまりにうまいので、
ときどき1パックでは足らず

2パック、1度に食べます。

納豆はよくかき混ぜると、とてもとても旨いといいます。

北大路魯山人もそうやって食べていたと伝えられていますが、

魯山人には悪いですが、

あたしゃ、ちゃちゃっと
かき混ぜたくらいでもうまいと思うので、

すぐ食いついてしまいます。

我慢できません。

ネバーっとした糸をみると

「これを初めて食べた人は、勇気があったなあ」

といつも思うのですが、

誰だったのでしょうね。

誰か知ってますか?

私は知りません。

納豆は特に白ご飯との相性が絶妙。

納豆と絡み合ったご飯粒は

まるで飲み物のように、
するするとお腹に入っていきます。

しかしながら、もっというと

「お餅」と一緒に食べた時に

納豆は最もその真価を発揮すると思います。

納豆餅は旨い。

旨すぎる。

小粒納豆もうまいのですが、

大きな粒の
食いごたえのある、

大豆の味がしっかりとする納豆が、

なんとも言えず、

旨いのであります。

ひきわり納豆のお味噌汁もうまい。

納豆は、中にネギを入れてもうまいし、
卵と混ぜてもうまい。

細かく刻んだみょうがを入れると

「うう」と思わずうなるくらい旨いです。

東京に「納豆食べ放題」の店があると聞きました。

ぜひ行ってみたいですと、書くと思うでしょ。

納豆食べるために、東京まで行くのはしんどいです。
交通費もかかりすぎますので諦めます。

庶民の味方のこの食べ物は、
3パックで100円しない時もあります。

スーパーでたくさん買ってきて、
思う存分、食べることができますので、

一度、家で「セルフ納豆食べ放題」をしてみるつもりです。

関西生まれの方は、
納豆が苦手な場合も多いのですが、

ぜひ食べてほしいと思います。

思いますねぇ。


芸術の世界

2017年7月19日

あれは私が5歳のころ、

45年前のことでございます。

ある日突然、幼稚園で、

一枚の賞状をもらいました。

これです。

KIMG1062.jpg

「特選」とか「入選」ではなく

「佳作」というのが、

私としては、いいなあと思うのですが、

全国レベルの伝統ある美術展の賞なのであります。

このとき家族は、

私の「芸術」の才能など

毛ほども期待しておらず、

家じゅう大騒ぎとなりました。

賞状をもらったはいいのですが、
何の作品で表彰されたのかを、本人はいまもって知りません。

KIMG1063.jpg

おそらく幼稚園では、きちんと教えてくれたはずなのですが、
(私の通った幼稚園は「愛子幼稚園」という素敵な名前です)

当時は、
大きくなったら科学特捜隊に入って
怪獣と闘う夢を持っていた

チバ君ですので、
ウルトラマンごっこに忙しく、

先生のいうことなど、うわの空で聞いていて
覚えていません。

この賞状を持って帰ったら、
それまであたくしの絵なんて
全く無関心だった母親が

「プルシアンブルー」だとか

やたらマニアックな色の絵の具を

「買いなさい」と勧めてくれるようになりました。

才能を伸ばそうと思ったらしいのですが、

残念ながら、

私の芸術の才能は、

5歳を頂点として

6歳で地に落ち、

あとの、これまで44年間は

「余生」でございました。

もちろん、

これからV字回復するかもしれませんが。

自分でいうのもなんですが、私は

古代エジプト人が裸足で逃げ出すぐらい

遠近感のない、

見ようによっては、
芸術性があると言えなくはないとは思うのですが、

何が書いてあるのか理解するのに、
時間を要する絵をかきます。

ただ、芸術の世界というものは

本当に不思議なもので

中学生の時、美術の先生が、

私の絵をまじまじとみて、

「この絵はいい。いいよ。これ。いいなあ」

と気持ち悪いくらい

褒めてくれたことがありました。

私の絵には遠近感がありませんし、

自信がないので、
なるべく他人の目に留まりたくないので、
目立つ濃い色の絵の具は使わず、

淡い消え入りそうな薄い色で
目立たないよう目立たないように
書いた絵だったのですが、

どこがいいのか、
本人は全く分からず、

当然、先生以外の他の人も全く分からないのですが、

先生は「これ、いい」としか言いません。

なぜいいのかも言わないし、

教師としては「ここをこうしたらもっと良くなるよ」と
指導すべきなのでしょうが、

何も言いませんでした。

先生は数年後に
美術教師の職を辞して、

もっと芸術の世界に深く深く
入り込んでいかれたと聞きました。

人間の描く絵には、

何かしら
書いた本人もわからないものが
投影されているのかもしれませんね。

そして、芸術にとって大切なのは、

創り出すことと同じくらい

「読み取る力」

を持つことなのかもしれませんね、

と思ったりしています。

平賀源内とオキアミ

2017年7月18日

土用の丑の日が近づいてきましたね。

世間では、昔から、ウナギを食べて、
精をつけろと言われております。

スーパーマーケットに行ったのですが、

思うに、気楽にたくさん食べて

精をつけられるような値段じゃないですなぁ。

私のような大食漢にとっては、

充分満足できるくらい
食べることは、
とてもできませんですじゃ。

サンマのかば焼きを、
心ゆくまでたくさん食べる方が
私の心を満たしてくれるなあ。

と思っていたら、

最近、サンマの値段が築地市場で
過去最高値を更新したというニュースを聞きまして、
衝撃を受けております。

私は、何で精をつけたらいいのでしょうか。

とはいえ、

もうこの年齢で、
無駄に精を付ける必要はなく、

パワフルなものを食っても、ろくなことになりません。

それでなくても、
あたくしは焼き肉好きの「肉食系」なので、

オーストラリアのオージーちゃんや
カナダのポークちゃんが
こころを慰めてくれます。

思うに食の分野において、
私は先進的な国際交流をしている人間であります。

オーストラリアもカナダも、行ったことはないですが。

しかし、ウナギはうまいですね。

ああ、食いたい。

何でウナギが高くなったのか、
原因を考えてみると

昔の人が食いすぎたからです。

平賀源内のおっさんが
食え食えっていうからであります。

池波正太郎さんも食いすぎだと思います。

ウナギ屋さんやスーパーマーケットや、生産者の方々が企業努力で
どんなに安く提供しようとしても

ウナギ自体が少なければ
値段を下げるわけにはいきませんものね。

養殖にも手がかかるし。

後世の人たちが
まったくウナギが食べられなくなることのないよう
適度な数に保護することが大切です。

そうそう、南極でクジラが食べている

「オキアミ」は

数が多くて、
とりあえず近いうちに尽きることはなさそうであり、

しかも、とても栄養があると聞きました。

この際「土用の丑の日には、若者はウナギを食べて精をつけましょう。
ある程度、年齢のいった人は、オキアミを食べて適度に精をつけましょう」

とキャッチフレーズを変えたらどうでしょうか。

オキアミは
かき揚げにすると酒の肴にも良いし
お好み焼きに入れてもうまいと聞きます。

ウナギ屋さんには
両方のメニューを置いてもらいましょう。

そして若い人にウナギをなるべく安値で提供していただく。

どうしても、
ウナギのかば焼きのようなものが
食べたいというご年配の方のためには

精進料理の「ウナギのかば焼き」がございます。

豆腐と海苔と山芋などを、
材料に作るものであります。

山芋が入っているので精がつきます。

いかがでしょうか、

この提案。

私のことを、平成の平賀源内とおよび願います。

感覚

2017年7月13日

私は方向オンチでして、
よく道に迷うのですけれども、

よせばいいのに、

知らない街の知らない道を歩くのが
好きなのであります。

なぜって「新しい発見や気づきがあるから」です。

というのが表向きの理由で、

本当は「歩きたいと思うから」です。

深い意味なんて全然ありません。

自分の素直な感覚です。

あたしゃそういう人間だからです。

人間が一生の間に歩ける道なんて、限界があるわけですから、

私の場合、多くの人が歩んでいる
行きつく場所がわかっている大きな道を歩くよりも、

時間のある限り、
できるかぎり、小さな、どこにつながっているかわからない
もしかすると行き止まりかもしれない道をふらふら歩いてみたい。

という、欲求が勝つわけですね。

だから、
その町に行ったにもかかわらず、有名な観光名所を
私は見たことがないというケースがよくあります。

常識的な感覚で言えば、アホですね。

でもね、そのほうが私は「面白い」んですよね。

人が感じる「面白い」という感覚はそれぞれ違います。

だからこそ「面白い」んですよね。

私にとっては「自分が今まで知らなかったこと、でもきっと、
ほかの多くの人はそんなこと知らなくてもいいと
思っているだろうこと」を知るのが

一番、面白いんです。

だから、それが社会的に意義のあることであろうが、なかろうが関係ありません。

「おっ、こんなところに駄菓子屋があるわぃ!知らんかった。」

これだけで、充分面白いんです。

知らない町の中をうろうろしていると、

おしゃれじゃないけど旨そうな食堂が目に入ります。

嬉しいですね。

知らない街の住宅地の公園で、
不審者と間違えられるといやだなと思いながらも

空を見上げながら、
ボーっとベンチに座っていると、

近所のおばちゃんたちの立ち話も耳に入ってきます。

「へー、まもなく地域のお祭りがあるのか。綿菓子の屋台が出るのか」

観光名所を見るよりも、ずっとずっと面白い。

面白いんですよね。

この感覚って、わかりますか?